「罪の報酬は死です。」(ローマ6:23)
罪の始まりは何でしたか。罪の根源は何でしょう。罪の根源は、霊界にありました。人間の目には見えない、霊の世界にあったのです。
神に仕える天使長の中に芽生えた妬みが起点です。
「暁の子、明けの明星」と呼ばれる天使長は、神のひとり子に妬みを持ちました。神のひとり子の前に、分を超えました。御子と自分と何が異なるのだろうか、と思ったのでしょうか。自分のほうがすぐれていると思ったのでしょうか。
天使長は、御使いの立場と神のひとり子の立場の境界線を越えました。
美しく輝き力ある天使長は、神のひとり子の神格を妬みました。神格を持つ神の御子ゆえに、天の相続者はこの神のひとり子であり、天使長は、全能者であられる父なる神に仕えるように、子なる御子にも仕えなければなりません。
神が愛なるお方であることを知る天使長に、疑いが生じました。愛なる神は、すべてのものを平等に愛されるべきだ、と。神の公平ということを学んでいなかったのです。
天使長の不義は、神のひとり子に敵対し、神に反逆しました。
神は、神に逆らい、愛を汚す天使長を天から追放されました。
いと高き方(神と御子と聖霊の神)のようになろう、と企てたからです。
神は、堕天使長に、陰府(よみ)と、投げ入れる穴とを用意されました。
堕天使長と彼に従う堕天使たちは、天から追放されて、闇に落ちました。そして、堕天使たちは、悪魔と悪霊どもに姿を変えたのです。
神は、悪魔と悪霊どものために、永遠に燃え盛る火の池を用意されています。悪魔と悪霊どもには、裁きが定まっているからです。
彼らは、天を二分しました。神と御子に使える天使たちと、神に背き御子に敵対する堕天使とに、分けたのです。光と闇とに分けました。
私は想像します。
闇の世界に、神は「光あれ。」と命じて、悪魔に苦しめられているほかの堕天使たちを救うための、御救いのみわざを始められました。
神は、漆黒の闇に、青く光るいのちの星「地球」を造られました。
堕天使たちの救済のために「エデンの園」を設けられました。エデンの園には、いのちの木がありました。天から追放して、神から外れた堕天使たちに悔い改めの機会を与えて、いのちを得させ、再び天に回復するためでしょう。
しかし、悪魔は、自分が引き寄せていっしょに天から落ちた堕天使たちを神のもとに返すことを憎んでいます。堕天使たちは、神のひとり子に敵対する悪魔に仕えるべきです。神のひとり子に仕える天使にするわけにはいきません。
おそらく、悪魔は、いのちの木に毒気を与えて善悪を知る知識の木としたでしょう。善悪を知る知識の木は、神のように賢くする実をみのらせます。神に仕えなくてよいのです。自分自身が神のようになるのですから。
神は、悪魔が毒気を入れていのちの木の役目が果たせなくなったその木に代わって、悪魔に害されない、神の全き善によって守られたいのちの木を置かれたのでしょう。
闇の王者の悪魔は、エデンの園にも自由に行き来していました。神は、エデンの園の管理者として、神に似せて造った「人」を置かれました。
人は、神のひとり子に高ぶる堕天使とは異なります。神のひとり子(神のことば)とともにありました。
しかし、悪魔は狡猾な蛇の口に悪魔の言葉を授けて、エバを騙し、毒気の入った善悪を知る知識の木の実を食べさせました。
悪魔は、アダムがエバにそそのかされて、ともに罪に陥ることを知っていたようです。アダムに働きかけなくても、エバを落とせば、アダムもともに落ち、「人」は神に背く者となることを知っていたのでしょう。
「アダムは惑わされなかったが、女は惑わされてしまい、あやまちを犯しました。」(テモテ第一2:14)
女は、悪魔にだまされ、蛇の言葉を信じて、死を選びました。
男は、女の声に誘惑されて、女と一体となって、死に落ちました。
神は、人に「善悪の知識の木から取って食べてはならない。それを取って食べるその時、あなたは必ず死ぬ。」(創世記2:17)と仰せられました。
神のことばどおり、アダムが食べると、霊の目は閉じ霊の耳はふさがり、いのちの根源であられる神との交わりを失い、死ぬ者となりました。
