大日本国憲法では、すべての国民は天皇の「臣民」とされていました。
国の主権者は国民ではなく、神の子である天皇であるとされ、国民は天皇に従属する者と規定されていたそうです。
しかし、敗戦後、「基本的人権は人間が生まれながらにして持つものであり、憲法はこれを保障するためのもの」という新しい近代憲法の理念に基づいて、日本国憲法が制定されました。
国の主権者であった神の子である天皇は、「人」に改められて、お立場は日本国民の象徴に変更されました。
日本国は、国民主権の国に生まれ変わりました。天皇は、国民の主権者ではなく、国民の象徴として、日々国の安寧と国民の幸せと世界平和を祈り、また、神の御前に出て宮中祭祀に勤しまれます。
天皇は、神の御前に立って天と地を結ぶ祭司の務めを、現在も途切れることなく日々行なっておられます。
日本列島は、天皇の祈りによって外部の敵から守られ、一つの民族を形成して来ました。一つの民族として成長し存続し得たのは、天と地が繋がる天皇の祈りに守られて、自然との調和の心が日本国民のうちに留まり続けてきたからでしょう。
天皇と臣民の関係は、君主である天皇と君主に支配される民という権力的なものではなく、親と子のような家族愛が根底にあったように思います。
国民には、天皇に支配されているという恐怖や隷属する惨めな者というイメージはなかったことでしょう。もし、恐怖を植えつける者がいるならば、それは天皇ではなく、天皇の側近である権力者たちだったと思います。
臣民は、天皇を誇りとしていたことでしょう。天皇を神のようにありがたい存在としており、心は天皇の前でへりくだっていました。天皇は臣民に慈愛を、また臣民は天皇に敬愛の念を持っていたのです。
日本列島は、気候も食べ物も方言も異なる多くの地域があり、それぞれの地域には独自の県民性があり、人間性があります。多様なまま一つにまとめるのが、天皇の存在でした。
日本列島の要に富士山があるように、日本国民の精神の要には天皇があったのです。天皇の存在は、東日本と西日本、太平洋側と日本海側、北海道と沖縄、すべての島々を一つの国、同一の国民として統一するものです。それは、象徴となられてからも変わりません。
神は、天皇の皇統が果たさなければならない務めを定めておられます。それは、歴代の天皇の祈りと祭儀の歴史に保証される使命であり、日本人の使命でもあります。
神は、天皇の祈りの霊的力を御存知です。神が置かれている霊力だからです。まるで、古代ユダヤのアロンの子孫の大祭司の祈りのようです。神がお定めになった大祭司だけが、至聖所にはいることができました。神に油注がれていない人が神の御前に立つことは許されていません。
今年の天皇陛下の誕生日の記者会見にて、天皇は南海トラフの地震の備えについても語られたそうです。
それまでは、被災地の人々へのお言葉はあったものの、これから起きる災害に触れられることはなかったそうです。
春分の日の宮中祭祀に天皇皇后両陛下は、風邪のためご欠席なさいました。代わりに愛子様がご出席なさいました。これは、神の御配慮によるものだと思いました。
私は、春分以前に祈っている時には、宮内庁の2~3割の人に光を見ていました。しかし、春分の前日くらいからだったか、宮内庁の人々の光がなくなりました。わずか1割ほどの人々にかろうじてうっすらと見える程度でした。しかし、その光は光と呼ぶにはあまりにも頼りないものでした。
どうした事かと思っていました。
天皇のご欠席と、愛子様のご出席のことを知りました。
この宮中祭祀は、皇霊殿において歴代天皇・皇族の御霊をお祀りし、国民の安寧を祈念する春季皇霊祭が執り行われ、また、神殿においては天照大御神をはじめとする皇室の御祖神に神恩感謝をささげ、五穀豊穣を祈念する春季神殿祭が行われるそうです。
皇位継承順位1位の「皇嗣」の秋篠宮ではなく、なぜ、愛子様が?と宮内庁の中で混乱があったのかも知れません。天皇家を支持し愛子様を敬う人たちでさえ、光を失うほどに動揺したのかな、と思います。
しかし、皇統の血を持つ唯一の人は、愛子様です。
臣民は知っています。秋篠宮に天皇の血がないことを。政府や宮内庁がどんなに国民を欺いても、天皇の臣民は気づいてしまうのです。
