ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

自分のいのちは自分で守る

 

 世界は終わりに向かっています。

 人間が支配する時代の終わりです。

 

 この世は終わり、創世の始まりの状態に戻ります。人がまだ罪を知らなかったエデンの園が回復するのです。

 エデンの園は、死がなく、争いもなく、すべての生き物は草食であり、すべてのものに調和のある、神の愛に満ち満ちた、平和な楽園でした。このいのちに満ち、神の栄光に輝く世界が、地上に起こるのです。

 キリスト者たちは、この新しい世界を「千年王国」と呼び、天の御座の右に座しておられる彼らの主「永遠に生きるキリスト・イエス」が天から再臨されることを待ち望んでいます。新しい世界は、死から復活して永遠に生きる神の子羊イエスが治められる世界だからです。

 

 キリスト・イエスは、天にあるもの地にあるものすべてに主権を持っておられます。天地万物を造られた天の神のひとり子だからです。また、悪魔と死に勝利した戦いに強い勇者だからです。

 

 日本の神道では、弥勒の世(草木も喜ぶ愛と平和に満ちた嬉し嬉しの世)が来ると言われています。日本の伝統信仰である神道は神の子羊イエスを知りませんが、キリストが弟子たちに告げられた天の御国と、時代の夜明けとともに開かれる新しい世界「弥勒の世」があることを知っています。

 

 死から復活して、四十日の間復活のからだで弟子たちに現われたキリストが、日本列島で天地万物を造られた生けるまことの神に仕える古神道の人たちにも現われたように思います。おそらく、霊のからだのキリストからお告げを受けたのでしょう。

 人間が治める世界が破滅に向かい、大峠を超えて禊とともに現われる神代の世界。それゆえ、神道では身魂をきよめて、その世界にはいる備えを勧めます。

 

 1948年に、ユダヤ人の国イスラエルが建国されました。六百万人ものユダヤ人の血が流される大峠を越えて、ユダヤ人の国は再興されました。

 古神道が待ち望む弥勒の世、すなわち、聖書の神のひとり子キリストが王となられるとこしえのイスラエル王国が建国されるためには、1948年の大峠をはるかに上回る史上最大の大峠を越えなければなりません。

 

 日本列島の大和民族は、もう一つのイスラエル、すなわち、生けるまことの神の民だと思います。それゆえ、神は神示を与えて、世の終わりに起こることを日本人に知らせておられます。

 神は、先祖の約束の地であるカナンの地に回復する「イスラエル王国」を再建するために、もう一つのイスラエルから救いを起こされるでしょう。

 

 中東のイスラエルは、諸国に散らされた様々な言語のユダヤ人たちが、あらゆる国から帰還しています。

 もう一つのイスラエル(神の民)は、大和(神の民)と呼ばれる人々です。大和民族には、神に仕える神道の人々と仏に仕える仏教の人々に支えられ、天と地とを繋いで国民の安寧を執り成す天皇がおられます。

 

 日本列島に大和民族を造られた神が、終わりの時代の大峠を越える神の民のために用意しておられた、特別な油注ぎをされた血統の人です。

 大和民族は、この血統を敬い、神に油注がれた天皇を仰いで神の御恵みを受け取ってきました。2600年以上の歴史があります。

 

 神は、終わりの時に、この血統からひとりの男性を立てられます。神が隠しておられた南朝の人だと思われます。死海文書にあるイスラエルのメシアと呼ばれる人で、イスラエルの十二部族の中からキリストを生んだユダ族の、ダビデ王の血筋の人だと思われます。十二部族全体を神の国へと導くユダの総督です。

 

 ダビデの子孫として生まれたキリストは、ダビデの子ソロモンの系図ではなく、ソロモンの兄である、ダビデ王の子ナタンの系図のヨセフを父とします。このイエス・キリストは、世界の王の王として新しい世界を治めるイスラエル王国の王です。

 

 かつて、「ユダヤ人の王」として神に遣わされたイエスは、肉体を持つ人の子ナザレのイエスとして来られましたが、ユダヤ人たちに捨てられ、十字架で死に、死から甦り御霊によって生まれた新しい人(御霊のからだと永遠のいのちを持つ神の子ども)となられました。

 

 新しい世界を治める神の子羊イエス・キリストは、復活の新しい栄光のからだで、「イスラエルの王」として、天から来られます。そのとき、心を新しくされたユダヤ人たちは喜んで、栄光の王神の子羊キリスト・イエスを迎えるのです。

 

 日本列島から立つ「イスラエルのメシア」は、イスラエルの王ではありません。王は、すでにおられるからです。

 二部族と十部族に引き裂かれたユダヤ民族十二部族を一つにして、新しい世界へと世界を導くために、神のことばを語り、不思議としるしによって、生ける神の御力と栄光を現わし、御霊の教会の魂を備えさせます。

