ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

大和民族の回復と大和魂の産物

 

 神に導かれるようにして滋賀から始まった神社めぐりは、奈良、京都、淡路島、徳島など、次々と示された場所を回りました。

 それらの神社を巡るうちに、日本列島から起こると噂される、世の終わりに立つ世界を救うメシアは、天皇家と関わりがあるように思うようになりました。

 

 天皇には南朝の系図と北朝の系図があることを知り、現在の天皇は北朝の天皇であることもわかってきました。

 私は聖書の神に祈りながら、神の秘密を知りたいと神社めぐりをしていましたので、イスラエルと大和民族が重なって見えるようになりました。

 

 日本の神、すなわち、大和民族の神の「艮の金神(うしとらのこんじん)」、閻魔様(えんまさま)とも呼ばれる封印された国常立神(くにとこたちのかみ)に降ろされたとされる『日月神示』には、大和魂を救うと約束されています。

 

 聖書の神は、イスラエルの神です。イスラエルの神は、ユダヤ人を救うと約束しておられます。ユダヤ民族は、神のことばをゆだねられた聖書の民であって、天地万物を造られた生けるまことの神である主から民族的救いを約束された、唯一の民族です。

 

 私は、大和民族はユダヤ人が造ったもう一つのイスラエル(神の民)だと思うようになりました。そして、国常立神は、大和民族の人々が見たであろう、復活した神の御子イエス・キリストご自身の御姿だと思っています。

 

 天の神は、ユダヤ民族の救いを約束しておられます。

 大和民族に現われた国常立神は、大和魂を救うことを約束しています。大和民族を救うと言われたのではなく、大和魂を救うと言われたのです。

 

 大和魂は、天皇と臣民との関係を築いて神に仕える神の国の国造りをした「大和民族の魂」であり、生けるまことの神が神の霊によってかたち造られた、神を畏れ自然と調和し、また神の祭司である天皇を敬うという特質を持つ魂です。

 もともとユダヤ民族に備えられていたものですが、ユダヤ人たちは離散して、統一民族としての機能を失っています。

 

 神は、極東の島々、日本列島の中に、ユダヤ人にお与えになった神に仕える民族、祭司の国民としての機能を保たれたようです。大和民族の礎には、神に選ばれたユダヤ人、すなわち残りの者たちがいるように思います。大和民族を神に仕える祭司の国民として整えて国造りをした人たちです。

 

 大和民族の発現には、神の御意志があるようです。世の終わりの時代に、世界を救うために起こされる「ふたりの証人」を、この大和民族の中からお立てになるためでしょう。

 

 神は、大切なことは隠されます。

 「イエスは弟子たちにこう言われた。

 『このことばを、しっかりと耳に入れておきなさい。人の子(人の子となられた神のひとり子イエス・キリスト)は、いまに人々の手に渡されます。(神の御子イエスは、十字架につけられるために引き渡されます)』

 しかし、弟子たちは、このみことばが理解できなかった。このみことばの意味は、わからないように、彼ら(イエスの弟子たち)から隠されていたのである。」(ルカ9:43-45)

 

 イエスは、弟子たちに、「このことばを、しっかりと耳にいれておきなさい。」と言われたのに、そのみことばの意味は隠されました。

 おそらく、イエスが捕まって十字架につけられることを理解したならば、弟子たちは、イエスが捕まらないように戦うからでしょう。

 しかし、神の子羊である「人の子(キリスト)」は、世の罪を取り除くために、罪の贖いの血を流さなければならないのです。神の御子イエスは、実に、そのためにイスラエルに遣わされていたのです。

 

 イエスは十字架の苦しみを負い、「父よ。彼ら(神の御子イエスを十字架につけたユダヤ人たち)をお赦しください。」と、十字架の上で執り成されました。イエスの十字架の死と神の子羊の贖いの血とキリストの復活、これらを体験した後に、弟子たちは、主イエスのことばを思い起こし、イエスの言われたことは、この事だったと悟ったのでしょう。

 

 「わたしはたとえ話をもって口を開き、世の初めから隠されていることどもを物語ろう。」(マタイ13:35)

 「わたしは口を開いてたとえを用い、天地創造の時から隠されていたことを告げる。」(共同訳)

 

 神が隠されていた真理、すなわち、地上に生まれ出たあらゆる世代の人々が探り求めてきた真理を、神は、ふたりの証人にはっきりと告げられると思います。

 真理は明らかにされるのです。

 

