「彼は信じた。主はそれを彼の義と認められた。」(創世記15:6)
アブラムは、神の約束を信じました。アブラムも妻サライも年寄りで、子どもを産むことは難しく、先行きの不透明な状況の中で、アブラムは、アブラムの子孫について約束される主のことばを信じました。
神は、アブラムの素直な魂、また、アブラムの信仰をご覧になって、アブラムを選び出されました。
アブラムは、神が、神のひとり子イエスを地上に遣わすために、父なる神がお造りになる神の祭司の国民(イスラエル)の父として選ばれたのです。
子のないアブラムは、自分の身から、地上のすべての民族を祝福する民(イスラエル)と、蛇の頭(悪魔)を踏み砕く「人の子」(キリスト)が起こされることを信じました。
神の選びと、アブラムの信仰によって、御救いの御計画は動き始めました。
主は、アブラムと妻サライに、「高貴な父(アブラハム)」と「王の娘(サラ)」という新しい名前を授けて、「来年の今ごろサラが産むイサクと、わたしの契約を立てる。」と仰せられました。アブラハムは、ひれ伏し、笑いました。
来年の今ごろ、サラがあなたに男の子を産むと仰せられた神のことばは、人知を超えた次元の信仰水準の約束であって、現実的ではありません。人間には、実現不可能に思われる約束です。
妻サラには普通の女にあることがすでに止まっていました。子どもを宿す女の機能を失っていたのです。
すでに、アブラハムには、サラが与えた女奴隷ハガルとの間にひとりの男の子イシュマエルがいました。十三歳になります。
このイシュマエルが生まれたことで、十分に喜んだアブラハムと安堵したサラでしょう。アブラハムに念願の跡取りが生まれたのですから。
しかし、主は、サラによってアブラハムにひとりの男の子を与える、と仰せられるではありませんか。青天霹靂とはこのことです。さすがのアブラハムもあり得ないと思ったことでしょう。アブラハムは、このことを自分の信仰のうちに留めたことでしょう。
アブラハムは、おそらくサラに、主のことばを伝えていなかったでしょう。
あるいは、アブラハムから聞いたサラは、そのことを信じなかったのかもしれません。
主はマムレの樫の木のそばで、アブラハムに現れました。
天幕の入口にすわっていたアブラハムが目を上げて見ると、三人の人がアブラハムに向かって立っていました。
アブラハムは、見るなり、彼らを迎えるために天幕の入口から走って行き、地にひれ伏して礼をしました。
アブラハムには、彼らがとても大切な方々だとわかったみたいです。
そして、彼らをもてなしました。アブラハムは、通りすがりの神の人たちを見逃しません。彼らを素通りさせなかったのです。
彼らのために料理を用意したアブラハムは、木の下で彼らに給仕しました。こうして彼らは食べました。
サラは天幕の入口で彼らのことばを聞いていました。
ひとりが言いました。「わたしは来年の今ごろ、必ずあなた(アブラハム)のところに戻って来ます。そのとき、あなたの妻サラには、男の子ができている。」(創世記18:10)
サラは心の中で笑って言いました。
「老いぼれてしまったこの私(八十九歳のサラ)に、何の楽しみがあろう。それに主人(九十九歳のアブラハム)も年寄りで。」(創世記18:12)
主はアブラハムに仰せられました。
「サラはなぜ『私は本当に子を産めるだろうか。こんなに年を取っているのに。』と言って笑うのか。
主に不可能なことがあろうか。わたしは来年の今ごろ、定めた時に、あなた(アブラハム)のところに戻って来る。そのとき、サラには男の子ができている。」(創世記18:13,14)
すると、サラは「私は笑いませんでした。」と言って打ち消しました。主のことばを笑った自分の不遜を知り、恐ろしく感じたのです。
こうして、サラも、神の御計画を知りました。神は、女奴隷ハガルの子イシュマエルではなくて、サラから生まれる子イサクと契約を立てて、アブラハムの相続人とされるのです。
三人の神の人たちは、ソドムとゴモラの罪を調査するために遣わされていました。神のみもとに届けられている叫びが本当かどうかを確かめに来たのです。
主は考えられました。このことをアブラハムに隠しておくべきだろうか。
もし、主がアブラハムに隠したまま、裁きを実行されたのであったなら、アブラハムの甥のロトはソドムの町とともに滅んでいたことでしょう。
主は結論を出されました。
「わたし(主)が彼(アブラハム)を選び出したのは、彼(アブラハム)がその子(イサク)らと、彼の後の家族(イサクの子孫)とに命じて主の道を守らせ、正義と公正とを行なわせるため、主が、アブラハムについて約束したことを、彼(アブラハム)の上に成就するためである。」(創世記18:19)
