神はユダヤ民族に『聖書』をゆだねて、神の祭司の国民として召されました。聖書は、神の契約の書です。
神の契約には、しるしが伴います。
神に選ばれた信仰の父アブラハムは、契約のしるしとして肉体に割礼のしるしをしるされました。アブラハムの子孫は、肉体の割礼を義務づけることで、神の契約を受け継いでいます。
肉の割礼を持つアブラハムの子どもたちの中で、ユダヤ民族は、民族的救いの契約を持つ民族です。そのしるしとして、律法が与えられました。
律法は、神の民のしるしです。
割礼のしるしは、割礼の民と無割礼の民とを区別します。
また、律法の民は、律法を持たない民と区別されます。
無割礼の民は、ユダヤ民族にとって、異邦人です。
律法を持たない民、律法を守らない民は、神の民イスラエルに属しません。神の契約の民イスラエルから断ち切られるのです。すなわち、神の契約を取り除かれて契約から外されるのです。
イスラエルとは、信仰に勝利する神の民です。神の御前で生きる神の民です。
律法を教えるユダヤ人たちは、律法を守らないユダヤ人はたとい血肉の兄弟ユダヤ人であってもユダヤ人ではなく、また、律法を守るユダヤ教徒はたとい異邦人であってもユダヤ人と考えます。割礼と律法が、神の民のしるしなのです。
パウロは人目に隠れたユダヤ人について言及しています。
「律法を守るなら、割礼には価値があります。しかし、もしあなたが律法にそむいているなら、あなたの割礼(肉体のしるし)は、無割礼になったのです。
もし割礼を受けていない人が律法の規定を守るなら、割礼を受けていなくても、割礼を受けている者(神の民)とみなされないでしょうか。
また、からだに割礼を受けていないで律法を守る者が、律法の文字と割礼がありながら律法にそむいているあなたを、さばくことにならないでしょうか。(神の律法を所有する選びの民であるユダヤ人が、割礼のしるしを受けていながら、律法を破っているのですから)
外見上のユダヤ人(肉体に割礼のしるしを持つユダヤ人)がユダヤ人なのではなく、外見上のからだの割礼(肉の割礼)が割礼なのではありません。
かえって人目に隠れたユダヤ人がユダヤ人であり、文字ではなく、御霊による、心の割礼こそ(神と契約を結ぶ者のしるしの)割礼です。(内面がユダヤ人である者こそユダヤ人であり、文字ではなく"霊"によって心に施された割礼こそ〈永遠に価値ある永遠の契約のしるしである真実な〉割礼なのです)
その誉れは、人からではなく、神から来るものです。(神の子、神の民としての誉れは、人から与えられるものではなく、裁き主なる神御自身によって与えられます。人の判断と神の定めとは異なります)」(ローマ2:25-29)
イエスは、イエスにキリストであるしるしを求めるユダヤ人たちに言われました。
「悪い、姦淫の時代(神を神とせず、自分の義に立って歩む不義の時代)はしるしを求めています。だが(イエスがキリストであるしるしは)預言者ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられません。
ヨナは三日三晩大魚の腹の中にいましたが、同様に、人の子(キリスト)も三日三晩、地の中にいるからです。(キリストのしるしは、三日三晩墓の中に納められた後に、死から甦ることです)
(イスラエルの敵国であるアッシリアの)ニネベの人々が、裁き(最後の裁き)のときに、今の時代の人々とともに立って、この人々(神がイスラエルに遣わされた「ユダヤ人の王」すなわち、神のひとり子イエス・キリストを信じなかったユダヤ人たち)を罪に定めます。なぜなら、ニネベの人々はヨナの説教で悔い改めたからです。(しかし、ユダヤ人たちは、神の子羊イエスが死から甦った後で、イエスの弟子たちがイエスがキリストであることを宣べ伝えてもイエスを信じず、また、神の御子キリスト・イエスを十字架につけたことを悔い改めることもせず、イエスの弟子たちを迫害するのです)
しかし、見なさい。ここにヨナよりもまさった者(魂の救い主イエス・キリスト)がいるのです。
南の女王が、裁きのときに、今の時代の人々とともに立って、(不信仰な)この人々を罪に定めます。なぜなら、彼女はソロモンの知恵を聞くために地の果てから来たからです。(南の女王は異邦人であるのに、ソロモンとともにおられる神の噂を聞き、地の果てから来て、神がお与えになったソロモンの知恵を見聞きし、神の栄光をたたえる者です。このように、神の栄光にひれ伏す者が永遠のいのちにふさわしいのです)
しかし、見なさい。ここにソロモンよりもまさった者(神の知恵を持つ神の御子イエス・キリスト)がいるのです。」(マタイ12:39-42)
『聖書』をゆだねられたユダヤ人たちは、聖書に預言されていた救い主キリストがイスラエルに来られたのに、悟ることができませんでした。文字の律法に霊が覆われ思いの暗くなった彼らは、目の前のナザレのイエスを自分たちの知識の物差しで測って、信じなかったのです。
神は、ユダヤ人に与えた契約を破棄されました。神は、律法を守れないユダヤ人たちの違反の呪いを神のひとり子に着せて十字架で罰せられたのです。それゆえ、律法は古いものとなりました。神の子羊イエスがおひとりで、律法を完成され、聖書の預言を成就されたからです。
