ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

日本国に隠されていた大和民族

 

 キリスト教会では、神の御子イエス・キリストを信じる者が神の国にはいると考えています。それゆえ、キリストの福音を広めて、ひとりでも多くの日本人が救われることを願っています。

 

 私は、キリスト教会を出てひとりで礼拝をするようになってから、日本のキリスト教会の祝福のために重荷をもって祈って来ました。

 教会の教職者は孤独です。また、悪魔は神の家をつぶすために、その家の最も強い者を倒すことを試みます。

 幼子たち(信仰の弱い者たち)をつまずかせても、教会の痛みにはなりますが、教会運営に影響するほどではありません。しかし、教会の牧師や伝道師、教職者たちをつまずかせるならば、教会全体のかじ取りの方向を狂わせることができます。

 

 教会がいのちの道からずれるならば、その中にいる集会もろとも、いのちを失わせることは容易なのです。それゆえ、教職者たちに様々な罠を仕掛けて来ます。それは霊的に働いているので、目に見えない誘惑です。

 もし、集会の中に霊を見分ける賜物の人がいるならば、その霊の動きを察知して、執り成すことができます。しかし、ほとんどの人は、その霊の動きを悟ることができません。それゆえ、孤独な戦いとなります。もし、その祈りを他の信者と共有しようとするならば、教職者への冒瀆として捉えられかねません。牧師批判の異端児として中傷され、教会の秩序を乱す者として隔離されるかもしれません。

 

 しかし、そのような祈り手がいる教会は幸いです。キリスト教会では、牧師に従順であることが、良い信仰者であり、また、信者たちの模範として捉える傾向があります。

 キリスト教会は、外部の敵によってではなく、内部から崩壊することがあるのです。教会がなくなってしまう、ということではなくて、キリスト教会の看板を掲げながらキリストの御霊を締め出し、健やかな教会の機能を失ってしまうということです。キリストの福音が、いのちを得させる御霊の教会の福音ではなくなってしまうということです。

 

 いのちのないキリスト教会は、悪魔にとって脅威ではありません。むしろ、悪魔の仲間です。

 

 長い間、キリスト教会を覆ってきた置換神学。神の御子イエスを十字架につけたユダヤ人たちは、キリスト殺しの悪人であって、神から捨てられた。神は、新しい律法とともに、新しいイスラエルを造られる。新しいイスラエルにはいるのは、イエス・キリストのしもべであるクリスチャンであり、クリスチャンは聖書に書かれた神の民、すなわち真実なユダヤ人である。

 置換神学は、ユダヤ人の契約は無効となり、神の契約の民はユダヤ人からクリスチャンに取って代わったと考えます。それで、ユダヤ人に対して、横暴な振る舞いをします。ユダヤ人撲滅を目標に掲げる残忍なヒトラーは、毎週教会の礼拝に出席していたといいます。

 

 ローマ11章には、野生種のオリーブの枝と栽培されたオリーブの枝のことが書かれています。野生種のオリーブとは異邦人のクリスチャンのこと、栽培されたオリーブとは、神の契約を直接受け『聖書』がゆだねられたユダヤ人のことです。

 新約聖書はクリスチャンの新しい契約のように思っていますが、新約聖書の書簡を書いたのは、イエスの弟子であるユダヤ人たちです。

 「ルカの福音書」と「使徒言行録」の著者ルカひとりだけが、ギリシア人であって、客観的に史実をまとめています。異邦人出身のルカは、ユダヤ人の契約を土台とする新しい契約、すなわち、ユダヤ人の聖書「旧約聖書」の成就として来られた神の御子イエス・キリストによる御救いと、キリストの御霊の働きによる神の教会について正しく記録しています。

 

 オリーブの木の台座は、栽培されたオリーブです。

 ユダヤ人の不信仰(神がイスラエルに遣わされた神の御子イエス・キリストを信じないことで、神を怒らせた)により御救いの約束から外された不従順なユダヤ人たちの枝に代わって、キリストを信じる異邦人たちの枝が継ぎ合わされた、とあります。

 それゆえ、クリスチャンはユダヤ人に高ぶってはならないのです。ユダヤ人の心が頑なになったのは、御救いから外された彼らに代わって、救われる異邦人を起こすためでした。異邦人は、神の憐れみにより、神が立てられた救い主イエス・キリストを信じることで、神の民の中に加えられたのです。

 

 「あなたがた(神の民ではなく、御救いの契約のなかった異邦人)は、(神の)恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身(の良い行ないや正しさ)から出た事ではなく、神からの賜物です。

