イエスは処刑されて十字架で息を引き取られました。
イエスの弟子となったヨセフは、総督ピラトのところに行って、イエスのからだの下げ渡しを願うと、ピラトは、渡すように命じました。
「ヨセフはそれを取り降ろして、きれいな亜麻布に包み、岩を掘って造った自分の新しい墓に納めた。墓の入口には大きな石をころがしかけて帰った。
そこにはマグダラのマリヤとほかのマリヤとが墓のほうを向いてすわっていた。」(マタイ27:59-61)
イエスに仕えてガリラヤからついて来た女たちがいました。それらのたくさんの女たちは、遠くからながめていました。その中に、マグダラのマリア、ヤコブとヨセフとの母マリア、ゼベダイの子らの母がいました。
マグダラのマリアは、イエスの弟子でした。
イエスの墓の入口にころがしかけられた石には、ピラトの命令により、封印され、番兵が墓の番をしていました。
祭司長、パリサイ人たちがピラトのところに集まって、こう言ったからです。
「閣下。あの、人をだます男(ナザレのイエス)がまだ生きていたとき、『自分は三日の後によみがえる。』と言っていたのを思い出しました。
ですから、三日目まで墓の番をするように命じてください。そうでないと、(イエスの)弟子たちが(墓に)来て、彼(イエスのからだ)を盗み出して、『(神の御子イエスは)死人の中からよみがえった。』と民衆に言うかもしれません。
そうなると、この惑わしのほうが、前のばあいより、もっとひどいことになります。(自分を神の子であるとするナザレのイエスは、民衆の心を自分になびかせ、民衆を惑わしました。それで、神を汚す冒瀆の罪によって処刑したではありませんか。それが、イエスの弟子たちがイエスのからだを墓から盗み出して、ユダヤ人たちが処刑したイエスが三日目に墓からよみがえった、などと民衆に言うならば、ナザレのイエスは本当に神の御子キリストであったとして、処刑した祭司や指導者たちを訴えて民衆は騒ぎ、暴動を起こすでしょう。ですから、弟子たちが盗むことができないようにして、墓の入口の石に封印し、三日の間墓の番をする者を置いてください)」(マタイ27:63,64)
それを聞いたピラトが祭司たちの要望を聞き入れたので、祭司たちは、イエスの墓へ行って、石に封印し、番兵が墓の番をしていたのです。
墓に納められたイエスのからだは、人手によらず、神の御力によって、墓からよみがえりました。
イエスの弟子たちに盗まれたのではなく、イエスのからだは、肉のからだから御霊のからだに生まれ変わりました。聖霊の御力により、死から新しいいのちで生まれたのです。新しいいのちは、御霊のいのちであり、永遠のいのちです。
週の初めの日(日曜日)に、マグダラのマリアとヤコブの母マリアとサロメとは、朝早くまだ暗いうちに、イエスのからだに油を塗るために、イエスの墓に来ました。そして、墓から石が取りのけてあるのを見ました。
「あれほど大きな石だったのに、その石がすでにころがしてあった。
それで、墓の中にはいったところ(その当時の墓は、岩をくりぬいた空間に、遺体を寝かせてありました。人は、墓にはいって、遺体に香油を塗っていたのです)、まっ白な長い衣をまとった青年(神の使い)が右側にすわっているのが見えた。彼女たちは驚いた。
青年は言った。『驚いてはいけません。あなたがたは、十字架につけられたナザレ人イエスを捜しているのでしょう。あの方はよみがえられました。ここにはおられません。ご覧なさい。ここがあの方(神の子羊イエス)の納められた所です。
ですから行って、お弟子たちとペテロに、「イエスは、あなたがたより先にガリラヤへ行かれます。(イエスが)前に言われたとおり、そこでお会いできます。」とそう言いなさい。』
女たちは、墓を出て、そこから逃げ去った。すっかり震え上がって、気も転倒していたからである。」(マルコ16:4-8)
マグダラのマリアは走って、シモン・ペテロと、ヨハネの所に来て、言いました。
「だれかが墓から主(イエスのからだ)を取って行きました。主をどこに置いたのか、私たちにはわかりません。」(ヨハネ20:2)
そこで、ペテロとヨハネは、外に出て行って、イエスの墓のほうへ走って行きました。
先に着いたヨハネは、からだをかがめて墓の中をのぞき込み、イエスのからだを包んだ亜麻布が置かれてあるのを見ました。
後に着いたペテロは、イエスの墓の中にはいり、亜麻布が置いてあって、イエスの頭に蒔かれていた布切れは、亜麻布といっしょにはなく、離れた所に巻かれたままになっているのを見ました。
ペテロとヨハネのふたりは、(世の罪を取り除く神の子羊の血を流した神の御子)イエスが死人の中から甦らなければならないという聖書を、まだ理解していませんでした。
女たちは墓の中にイエスのからだがなかったことを使徒たちに話しましたが、使徒たちには、この話はたわごとと思われたので、彼らは女たちを信用しませんでした。
マグダラのマリアは、ペテロとヨハネが帰った後も、墓の外にたたずんで泣いていました。
「そして、泣きながら、からだをかがめて墓の中をのぞき込んだ。
すると、ふたりの御使いが、イエスのからだが置かれていた場所に、ひとりは頭のところに、ひとりは足のところに、白い衣をまとってすわっているのが見えた。
彼ら(御使いたち)は彼女(マグダラのマリア)に言った。『なぜ泣いているのですか。』
彼女は言った。『だれかが私の主(イエスのからだ)を取って行きました。どこに置いたのか、私にはわからないのです。』