神の御子イエスは、天の御国にはいるための、新しい律法をお与えになりました。
天の御国にはいるのは、肉体の人間ではありません。聖とされる魂です。それゆえ、天の御国にはいる新しい契約には、肉の割礼のしるしは無効となります。肉体に持っていたしるしは、肉体の滅びとともに永遠に消え去るものだからです。
主は言われます。
「見よ。その日が来る。―主の御告げ。―その日、わたし(主)は、イスラエルの家(北イスラエル王国の十部族)とユダの家(南ユダ王国の二部族)とに、新しい契約を結ぶ。(二部族と十部族の二つに引き裂いたユダヤ民族を、一つの新しい契約によって、一つのイスラエル王国に回復させる)
その契約は、わたしが彼ら(ユダヤ民族)の先祖の手を握って、エジプトの国から連れ出した日に、彼らと結んだ契約のようではない。わたしは彼らの主であったのに、彼らはわたしの契約を破ってしまった。(ユダヤ民族は律法を守ることができなかった)―主の御告げ。―
彼らの時代(不信仰と不従順のユダヤ民族の不義の時代)の後に、わたしがイスラエルの家(ユダヤ民族)と結ぶ契約はこうだ。―主の御告げ。―わたしはわたしの律法(文字の律法ではなく、神のことばを思い起こし真理を知らせる聖霊)を彼らの中に置き、彼らの心にこれを書きしるす。(真理の御霊が契約のしるしとなる新しい律法である。御霊のいのちが永遠のいのちである。御霊を持つ者は永遠のいのちを持ち、御霊を持たない者は永遠のいのちを持たない。天の御国にはいるのは、永遠のいのちを持つ者たちである)
そのようにして、(新しい契約のしるしである「真理の御霊」すなわち、キリストの御霊を持つ)人々はもはや、『主を知れ。』と言って、おのおの互いに教えない。それは、(おのおの内に宿す「真理の御霊」に教えられる)彼らがみな、身分の低い者から高い者まで、わたし(天の父なる神、すなわち、神の御子イエス・キリストの父)を知るからだ。
―主の御告げ。―わたしは彼ら(御霊を宿す神に愛された魂)の咎を赦し、彼らの罪を二度と思い出さないからだ。』」(エレミヤ31:31-34)
天の御国には、御霊を宿す神の子の魂が集められます。
イエスは助けを求めて来る異邦人に言われました。
「わたしは、イスラエルの家の滅びた羊以外(ユダヤ人以外の人)のところには遣わされていません。」(マタイ15:24)
イエスは、ご自分を遣わされた父なる神に忠実でした。ご自身の人情で、何かをされることはありませんでした。御父の御旨の中を歩まれたのです。
イエスは、十二人の弟子たちを遣わす時、彼らに命じられました。
「異邦人の道に行ってはいけません。サマリヤ人(異邦人と混血してイスラエルの道から外れたユダヤ人)の町にはいってはいけません。
イスラエルの家の滅びた羊(神の民)のところへ行きなさい。行って、『天の御国が近づいた。』と宣べ伝えなさい。」(マタイ10:5,6)
イエスの宣教は、ユダヤ人に向けられていたのです。
御救いのみわざを成し遂げて復活し天に上られたイエスは、御父から聖霊のバプテスマを授けるキリストの権威をお受けになりました。
キリストの御霊を受けたペテロは、聖霊に導かれて、異邦人のコルネリオのところに行って、復活のキリストの福音を宣べました。
すると、ペテロが話し続けているとき、みことばに耳を傾けていたすべての人々に、聖霊がお下りになりました。
ユダヤ人たちは驚きました。無割礼の異邦人たちに、御救いのしるしである聖霊の賜物が注がれたからです。
イスラエルの地でユダヤ人の間を歩まれた「ユダヤ人の王」イエスは、天に上り神の御座の右に着座して、あらゆる国、あらゆる民族、あらゆる言語の人々の「キリスト」となられました。
キリスト者たちは、新約聖書(神の新しい契約)によって、御救いの手順を知っています。キリストの福音を信じた人が、自分の罪を言い表わして罪の赦しを受けて、水のバプテスマにより信仰告白を確かなものとします。そして、聖霊のバプテスマを受けて、御霊によって新しい人に造り変えられるのです。
イエスの弟子のペテロは、異邦人にも救いが及ぶことを体験しました。
信仰告白もせず、水のバプテスマを受けていない異邦人たちが神のことばを魂で受け取ったときに、聖霊が注がれたのです。
ユダヤ人たちは、肉の割礼もなく律法もない異邦人がイエス・キリストを信じて義とされるということが信じられません。
同様に、キリスト者たちは、キリスト教徒でもない人たちが神に立ち返って、真理の御霊を受けるということを信じられないでしょう。
しかし、神は、魂をご覧になって、神の子にふさわしい純真な魂、霊によって神を求め、真実な心で目に見えない生けるまことの神に信仰を抱く人たちに、御霊を与えられるときが来ているのです。
御霊を受ける人たちは、天の御国にはいる「御霊の教会」に集められる魂です。御霊とともにある魂は、神の子どもの魂なのです。
神は、「日月神示」で、大和魂を救うと約束されています。
神に愛される大和魂が目覚めて、感謝と喜びに満ち溢れますように。