 さて、ふたりの証人が世に現われるためには、条件があります。

 大和魂の目覚めと大和民族の回復です。

 大和民族は、天と地を繋ぐ神の祭司であられる天皇と、天皇に仕える臣民である国民によって形成される神の民です。

 

 天皇は、目に見えない神に仕え、国民の安寧と平和のために祈ります。国民を神の民として整えるのです。

 臣民は、天皇を、神の御姿を映し出す現人神のように敬い、礼儀を尽くします。

 神は、終わりの時に、日本列島の中に、生けるまことの神を畏れ、自然の中に目に見えない神を認めて、霊とまことによって神を礼拝する大和魂を回復されるのでしょう。

 

 大和民族のうちに形成された大和魂は、大和民族の遺伝子を持たない日本人が増加した日本民族の中にも、その種は蒔かれて成長しました。大和魂を持つ民がたくさんいます。

 しかし、近代化にともない、大和魂の輝きは失せました。物質主義、金銭欲主義の社会にあって、無価値なものとされたからです。無価値なものとレッテルを貼られた大和民族はスピード感ある近代化の流れから外れ、社会の中に居場所を失い魂を殺してひっそりと暮らしました。

 

 しかし、時代は進み、物質主義、金銭欲主義の社会は閉塞感をもって行き詰まりました。世は移り行きます。しかし、変わらないものがあります。変わらないものは、普遍の真理です。

 人々が古臭いとして放り投げた大和民族の魂です。自然と調和し、神々を拝み、互いを思いやり感謝する愛と思いやりと和の心です。

 

 真面目にやっているのに報われない。頑張りが徒労に終わる。正しく生きる者が辛い目に遭う。

 神は、閉塞した日本国に、真の希望を用意しておられました。悪者が栄えるのは幻です。訴える者が激しく息巻く先には滅びがあります。

 

 神は、大和魂を救うという約束を果たす時を用意しておられました。日本人の多くが大和魂を忘れた頃に、大和魂の真実な価値を輝かされます。それは、日本人のためではありません。世界中の人々の救いのためです。

 

 大和民族は目覚めます。臣民としての生き方を取り戻します。

 現在、国民の八割以上が天皇家の内親王愛子様を支持していると言います。しかし、女性天皇を支持する人は三割ほどだと言います。多くの人は、男系男子継承の壁を越えることはしません。

 

 天皇は男子でなければならない、とする政府の意図しないところで日本国民の多くは、愛子様こそ日本の象徴としてふさわしいと思っています。

 天皇は、天と地とを繋ぐ神の祭司です。臣民は、神の祭司である天皇に仕える民です。国民は天皇というよりも霊的権威として、愛子様を歓迎しています。魂が何かを感じ取っているのは、目覚め始めているからでしょう。

 

 対米英戦を回避しようとし開戦を躊躇していた昭和天皇に、軍は天皇を説得するためのシナリオを数回呈示し、とうとう天皇説得に成功し、最終的に天皇は開戦を決断して宣戦布告となりました。

 

 当時の大日本帝国憲法では天皇は大元帥、日本軍の総司令官であり、天皇が戦争の指導をされました。しかし、敗戦後、昭和天皇は第二次世界大戦へと発展した戦争の開戦を悔やまれて、孫である浩宮(現天皇)、礼宮(現秋篠宮)に、口酸っぱく戦争はしてはならない、と機会あるごとに語り戒めておられたようです。

 

 帝王学を学んでいない宮家の親王ならば、戦争の兆しが見える時代、政府の思い通りです。元安倍総理が目指した憲法改正と悠仁さんの皇位継承はセットのものかも知れません。

 

 大和民族の存在意義とは何でしょうか。古神道のいう「弥勒の世」を開く働きをする「ふたりの証人」と十四万四千人の聖なる民を立てることだと思います。

 それには、霊的存在の天皇と目指す方向が一つとなる大和民族の回復は不可欠です。

 

 大和魂が目指す国は、おそらく大和民族の血統ではない親王を天皇の玉座に置き、戦争放棄の憲法を覆す日本国ではなくて、平和を愛し、いのちを大切にし、愛と憐み、赦しと和解を尊び、とこしえの希望と魂の安息の世界である「弥勒の世」、すなわち公平と正義をもって治められる真実な国なのです。

 

 天皇家や愛子様を慕う魂は、古の大和魂を取り戻しているのだと思います。

 

 大和民族が回復しつつ目覚める大和魂の熱望と求めによって、民を救いへと導くふたりの証人が起こされるのではないかと思います。

 これは、精神的な指導者であり、赦しと和解、大和魂の本来の姿を取り戻すための慈愛の器なのでしょう。