彼女はこう言ってから、うしろを振り向いた。すると、イエスが立っておられるのを見た。しかし、彼女にはイエスであることがわからなかった。(復活のからだのイエスの顔は、肉体で生きていた時のイエスの顔ではなかったようです)
イエスは彼女に言われた。『なぜ泣いているのですか。だれを捜しているのですか。』
彼女は、それを園の管理人だと思って言った。『あなたが、あの方(イエスのからだ)を運んだのでしたら、どこに置いたのか言ってください。そうすれば私が引き取ります。』
イエスは彼女(マグダラのマリア)に言われた。『マリア。』(「マリア」を呼ぶその呼び方によって、イエスだとわかりました)
彼女は振り向いて、へブル語で、『ラボニ(すなわち、先生)。』とイエスに言った。
イエスは彼女に言われた。
『わたしにすがりついてはいけません。わたしはまだ父のもとに上っていないからです。わたしの兄弟(弟子たち)のところに行って、彼らに「わたし(死から甦ったキリスト・イエス)は、わたしの父またあなたがたの父、わたしの神またあなたがたの神(いのちの根源であられる生けるまことの神、天の御座におられる方)のもとに上る。」と告げなさい。』
マグダラのマリアは、行って、『わたし(マグダラのマリア)は主(イエス)にお目にかかりました。』と言い、また、主(イエス)が彼女(マグダラのマリア)にこれらのことを話されたと弟子たちに告げた。」(ヨハネ20:11-18)
死から甦り、墓から復活したイエスが、最初に会われたのは、マグダラのマリアでした。それゆえ、マグダラのマリアは、イエスの妻であったと考える人たちがいます。
しかし、イエスは地上に何も残しておられません。
十字架の上から、母マリアを弟子のヨハネの母親とし、使徒ヨハネをマリアの息子とされたイエスです。ご自身に関わる家族を地上に持っておられませんでした。
神は、イエスを「メルキゼデクの位に等しい大祭司」と称え、イエスに従うすべての人々に対して、とこしえの救いを与える者とされたのです。
神のひとり子イエスをイスラエルに遣わされた神は、御救いのみわざを成し遂げて、聖霊の御力により復活した「キリストの御霊」によって、彼らに「永遠のいのち」を得させられるのです。
神は、神の子羊イエスに言われます。
「あなたは、とこしえに、メルキゼデクの位に等しい祭司である。」(へブル5:6)
メルキゼデクは、父もなく、母もなく、系図もなく、その生涯の初めもなく、いのちの終わりもなく、神の子に似た者とされ、いつまでも祭司としてとどまっています。
イエスもまた、地上に何も残しておられないのです。
「さて、週の初めの日(日曜日)の朝早くによみがえったイエスは、まずマグダラのマリアにご自分を現わされた。
イエスは、以前に、この女から七つの悪霊を追い出されたのであった。」(マルコ16:9)
マグダラのマリアが、「罪深い女」と呼ばれるのは、七つの悪霊に憑かれた女だからです。イエスは、この女から七つの悪霊を追い出されました。
彼女は、イエスの弟子となって、イエスに仕える者となりました。
イエス・キリストの黙示を告げられたヨハネが見た天上のキリストは、七つの金の燭台(七つの御霊の教会)の真中に立ち、右の手の中には七つの星(七つの御霊の教会の御使いたち)がありました。
キリストは言われました。
「恐れるな。わたしは、最初であり、最後であり、生きている者である。(神の子羊イエスは、第二のアダムの最初であり、(最初のアダムではなく)最後のアダムであり、永遠に生きている者である)わたし(神の子羊イエス)は死んだが、見よ、いつまでも生きている。また、(神から主権とキリストの権威と国を受けたキリスト・イエスは)死とハデス(火の池)との鍵を持っている。」(黙示1:17,18)
キリストは、七つの御霊の教会の主権者です。そして、七つの御霊の教会を治める王です。キリストの国は、七つの御霊の教会とともにあります。
マグダラのマリアは、七つの悪霊に憑かれた罪深い女でした。七つの教会のどの教会にも属する事ができない「罪人」でした。七つの教会のどれにも属さない者は、死とハデスの鍵を持つキリストの主権によって、永遠の死に定められます。
すなわち、マグダラのマリアは、救いようのない罪人だったのです。いのちの書に名前の記されていないユダヤ人でした。
しかし、「わたしが来たのは、義人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためである。」と言われるイエスは、マグダラのマリアから七つの悪霊を追い出されました。
いのちの書に名前のなかったマグダラのマリアは、イエス・キリストの赦しと愛により、永遠のいのちを受ける神の子どもとされたのです。
復活したイエスが、まずマグダラのマリアにご自分を現わされたことは、キリストと七つの御霊の教会の関係を象徴していると思います。
七つの悪霊を追い出されたマグダラのマリアの、霊の解放と御霊の自由の喜び、またイエスへの愛は、だれにも奪われることがありません。マグダラのマリアをキリストの愛から引き離すものは何もないのです。
七つの御霊の教会は、信仰によって勝利する人たちです。それは、私たちを愛してくださったイエス・キリストの愛から離れることができなかった人たちです。
こうして、世が終わり、千年王国が始まると、キリストと七つの御霊の教会(永遠のいのちを得させられた信仰の勝利者たち)とは、顔と顔を合わせることとなるのです。