「主は、約束されたとおり、サラを顧みて、仰せられたとおりに主はサラになさった。」(創世記21:1)
主の御使いは、アブラハムに言っていました。
「わたしは来年の今ごろ、必ずあなたのところに戻って来ます。そのとき、あなたの妻サラには、男の子ができている。」(創世記18:10)
アブラハムの妻サラは、子のないまま閉経した八十代の不妊の女です。
御使いのことばを聞いた時、サラは心の中で笑って言いました。「老いぼれてしまったこの私に、何の楽しみがあろう。それに主人も年寄りで。」(創世記18:12)
サラは、自分に子どもを宿す力がないのを知って、自分の女奴隷のハガルを夫アブラハムに与えて、アブラハムの子どもを得たのです。ハガルが産んだイシュマエルは、間違いなくアブラハムの血を引く子どもです。
サラは、アブラハムに跡取りができた安堵と、神がアブラハムにお与えになった契約と祝福を受け継ぐ子どもの母ではない悲しみを持つ女でした。
神は、アブラハムに、アブラハムの子孫について希望に満ちた約束をされました。しかし、ひとりの子もいないアブラハムにとって、ぼんやりとした希望です。
多くの国民の父となると仰せられても、アブラハムの血を引く子どもはひとりもいなかったからです。アブラハムは八十代、妻サラは七十代。
年を追うごとに、希望の光は薄れていきます。とうとう、サラとアブラハムは、自分たちで答えを出しました。若い女奴隷に、アブラハムの子どもを産ませることです。
神は、彼らの計画を黙認されました。それで、アブラハムは、女奴隷の子イシュマエルを得たのでした。
神の沈黙は長いものでした。
子孫の約束を得てから、なんと二十年以上経って、やっと、語り始められました。
アブラハムも、サラも、その沈黙に耐えきれませんでした。それで、自ら沈黙を破り、子どもを手に入れたのでした。
サラが九十歳になろうとする年に、神はアブラハムに仰せられました。
「わたし(主)は(アブラハムの妻)サラを祝福しよう。確かに、彼女によって、あなたにひとりの男の子を与えよう。わたしは彼女(サラ)を祝福する。彼女は国々の母となり、国々の民の王たちが、彼女から出て来る。(サラの産むひとりの男の子から、アブラハムの子孫を与えよう)」(創世記17:16)
イシュマエルの存在は、神の御計画の外のことでした。サラとアブラハムの計画によって実現しただけです。神の御旨は、人間の願いによって生まれた肉の子イシュマエルにはありませんでした。
アブラハムは、神のことばがすぐには呑み込めませんでした。目の前には、すでにイシュマエルというわが子がいるのです。イシュマエルを自分の跡取りとして愛情をかけて大事に育ててきたことでしょう。跡取りへの愛と期待は、ひとり子のイシュマエルとともにありました。
アブラハムは、サラから生まれる子どものことを聞いたとき、喜びよりも、自分の子イシュマエルのことを心配しました。
今まで、跡取りとして大切に養い育てて来たひとり息子のイシュマエルをも祝福してほしいと願ったのです。
すると神は仰せられました。
「いや(そうではない。その子〈女奴隷の子イシュマエル〉はアブラハムの跡取りではない)、あなたの妻サラが、あなたに男の子を産むのだ。あなたはその子をイサクと名づけなさい。わたしは(不妊の女サラの胎内に人知を超えた御力によって宿す)彼(イサク)とわたしの契約(アブラハムに与えた契約)を立て、それを彼(イサク)の後の子孫のために永遠の契約とする。
イシュマエルについては、あなた(アブラハム)の言うことを聞き入れた。確かに、わたしは彼(イシュマエル)を祝福し、彼の子孫をふやし、非常に多く増し加えよう。彼は十二人の族長たちを生む。わたしは彼(イシュマエル)を大いなる国民としよう。
しかしわたしは、来年の今ごろサラがあなたに産むイサクと、わたしの契約を立てる。」(創世記17:19-21)
イシュマエルは、神の御計画の外の子どもです。アブラハムの跡取りではありません。アブラハムの跡取りは、アブラハムに契約を与えた神御自身が用意されるのです。
しかし、神は、アブラハムの願いを聞き入れて、アブラハムの跡取りではない女奴隷の子イシュマエルをも祝福すると約束されました。それは、数を増やして大いなる国民とすることです。
カナンの地の土地の契約も、アブラハムの祝福の契約も、神がアブラハムの妻サラに身ごもらせたイサクのものです。イサクは、神御自身がお定めになったアブラハムの相続人なのです。
さて、神の約束どおり、百歳になったアブラハムに、九十歳の妻サラがイサクを産みました。アブラハムは、神がアブラハムに命じられたとおり、その子を「イサク」と名づけ、八日目に割礼を施しました。
アブラハムは、愛する妻サラによって、神の契約の跡取り息子を得たのでした。
サラは喜びに満ちて言いました。
