ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

人類は二種類しかいない

 

 ある時、テレビで言っていました。

 AIロボットに「人類は二種類しかいない。」と言われたので、「それは何と何か。」と尋ねたところ、答えがなかったとのこと。

 男と女か?何だろう?と思案しているのを見て、私はすぐに思いました。

 「天国に行く人と、地獄に行く人の二種類だ」と。

 

 それまでは、そのような考えに至ることはありませんでした。

 言語の違い、国の違い、民族の違い、肌の色の違い、血統の違い、そのような多様な細かい区分はないのです。

 ただ、その魂がどこに向かっているのか、ということなのだと思いました。

 

 地上の生命は仮の姿。

 魂には、肉がないのです。すなわち、血統も言語も肌の色の違いも、肉体の話です。

 肉体は、生命の完了とともに、土にかえります。しかし、うちにある魂は、もとのところへ帰ります。

 

 魂は、幾度も転生しているかもしれません。いろいろな人生を通して様々な学びを積み上げながら魂は成長して来たのでしょう。

 魂の姿に戻ると、そのことを理解できるのかもしれませんが、肉体を着ると、魂の学びのことを忘れて、何のために生まれて来たのかわからなくなるのでしょう。

 すべての魂は、これを繰り返していると思われます。

 

 しかし、いよいよ、世の終わりの時が近づくと、魂の学びと訓練は最終段階にはいり、最終的にどちらを選ぶのかを問われると思います。その選択によって、魂の永遠の住まいが定まるのでしょう。

 

 永遠の住まいは、神に定められるのではなくて、神の猶予の期間に、自分自身で選んだ道に応じて、行き着く先が決められるようです。

 定めるのは神ですが、決めるのはその人のうちにある魂です。神は、魂が選んだものを尊重されます。

 

 人には、自由意思があります。神が、人間を、一方的に支配される者ではなく、神と交わりを持つ者として造られたからです。

 それゆえ、神は、アダムを、善悪を知る知識の木の実を食べることのできない者として造られたのではありません。自由意思を持つアダムに、「食べてはいけない。食べるその時、必ず、死ぬ。」と、神のことばをお与えになりました。

 

 アダムは、善悪を知る知識の木の実は食べてはいけない物として知りました。また、「その実を食べるその時、必ず、死ぬ。」という神のことばによって、アダムは、善悪を知る知識の木の実は、自分にとって害のある物であると理解しました。

 

 神にとって、アダムが善悪を知る知識の木の実を食べなければ、それで十分でした。

 しかし、アダムには、弱点がありました。アダムの肉から取られたエバの存在です。

 エバは、アダムの良き助け手となるために、神がアダムの肉からアダムのために造られた女です。

 

 アダムはエバを愛しました。己のごとく愛しました。それゆえ、エバが蛇の言葉を信じ神のことばに背いて、善悪の知識を知る木の実を食べた時、「必ず、死ぬ」という神のことばの重みよりもエバを失うことの痛みに動かされて、アダムは自分も食べて、結果的に死を選びました。エバとともにあることを選んだのです。

 アダムは、神のことばではなく、目の前にいる妻エバの声に聞き従ったのです。

 

 アダムは、自分を造ってくださった神の御声から離れ、自分の肉から取られた一体の妻エバの声と結ばれました。

 アダムは、神が自分のために造ってくださったエバを己のごとく愛し大切なものとしていたのです。神に背く結果になりましたが、神が造ってくださったエバ「アダムの骨の骨、肉の肉の女」を切り離すことができませんでした。エバは、アダムの一部なのです。ふたりで一体なのですから。

 

 さて、神は、人を、御子のために、御子とともに造られました。神のひとり子のために、人は造られていたのです。しかし、意思を持つ人は、神のことば(神の御子)から離れて、エデンの園から追放されました。

 

 かつて、神の御子を妬む天使長は、神の御子に逆らい、天から追放されました。

 神にとって、神の御子は愛するひとり子です。父なる神は、御自分のひとり子を愛しておられ、御子に仕える御使いたちを満足しておられたことでしょう。天には、秩序を乱す者はなく、すべてのものは、おひとりの神の愛に包まれて調和しており、平和でした。

 

 しかし、神の御子に妬みを持って、天の秩序を乱す天使長が現れたのです。この天使長の存在は、パン種のようです。その悪意は、天使たちに広がり、神への反逆へと膨らみました。

 神は、悪意のパン種を、天から取り除かれました。

 神の御子に敵対する堕天使たちは、天から追放されて、悪魔と悪霊どもとなりました。

 