 行ないによるのではありません。だれも誇ることのないためです。」(エペソ2:8,9)

 

 ローマ11:29には、「神の賜物と召命とは(ユダヤ民族に与えた民族的救いの約束と、地上のすべての民族はユダヤ民族によって祝福される、世界を救うメシアは、ユダヤ人から出る、という神の約束とは)変わることがありません。」とあります。

 

 クリスチャンの信仰の土台はイエス・キリストです。

 イエス・キリストの台木は、イスラエルの神の契約の中に立っています。

 

 「あなたがた(キリスト者)は(ユダヤ人の)使徒と預言者という土台(旧約聖書の神の契約)の上に建てられており、(ユダヤ人から出た)キリスト・イエスご自身がその礎石です。」(エペソ2:20)

 

 御救いに預かるキリスト者は、イスラエルの神の契約の中にはいる者です。

 異邦人は、十字架につけられた神の御子イエス・キリストによって、天地万物を造られた全能の神、すなわちイスラエルの神と和解し、また、神の選びの民であるユダヤ人と和解して、神の民の中に加えられます。御救いはユダヤ人から離れていません。キリスト者は神の民に数えられて、御救いが約束されているユダヤ民族と同じ国民となるのです。

 

 私は、キリスト教会の霊の目が開かれて、置換神学の罪を悔改めることを祈りました。ユダヤ人への高ぶりを捨てて神の御霊にへりくだり、イスラエル、ユダヤ人への神の御旨を正しく理解して、イスラエルを祝福する者となり、ユダヤ人の友となることを祈りました。

 

 しかし、少しずつ、キリスト教会への重荷が解かれて、日本の神社仏閣を巡って示しを受ける中で、日本人の精神の土台にある大和民族の存在を知るようになりました。

 日本人はなぜ、キリスト教徒が少ないのか。それは、すでに、先祖から受け継いだ遺伝子の中に、生けるまことの神との繋がりを持つ魂の記憶があるからだ、とわかってきました。

 

 大和民族が古くから祭儀によって意識してきた目に見えない神々の存在。また、自然を愛し、自然の中に目に見えない神々を認めて感謝する、という神とともにある魂。

 

 また、大和民族の中に、ユダヤ人の血統が存在していることに気づきました。

 キリスト教会にある信仰は、旧約聖書(ユダヤ民族の契約)に根を下ろさず、切り花のようなイエス・キリストの存在。キリスト教会の信仰は、根のない浮草のようです。御霊の恵みを受けながら、真理を悟ることができません。それゆえ、御霊の実を結ぶことができないでいます。御霊の実とは、永遠のいのちのことです。

 

 霊が開かれていないのです。霊の解放がなく肉のままの人です。

 「神は、(神の子羊イエス・キリストを信じる)私たちが良い行ないに歩むように、その良い行ない(真理の御霊による新しい創造、イエス・キリストの御名による聖霊のバプテスマ)をもあらかじめ備えてくださったのです。」(エペソ2:10)

 

 御霊の力により神の子どもに造り変えられるのではなくて、自分の力で神の子どもに変えられようと努力します。神にゆだねていないのです。

 

 「すべてのことが、神から発し、神によって成り、神に至るからです。どうか、(真理の御霊によって「新しい人」を新しく創造をされる)この神に、栄光がとこしえにありますように。」(ローマ11:36)

 

 御霊の成されるみわざは、神の栄光です。私たちの努力で成ることは、私たちの栄光です。神の子どもたちは、神の栄光を現わす者であり、御霊の栄光を喜ぶ者なのです。

 

 日本人の信仰を培ってきた土台にあるのは、大和民族の信仰です。

 それは、神道と仏教が融合した神仏習合の信仰です。大和民族の魂には、「弥勒の世」への憧れと望みが眠っているのでしょう。

 しかし、それは焦点の合わない映像です。何か、うっすらとした光を見ているのですが、その正体がわかりません。

 

 「地上のすべての民族は、あなた(神と契約を結ぶユダヤ民族)によって祝福される。」(創世記12:3)

 この世界の御救いの鍵となる、神に召された残りのユダヤ人の子孫が、この日本国に隠されていたことを知りました。

 

 そして、世界を救うために、全地の主であられる生けるまことの神が終わりの時代に立てられる人たちを起こすのは、大和民族の集合意識であることを知ったのです。

 大和民族の子孫の祈りが鍵となるのです。