昭和天皇、平成の天皇、令和の天皇の皇統を受け継ぐ子孫は、令和の天皇のひとり子であられる愛子様おひとりです。平成の天皇の血を受け継ぐ皇族は、今上天皇と愛子様のおふたりです。もうひとりは、皇族ではありませんが、平成の天皇の子である黒田清子さんです。今上天皇と愛子様と黒田清子さんのお三人が、明治天皇から続く皇統の人たちです。黒田清子さんは、伊勢神宮の祭主であられます。
秋篠宮家の人々が明治神宮参拝されるとき、私はいつも思います。
明治天皇は、「この人たちは誰なのか。皇族に仕える人々とともに私の前に来るが、私はこの人たちを知らない。」と思っておられることでしょう。
安倍元総理は、事件の数日前に、プライベートで妻とともに橿原神宮(日本の初代天皇「神武天皇」と皇后が祀られている)を参拝されたそうです。
神武天皇は、天皇の子孫ではない秋篠宮を皇位継承順位第1位にすることに意義を唱えない安倍元総理をどのように見られたのでしょうか。
宮中祭祀の務めにふさわしくない秋篠宮がもし今回天皇の代わりをしたならば、確実に南海トラフの災害に見舞われたことでしょう。
国民は呪いを受ける事になったと思います。しかし、愛子様は愛と調和の霊統の人です。神の怒りを和らげてくださったと思います。
神は、日本の政府を試されたのでしょう。もし、政府が皇嗣と定めた秋篠宮を代わりとするならば、怒りを発せられたことでしょう。
なぜならば、神は、人目に隠れて、すでに愛子様に霊統の油を注いでおられるからです。
神がお定めになっている愛子様を退けて、政府は自分たちに都合の良い秋篠宮、すなわち、霊力がなく扱いやすい者を立てることは、国民を欺くだけではなく、神を侮ることなのです。
政府の多く、また、宮内庁の多くは、光を持たない人たちです。いのちのない人たちです。ですから、いのちあるものを疎ましく思うのです。闇は光を憎みます。
政府の判断は、判断を下した人々に神が報いられます。国民の多くは秋篠宮家を望んでいません。愛子様を支持する人は多いのです。政府の誤った決断により、国民がその罪を負うことはありません。
救いは、ひとりひとりです。たとい、国が神に背く決断をしても、ひとりひとりの魂が正しい判断をするならば、その人は自分自身の魂を救うことができます。
なぜ、神は、武士の時代にも、近代にはいっても、戦後も天皇制を残されたのでしょうか。それは、日本の天皇の持つ天地を繋ぐ祈りの力を、終わりの時代に必要とされているからです。
天皇の民を思う心、神への祈り、これは、神の宝であり、世界の希望なのです。
学習院女子中等科卒業記念文集の愛子様の文章がありました。
「何気なく見た青い空。しかし、空が青いのは当たり前ではない。毎日不自由なく生活できること、争いごとなく安心して暮らせることも、当たり前だと思ってはいけない。なぜなら、戦時中の人々は、それが当たり前にできなかったのだから。日常の生活一つひとつ、他の人からの親切の一つひとつに感謝し、他の人を思いやるところから、『平和』は始まるのではないだろうか。」
天皇家では、天皇も皇后も愛子様も、感謝と思いやりを大切にしておられます。
これが、大和魂だと思います。
天皇ご一家に、日本人としての在り方、また、大和魂を見ることができます。臣民は、大和魂の象徴であるご一家に愛を学び、思いやりと平和の心と、感謝の心を受け継ぐことができます。
これから、天皇に学ぶ臣民と、愛と思いやりから心が離れる国民とに分かれて行くことでしょう。
最近また、宮内庁の3割近くが強い光を放っています。最初に見た光にまさる強い光です。人間の作った憲法よりも、生ける神の御旨にへりくだり、愛子様の上に置かれた神の御手を悟り確信を持った人たちの魂の光なのだと思います。
大和魂は、天皇の臣民の魂です。
感謝と思いやりと平和の心の中心には、目に見えないけれども確かにおられる生けるまことの神を恐れる信仰があるのです。
感謝や思いやりや愛があっても、心の中に神への恐れと信仰がなければ、天の御国の神の子どもではありません。
神への信仰があっても、愛や思いやり、感謝がなければ神の子どもに造り変えられていません。
私たちは、天皇の臣民として神の民の使命を全うしましょう。
私は、北朝の天皇の子孫と南朝の天皇の子孫が一つ心となって、唯一の神に仕えることが、大和民族の果たすべき使命であり、大和魂の回復と救いなのだと思います。
私たちは、神と天皇家への感謝と臣民同士の思いやりと、自然との調和、平和な心を心がけて、神の子どもにふさわしく、きよめられてまいりましょう。