 天は一度大きく揺らぎました。

 その揺らぎの中で、神の御子に悪意を持っていない天使たちまでもが、天使長に率いられて出て行きました。

 悪霊とならなかった堕天使たちも大勢います。

 現在地球に交信して来る地球外生命体(宇宙人)も堕天使であると思います。

 

 人が造られた目的は、エデンの園を管理するためでした。

 また、神は、御子のために、御子とともに、「人」を造られた、と聖書にあります。神は、神のひとり子の良きパートナーとして、人を造られたように思います。

 

 ところが、アダムの精神の一部として造られたエバの不義によって、人は、神の御子の良きパートナーとしての役目を失いました。

 アダムを脳で判断する者、人の理性として捉え、エバを心で判断する者、人の感情として捉えるならば、一体の人は、感情に引きずられて理性を失い、とうとう、神の御子(神のことば)に繋がっていた善に関わる正しい心がわからなくなってしまいました。

 神のことばから外れた人は、神の御子を失いました。

 

 神の御子に逆らう堕天使長によって混乱があった天の闇に、悪魔からの救いを求める堕天使たちを救うために、天地万物を創造されたように、私は思います。その救いの働きを担当する神の御子の良きパートナーとして、人を造られたと思います。

 

 しかし、御子に敵対する悪魔の言葉(蛇の言葉)に従った人は、御子の良きパートナーであるどころか、御子を裏切る者となりました。そして、御子に殺意を抱く御子の敵に捕らえられてしまったのです。

 

 御子の良きパートナーとして、御子のために造られた人は、人が存在する目的に対して自ら背きました。それゆえ、人は存在する意味を見失ってしまいました。

 御子のために、御子とともに造られた人は、御子から離れると、いのちがわからなくなり、生きる意味も、存在する理由も見失ってしまったのです。

 

 生きる意味なんてない、という考えや、存在する理由なんて考える価値があるのか、という考えに汚染されています。

 

 しかし、人を造られた神は、人が存在する意味も目的も変えておられません。

 アダムが、死ぬことを知りながら、エバを愛したように、神の御子もまた、ご自分の死を知りながら、罪に落ちた罪人を愛されました。

 

 神は、人の役目を取り除いておられません。

 神の御子とともにエデンの園を管理する務めを、人に託しておられます。

 

 神は、人に、神のひとり子をお与えになりました。

 神の御子は、人と同じように肉体をまとい、「人の子」として地上に生まれなさいました。

 愛する「人」を死から救い出すため、また、悪魔に勝利して、神の御子とともに、いのちの木のある国の管理者とするために、十字架で世の罪を取り除く罪の贖いの血を流して、死の国に下り、神の子羊イエスの血で、死者の魂を買い戻されたのです。

 

 神の子羊イエスは、死と悪魔に勝利して、死から甦り、御霊によって生まれる神の子どもの初穂となられました。

 人は、神の御子のために造られていたのです。

 神の御子に繋がり、神と和解する魂は、平安を取り戻します。あるべき姿に戻るからです。本来の姿にかえるのです。そして、千年王国で、キリストとともに世界を治める王となります。

 神の御子イエス・キリストとともに、エデンの園の回復と呼ばれる千年王国を支配する管理者の務めを果たすのです。

 その都には、いのちの木があります。

 

 天は、巻き物が巻かれるように消えてなくなります。

 あらゆる天体にいた生命体はみな、地球に集められます。そして、人に管理された千年王国で、いのちの木の実を食べる恵みの時を持つのでしょう。

 

 終わりの時が近づいた今、来るべき千年王国で、神の御子イエス・キリストとともに、千年王国の管理者となる人と、いのちの木の実を食べることのできない人とに分かれます。

 

 人は、神のひとり子の良きパートナーとなるために造られた、と私は思います。

 神の御子に繋がり、神の目的どおりの役目を担う魂は、キリストの御霊によって新しく造り変えられた「新しい人」です。新しい創造の第二のアダムです。

 御霊によって生まれ、新生した新しい人、すなわち、永遠のいのちを得させられる信仰の勝利者たちです。

 

 もう一方で、真理を悟ることなく、神の御子に敵対する悪魔とともにいる者、反キリストの霊を飲む者、神に逆らう者たちは、いのちの木の実を食べることが許されません。彼らの罪は永遠に残り、悪魔のはいる穴に投げ込まれます。

 

 世の終わりに、人は、肉のままの「アダム」と、御霊によって新生し新しい創造を受ける「第二のアダム」とに分かれるのでしょう。