 光を求める真実な人々の魂を、救い主神の御子に繋げ、精神的霊的に天上を生きるとこしえの魂、信仰と希望と愛を持つ魂へと神の御心を知らせ、神の御心を体現する「ユダの総督」です。

 

 神は、大和民族の天皇の血統の中に、愛を知る巫女を用意されました。

 愛子様の魂は神の御前に仕え、国民を、新しい神代の国に生きる魂に整える働きをされるでしょう。

 神の働きは霊的な務めです。肉の働きではありません。神の霊と繋がるきよい魂、高い次元を生きる大和魂を持つ愛子様にゆだねられています。

 

 政府はなぜか、霊のことがわかりません。依然、秋篠宮に皇統を移す計画のままです。

 娘の佳子さんは家族とともに住むことを望まず、改修費35億円ともいわれる秋篠宮邸に引っ越さず、秋篠宮家の仮住まいとして約10億円で完成した所にひとり住まいしているとのこと。そこは、職員の事務スペースや収蔵庫として使われる予定だったそうですが、そこの一部分を私室に使っているのです。

 秋篠宮家に仕える職員の給与も、住居、光熱費もすべて宮内庁からの公費であって、これとは別に、秋篠宮家には年間1億円以上が支給されているとのこと。また、公務に出れば、別に給料が出るという好待遇です。

 たとえば、サラリーマンが家賃無料、光熱費通信費無料、食費など生活の必要経費が無料で、手取り給料が全部自分のものになる生活なんて想像できませんね。しかも、公務に出れば、別枠のバイト代が出るなんて、こんな恵まれた生活はないですよね。天皇家は、公務に給料は出ないそうです。今はせっせと公務に励む秋篠宮家がもし天皇になったら、公務のためにお金を要求するか、あるいは無償の公務に興味を失くすかもしれませんね。

 それなのに、お金が足りてない、と秋篠宮家が苦情を申し立てているとは⋯驚きです。こんなご一家に国民の精神的霊的保護をする務めの天皇の祈りができると思っているのでしょうか。

 

 イエスを十字架につけたのは、祭司たち権力者たちでした。民衆は、権力者たちに扇動されて、イエスの敵となりました。しかし、イエスが復活した後で、イエスの弟子たちが語る「復活のキリスト」の宣教により、悔い改めてイエスを信じる者となったユダヤ人たちもいました。

 

 しかし、多くのユダヤ人は、イエスを信じませんでした。

 パウロは言いました。

 「聖霊が預言者イザヤを通してあなたがたの先祖に語られたことは、まさにそのとおりでした。

 『この民のところに行って、告げよ。

 あなたがたは確かに聞きはするが、決して悟らない。確かに見ているが、決してわからない。

 この民(民の指導者と指導者に導かれる民)の心は鈍くなり、その耳は遠く、その目はつぶっているからである。

 それは、彼らがその目で見、その耳で聞き、その心で悟って、(悔い改めて神に)立ち返り、わたし(神)に癒されることのないためである。(神に高ぶる権力者は神を知ることができないようにされています。それは、神御自身の怒りが彼らの上に留まり、神に赦されることがないためです)』」(使徒28:25-27)

 

 政府がどんな決断をして、死に向かうとしても、私たちは目に見える権力者ではなく、魂の飼い主である目に見えない神にすがって、いのちを得ましょう。

 幸いなことに、神は、私たちに、いのちの道を歩む愛子様を備えてくださいました。私たちは、政府が立てる秋篠宮家ではなく、いのちを与え私たちを正しい道へと導く神を恐れて、愛子様から大和魂を学びましょう。

 

 イエスは言われます。

 「からだを殺しても、魂を殺せない人たちなどを恐れてはなりません。そんなものよりも、魂もからだも、ともにゲヘナ(永遠に焼き尽くす火の池、すなわち、地獄)で滅ぼすことのできる方を恐れなさい。」(マタイ10:28)

 

 私たちは、信仰を選び、自分の判断で選ぶことができます。

 自分のいのちは自分で守りましょう。

 このいのちとは、肉体の生命のことではありません。天の御国にはいる永遠のいのちのことであり、永遠の安息のことです。肉体が死んでも、魂が永遠の安息にはいるならば、永遠の勝利者です。肉体が生き続けても、死んだ後で魂が火で焼かれるならば永遠の敗者です。

 

 「あなたがたが神の御心を行なって、約束のもの(真理の御霊と永遠のいのちと天の御国)を手に入れるために必要なのは忍耐です。

 あなたがたは、もっとすぐれた、いつまでも残る財産(魂の救いと永遠のいのち)を持っていることを知っていたので、自分の財産が奪われても、喜んで忍びました。

 ですから、あなたがたの確信を投げ捨ててはなりません。それは大きな報いをもたらすものです。」(へブル10:36,34,35)

 

 私たちは、愛子様のために祈り、また、大和魂の救いのために祈り、互いに、いつも繋がっていましょう。