ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

イエスの母マリアは聖母なのか 

 

 ローマ・カトリックでは、イエスを産んだマリアを「聖母」と呼びます。

 処女が神の御子を胎内に宿したからでしょうか。

 聖母マリアは無原罪の女である、といわれていると知った時、びっくりしました。

 

 御使いガブリエルが、神から遣わされてガリラヤのナザレという町の処女マリアの所に来ました。マリアは、ダビデの家系のヨセフという人の許嫁でした。

 御使いは、マリアに言いました。

 「おめでとう、恵まれた方。主があなた(マリア)とともにおられます。」(ルカ1:28)

 

 御使いは、神の恵みを受けたマリアの胎にひとりの男の子が宿ること、そして、その子は「いと高き方の子(神の子)」と呼ばれることを告げ、名を「イエス」とつけるようにと言いました。

 また、その子(神の子イエス)はとこしえにヤコブの家(イスラエル)を治め、その国は終わることがないことを告げました。なぜならば、神である主は、処女マリアから産まれる神の御子イエスに、その父ダビデの王位を与えられるからです。(イエスは、イスラエルが待ち望むダビデの子キリストなのです)

 

 マリアの親類のエリサベツ(祭司ザカリヤの妻)は、マリアを見たとき、聖霊に満たされて言いました。

 「あなたは女の中の祝福された方。あなたの胎の実も祝福されています。

 主によって語られたことは必ず実現すると信じきった人は、何と幸いなことでしょう。」(ルカ1:42,45)

 

 エリサベツは、マリアの信仰を祝福しました。

 マリアは、純粋な信仰によって、神のことばを信じ、イエスをみごもったのでした。

 

 マリヤは言いました。

 「わが魂は主を崇め、わが霊は、わが救い主なる神を喜びたたえます。

 主はこの卑しいはしために目を留めてくださったからです。本当に、これから後、どの時代の人々も、私をしあわせ者と思うでしょう。力ある方が、私に大きなことをしてくださいました。」(ルカ1:46-49)

 

 13~16歳くらいであったろうとされるマリアは、許嫁の夫のいる身です。マリアは、両親にも相談せず、また、許嫁のヨセフにも打ち明けないで、御使いガブリエルの御告げをひとりで受け、そのまま信じて受け入れました。

 

 人間社会では決して理解されず罪に処せられるこの出来事を、信仰によって理解した親類のエリサベツはマリアの信仰を祝福し、また、エリサベツの祝福を受けたマリアは、神に感謝し、神をたたえました。

 

 夫の子ではない子を宿すマリアは、ユダヤ民族の間では処刑されなければなりません。しかし、神の子を宿すマリアは、「どの時代の人々も、私をしあわせ者と思うでしょう。」と言って、自分が神の御目に留められたことを喜んでいるのです。

 

 マリアは、信仰の父アブラハムの血肉の子孫です。

 「彼(アブラハム)は主を信じた。主はそれ(アブラハムの信仰)を彼の義と認められた。」(創世記15:6)

 アブラハムはひとりの人間であって、無原罪の人ではありません。エデンの園から追放されたアダムの子孫です。アブラハムは、信仰によって、神に義とされた義人です。

 アブラハムの子孫である、処女マリアもまた、信仰によって義とされた義人でした。無原罪の人ではありません。

 

 「群衆の中から、ひとりの女が声を張り上げてイエスに言った。

 『あなた(神の御子イエス)を産んだ腹、あなたが吸った乳房は幸いです。』

 しかし、イエスは言われた。

 『いや、幸いなのは、神のことばを聞いてそれを守る人たちです。』」(ルカ11:27,28)

 

 「イエスを産んだ母(マリア)は幸い。」と言った女に対して、イエスは、否定しています。

 母マリアよりも、幸いな人がいるというのです。それは、神のことばを聞いてそれを守る人たちです。一人ではありません。神のことばを聞いてそれを守る人、すなわち、神のことばを信じて従う人たちはみな幸いなのです。

 

 アブラハムも幸いな人です。

 マリアも幸いな人です。

 神のことばを信じる信仰、神のことばを守る信仰が幸いなのです。神は、信仰によって義とされるからです。

 

 神は、処女マリアの中にそのような純真な信仰をご覧になられました。義人の信仰をご覧になったのです。それゆえ、マリアは神の恵みを受けました。

 

 イサクは、「アブラハムのひとり子」です。

 イエスは、「神のひとり子」です。

 それゆえ、「人の子キリスト」(神のひとり子)を生んだ処女マリアは、イエスひとりの母親のように思われているのでしょうか。

 

 処女マリアに受胎告知をした後、主の使いは許嫁の夫ヨセフの夢に現れて告げました。

 「ダビデの子ヨセフ。恐れないであなたの妻(許嫁の)マリアを迎えなさい。その胎(許嫁の妻マリアの胎)に宿っているものは聖霊によるのです。

 マリアは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方(イエス)こそ、ご自分の民(神の民)をその罪から救ってくださる方(キリスト)です。」(マタイ1:20,21)

 

 聖書には、「このすべての出来事(マリアとヨセフに現れた御使いの御告げ)は、主が預言者を通して言われたことが成就するためであった。」(マタイ1:22)と書かれています。

 

 すなわち、「主みずから、あなたがた(イスラエル)に一つのしるしを与える。見よ。処女がみごもっている。そして男の子を産み、その名を『インマヌエル』(神は私たちとともにおられる、という意味)と名づける。」(イザヤ7:14)という、神のことば(預言)の成就だったのです。

 