アダムとエバは、エデンの園から追放されました。
天から追放された堕天使たちの陰府が、神のことばに背いていのちの神から外れた「罪人」を迎えました。
アダムは、罪の報酬を受けました。罪の報酬は死です。
人間は、解決できない苦悩にうめき、生老病死の悩みからの解放を捜し求めて来ました。これは、人類の普遍の探求でした。
神は、新しい救いの道を設けられました。
神は、まず、救いの道を設ける「神のひとり子」を遣わすための民族(神の祭司の国民イスラエル)を造られました。
そして、神のひとり子に肉体を造り、神の祭司の国民イスラエルの中に、「人の子」として遣わされました。
神の御子イエスは、ご自分をユダヤ民族にお与えになりました。ユダヤ民族に、父なる神について、天の御国について、永遠のいのちについて、聖霊について教えられました。霊とまことによって礼拝する「霊なる神」を教えられたのです。
神の御子イエスは、罪人の罪を贖うため、また、永遠のいのちを得させるために遣わされました。
神の子羊イエスは、アダムがエデンの園で食べた「善悪の知識の木の実」の毒気を取り除き、罪を取り除くために、十字架で血を流されました。
イエスの贖いの血を受け、罪を言い表わして赦しを請うならば、神は赦し、義とされます。神は、義とした者に、罪を見つけられません。
罪が赦された者は、罪の報酬を受け取らなくて良いのです。罪の報酬の死から解放されます。
こうして、神は、反逆者である悪魔と悪霊どもに用意された、陰府(よみ)と投げ入れる穴から、その魂を救い出してくださいます。
蛇の言葉に従い善悪を知る知識の木の実を食べて、神のことばに背いた罪は赦されます。神に義とされた人は、神のひとり子に敵対する悪魔につく者ではなく、神のことばを語る神のひとり子(イエス・キリスト)につく者となったのです。
悪魔の言葉に従って死ぬ者ではなく、神の御子のことばによっていのちを得る者とされたのです。
神は、いのちにふさわしい者として整えられた人に、死から甦られた神の子羊イエス・キリストの御霊を授けられます。神の御子(神のことば)と繋がる魂は、真理の御霊の住まいとなります。
罪が贖われた者の恵みです。罪が贖われていないまま、御霊を求めても、受けられません。
真理の御霊は、神のことばにへりくだり、自我を捨て神の主権にへりくだる者、神と和解する者、すなわち、神のひとり子に妬みを持って敵対する悪魔の言葉を避ける人、神のことばを語る神の御子イエスにつく人に、与えられる神の賜物なのです。
「罪から来る報酬は死です。
しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです(キリストの御霊である【真理の御霊】です)。」(ローマ6:23)
父なる神が約束してくださった「もうひとりの助け主」である真理の御霊を受けるならば、御霊がともに住まわれて、真理を教え、いのちの道へと導いてくださいます。
悪魔の言葉は、神の御子イエス・キリストに逆らう、反キリストのことばであり、死に向かわせます。反キリストの霊が導く先にあるのは、永遠の死です。
御霊のことばは、神に従順な神の御子イエス・キリストのことばであり、いのちを与えます。御霊は、永遠のいのちだからです。
生まれながらの肉の人は、罪の報酬の死に向かっています。
肉に死んで御霊によって新しく生まれる新しい人は、神の下さる賜物である「真理の御霊」すなわち、永遠のいのちを得させられて、天の御国に向かっています。
私たちは、だれも死を望んではいません。
地上に生命がある今は、恵みの時です。
罪の報酬の死を、私たちの代わりに受けてくださった神のひとり子イエス・キリストを知り、神に立ち返るチャンスがあります。
神との和解の時は、まだ、残されています。
心静かにして、魂の声を聞き、魂の願いに素直に従いましょう。
現在ある地位も名誉も財産も、永遠のものではありません。魂の保証とはなりません。
罪が赦された解放と自由が、私たちに真の喜びを与えます。
魂の故郷に帰り、永遠の安息を得るために、魂を生かすことに焦点を合わせて備えましょう。