「だれがアブラハムに、『(不妊の女の)サラが子どもに(自分の)乳を飲ませる。』と告げたでしょう。ところが私は、あの年寄りに子を産みました。」(創世記21:7)
神のことばは真実です。人の思いを越えて、不思議な方法で実現されるのです。
人には、その時がいつかは知らされていません。それゆえ、信仰が揺らぎます。
神の時と、人の思う時とは異なります。しかし、神は仰せられたことを必ず成就されるのです。
「この幻は、なお、定めの時のためである。(今すぐではない。神の定められた時に実現する)それは終わりについて告げ、まやかしを言ってはいない。(必ず起こることを告げている)
もしおそくなっても、それを待て。(神の働かれる時を待ち望め)
それは必ず来る。(必ず起こる。実現の時は必ず訪れる)遅れることはない。(人には遅いと思われても、神はちょうど良い時に、神のことばを実現される。こうして、神は御自身の真実を現わし、御自身の栄光を現わされる)」(ハバクク2:3)
さて、アブラハムはイサクの乳離れの日に、盛大な宴会を催しました。
そのとき、サラは、エジプトの女ハガルがアブラハムに産んだ子(イシュマエル)が、自分の子イサクをからかっているのを見ました。
「それで(サラは)アブラハムに言った。
『このはしため(サラの女奴隷ハガル)を、その子(イシュマエル)といっしょに追い出してください。このはしための子(イシュマエル)は、私の子イサクといっしょに跡取りになるべきではありません。』
このことは、自分の子に関することなので、アブラハムは、非常に悩んだ。(跡取り息子のイサクがアブラハムの子ならば、最初に生まれたイシュマエルもアブラハムの子です。アブラハムにとって、ふたりとも、愛情をかけて育てた可愛いわが子なのです)
すると、神はアブラハムに仰せられた。
「その少年(イシュマエル)と、あなたのはしためのことで、悩んではならない。
(妻の)サラが言うことはみな、言うとおりに聞き入れなさい。イサクから出る者が、あなたの子孫と呼ばれるからだ。(イサクはアブラハムの子孫でありアブラハムの相続人です。しかし、イシュマエルはアブラムの子孫であってアブラハムの相続人ではないのです)
しかしはしための子も、わたしは一つの国民としよう。彼(女奴隷の子イシュマエル)もあなたの子だから。(イシュマエルに固執したのは、アブラハムの父親の情です。しかし、神はイシュマエルをアブラハムから引き離すことによって、アブラハムの約束の子ではないことを明らかにされました』」(創世記21:10-13)
こうして、イサクの乳離れした年に、女奴隷ハガルとその子イシュマエルは、アブラハムの家から送り出されて、荒野に住みました。
神の御計画には、アブラハムと妻サラとそのひとり子のイサクがありました。そして、イサクの子孫に、キリストを遣わす御計画をお持ちでした。
神は、神の御計画を成就させるために、神の御計画ではないものを排除されます。
サラにはわかりました。イシュマエルの存在は、イサクにお与えになる神の御計画の妨げになるであろうことを。
しかし、父親の情を持つアブラハムは、サラのようには簡単にイシュマエルを送り出すことができず、悩みました。
そこで、神御自身がアブラハムに、契約の子イサクと、アブラムの肉の子イシュマエルとを分離するように仰せられたのです。
神は、奴隷の女の胎内に宿ったイシュマエルに対して、「彼は野生のろばのような人となり、その手は、すべての人に逆らい、すべての人の手も、彼に逆らう。彼はすべての兄弟に敵対して住もう。」(創世記16:12)と仰せられました。
イシュマエルの子孫には神は平和を約束しておられなかったのです。イシュマエルは反逆の心を持ち、すべての兄弟に敵対し争う者なのです。
イシュマエルの子孫は、アラブ人と呼ばれています。彼らは、イスラエルに敵対するものとして定められました。
イサクについて、神は、「わたしは彼(イサク)とわたしの契約(神の契約)を立て、それを彼の後の子孫のために永遠の契約とする。」(創世記17:16)と仰せられました。
イサクの子孫は、イスラエル人と呼ばれています。彼らは、天地万物を造られた全能の神、唯一の生けるまことの神に仕える神の祭司の国民に定められていました。
神は、イサクの子孫を「アブラハムの子孫」と呼び、アブラハムに約束したカナン全土の相続人とし、キリストを生みすべての民族の祝福となる選びの民とされるのです。
アブラハムは、自分の子どもたちのことで、非常に悩みました。
しかし、神は悩まれません。迷うこともありません。イスラエルを祝福する者を祝福し、イスラエルを呪う者を呪うことを定めておられるからです。
アブラハムを悩ませた親の情は、歴史の中で、イスラエルを悩ませ続けています。ユダヤ人とアラブ人とは、アブラハムの因果の刈り取りを強いられているのです。