 処女から神の御子キリストが生まれることは、神がイスラエルとともにおられることのしるしだと、預言者イザヤは言いました。

 主みずから、イスラエルにお与えになったしるしなのです。

 処女マリアから産まれた神の御子イエスは、天地万物を創造された全能の神、主がイスラエルとともにおられるしるしなのです。

 

 処女マリアは、神がイスラエルとともにおられることを証しするために、神に選ばれた女でした。

 無原罪の女だから選ばれたのではありません。アダムの子孫に、無原罪の人はひとりもいません。すべての人は、罪ある女エバから生まれた肉なる者、生まれつき罪を犯す罪の源の「原罪」を持つ肉なる者なのです。それゆえ、人間は自我を持ち、羨望、疑い、妬み、怒り、憎しみ、嘘、偽り、背きなどの心の闇を抱えるのです。

 

 マリアは、素直な魂と純真な信仰により、選ばれた者です。イザヤの預言を成就するために、神に召されました。

 

 夢で啓示を受けたヨセフは、眠りから覚め、主の使いに命じられたとおりにして、妻マリアを迎え入れました。

 そして、子ども(神の御子イエス)が生まれるまでマリアを知ることがなかったと、マタイ1:25にあります。

 

 イエスを産んだあとは、普通の夫婦となっています。マリアは、ヨセフとの間に息子や娘たちを生んでいます。イエスの弟や妹たちです。

 イエスは、ひとり息子ではありません。ヨセフとマリアの子どもたちの長子です。

 

 マリアは、無原罪の女ではなく、普通の女でした。ただ、信仰ゆえに、特別な任務を受けた恵まれた女であったことは確かです。

 マリアは、イエスの母でもあり、イエスの弟や妹たちの母でもあります。

 

 イエスが公生涯にはいり、宣教を始めると、マリアとイエスの関係は変化しました。母と子の関係から、弟子と師の関係に変わったのです。

 

 イエスは最初のしるしとしてカナで行ない、ご自分の栄光を現わされました。

 「ガリラヤのカナで婚礼があって、そこにイエスの母がいた。イエスも、また弟子たちも、その婚礼に招かれた。

 ぶどう酒がなくなったとき、母がイエスに向かって『ぶどう酒がありません。』と言った。

 すると、イエスは母に言われた。

 『あなたはわたしと何の関係があるのでしょう。(神のみわざは神と神の御子イエスのものであって、人間のものではありません)女の方(ご婦人よ)。わたしの時はまだ来ていません。(わたしがみわざを成す時は、父なる神がお定めになっておられます)』

 母は手伝いの人たちに言った。

 『あの方(神の御子の力を持つイエス)が言われることを、何でもしてあげてください。』」(ヨハネ2:1-5)

 

 母マリアは、イエスにある神の栄光を見たのでしょう。母としてではなく、イエスを信じる弟子の一人として、イエスを見たのでしょう。目の前にいるイエスは自分が生んだ息子であり、また、神の特別な方なのです。

 

 イエスは、神の時に、水を葡萄酒に変える奇蹟を行われました。イエスは、神の御声に聞き従う神のしもべです。母に従うマリアの息子ではありません。

 

 イエスの母と兄弟たちが来て、外に立って、人をやり、イエスを呼ばせたことがありました。その人は、大勢の人に囲まれているイエスに「あなたのお母さんと兄弟たちが、外であなたをたずねています。」と言いました。

 

 「すると、イエスは彼らに答えて言われた。『わたしの母(イエスの母)とはだれのことですか。また、兄弟たちとはだれのことですか。』

 そして、自分の回りにすわっている人たちを見回して言われた。『ご覧なさい。わたしの母、わたしの兄弟たちです。神の御心を行なう人はだれでも、わたしの兄弟、姉妹、また母なのです。」(マルコ3:33-35)

 

 イエスの血肉は、すべてのユダヤ人です。

 

 十字架の上で、イエスは、母マリアと、そばに立っている愛する弟子(ヨハネ)とを見て、母に言われました。

 「女の方(ご婦人よ)。そこに、あなたの息子(ヨハネ)がいます。」(ヨハネ19:26)

 それから弟子のヨハネに言われました。

 「そこに、あなたの母(イエスを産んだマリア)がいます。」(ヨハネ19:27)

 

 マリアには、イエスのほかに、亡き夫ヨセフとの間に生まれた息子や娘たちがいます。しかし、イエスは、マリアの信仰を守るために、マリアを愛弟子ヨセフに託しました。マリアはヨハネの母となること、そして、ヨハネはマリアの息子となること、それは、神の子羊イエス・キリストの遺言でした。

 聖書には、「その時から、この弟子(ヨハネ)は彼女(イエスの母マリア)を自分の家に引き取った。」(ヨハネ19:27)とあります。

 

 十字架で息を引き取ったイエスは、もはや地上に肉親を持たない者です。天上に帰る第二のアダムとして生まれるからです。神の子どもとして天に帰ります。勝利した神の御子キリスト・イエスとして、父なる神のみもとに帰られました。

 

 死から復活した第二のアダムには、父も母も、肉の兄弟姉妹もありません。「新しい人」は、ただひとりの父、永遠に生きておられる生けるまことの神の子どもです。

 

 マリアは、「人の子」として生まれた御子イエスの母ですが、御霊によって生まれた「新しい人」キリストの母ではありません。

 マリアには、ヨセフとの間に息子や娘たちがいます。マリアは、この息子や娘たちの母でもあります。神の御子イエスをみごもった処女マリアは、ヨセフの子どもたちを生んだ、普通のユダヤ人家庭の婦人なのです。