主がアブラハムを選び出したのは、アブラハムとサラのひとり子であるイサクと契約を立てて、イサクの子孫(イスラエル)に命じて主の道を守らせ、主に聞き従う「神の祭司の国民」を育てて、アブラハムに約束したことを、アブラハムの血肉の子孫であるイサクの子ヤコブの子孫イスラエルの上に成就するためでした。
アブラハムの契約の成就は、もっと先にあるのです。イサクの子ヤコブの幾世代にもわたる子孫の末に、神の契約は成就します。
アブラハムの契約を相続するアブラハムの子孫は、主の道を守り、正義と公正を学んで、神の祭司の国民として建て上げられて、すべての民族の祝福となる救い主(神の御子イエス)を生み、このキリストにあって、とこしえの神の民が完成され、霊とまことによって生けるまことの神を礼拝する信仰の勝利者たちを集めて、とこしえの国をつくり、カナン全土を相続するのです。
主は仰せられました。
「アブラハム(の子孫)は必ず大いなる国民となり、地のすべての国々は、彼(アブラハムのひとりの子孫、イエス・キリスト)によって祝福される。」(創世記18:18)
主は、アブラハムに、ソドムとゴモラの罪の重さと、その罪の裁きとを打ち明けられました。
ソドムの町には、アブラハムの甥のロトの家族がいます。
アブラハムは、主に申し上げました。
「あなた(主)は本当に、正しい者を、悪い者といっしょに滅ぼし尽くされるのですか。もしや、その町の中に五十人の正しい者がいるかもしれません。本当に滅ぼしてしまわれるのですか。その中にいる五十人の正しい者のために、その町をお赦しにならないのですか。
正しい者を悪い者といっしょに殺し、そのため、正しい者と悪い者とが同じようになるというようなことを、あなたがなさるはずがありません。とてもありえないことです。
全世界をさばくお方は、公義を行なうべきではありませんか。」(創世記18:23-25)
すると、主は仰せられました。
「もしソドムで、わたしが五十人の正しい者を町の中に見つけたら、その人たちのために、その町全部を赦そう。」(創世記18:26)
「アブラハムは答えて言った。
『私(アブラハム)はちりや灰にすぎませんが、あえて主に申し上げるのをお許しください。もしや五十人の正しい者に五人不足しているかもしれません。その五人のために、あなたは町の全部を滅ぼされるのでしょうか。』
主は仰せられた。
『滅ぼすまい。もしそこにわたしが四十五人を見つけたら。』
そこで、再び尋ねて申し上げた。
『もしやそこに四十人(の正しい者が)見つかるかもしれません。』
すると仰せられた。
『滅ぼすまい。その四十人のために。』」(創世記18:27-29)
アブラハムは、交渉し続けました。とうとう、十人まで譲歩されました。
「滅ぼすまい。その十人のために。」
主はアブラハムと語り終えられると、去って行かれ、アブラハムは自分の家に帰って行きました。
アブラハムは、神のことばを信じる信仰があるだけではなく、神の人を見過ごす不注意な人ではありませんでした。霊的に鋭敏で霊の研ぎ澄まされた人のようです。
アブラハムは、主の道を守るために、心を尽くす人だったのでしょう。
アブラハムの霊は眠っていませんでした。
神は、アブラハムに隠すことはできません。
アブラハムは、神の裁きを知ると、その裁きを思い直してくださるように執り成す人でもありました。
モーセは、アブラハムの信仰を受け継いでいたのでしょう。
神に召される人は、他者のために執り成す深い愛が備わっているようです。
私たちの思いは、世の闇に紛れて、なかなか霊的なことを捉えることができません。
何を祈ったらよいのかもわかりません。
しかし、神は恵みによって、私たちに「もうひとりの助け主」である「真理の御霊」を与えてくださいました。御霊は、弱い私たちを助けてくださいます。
「私たちは、どのように祈ったらよいかわからないのですが、御霊ご自身が、言いようもない深いうめきによって、私たちのためにとりなしてくださいます。」(ローマ8:26)
「御霊は、神の御心に従って、聖徒のためにとりなしをしてくださるからです。」(ローマ8:27)
また、主イエス・キリストも私たちのためにとりなしていてくださいます。
「(自らのいのちを私たちに与えて、私たちの罪を贖い、私たちの罪が赦されるために)死んでくださった方、いや、(御霊によって生まれ、死から)甦られた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、私たちのためにとりなしていてくださるのです。」(ローマ8:34)
今は恵みの時です。なぜならば、神の御子イエス・キリストに執り成され、また、キリストの御霊が私たちのうちに住んでくださって、私たちの信仰の歩みを助け、いのちの道へと導いてくださるからです。