ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

創世記二十四章 神は人に思いを入れ人は思いに従う

 

 約束の地である、カナンの地のカナン人は、全能の主、アブラハムの神を恐れない罪深い人たちです。偶像を慕う人たちです。カナン人の娘は、神の契約と祝福とを、ひとり息子イサクとともに受け継ぐにはふさわしい者ではありません。

 アブラハムの子孫は、カナンの地で行われている忌み嫌うべき風習を行なってはいけません。それによって身を汚してはならないのです。

 アブラハムは、跡取り息子イサクの妻を、アブラハムの故郷から迎えようと考えました。

 

 イサクは、百歳のアブラハムと九十歳の閉経した妻サラとの間に、生まれた奇蹟の子です。

 妊娠したことは一度もなく、子のないまま閉経した年寄り女サラが、子どもを身ごもると誰が考えたでしょうか。しかし、神は、サラの胎にイサクをかたち造られたのです。

 

 アブラハムは、カナン全土を相続する契約と、アブラハムの子孫のひとりに全世界を救う救い主が起こることとを約束されました。その契約は、アブラハムとサラのひとり子であるイサクが相続するのです。

 

 神は、聖なる方です。アブラハムの契約を相続する民も聖でなければなりません。神はアブラハムの子孫を神のものにしようと、国々の民からえり分けられるのです。全地にあって、全能の主が、彼らの神なのです。

 

 アブラハムは、自分の全財産を管理している家の最年長のしもべを、アブラハムの生まれ故郷に遣わして、アブラハムの息子イサクのために妻を迎えようとしました。

 

 アブラハムは、そのしもべに命じました。

 「私(アブラハム)を、私の父の家、私の生まれ故郷から連れ出し、私に誓って、『あなたの子孫にこの地(カナンの地)を与える。』と約束して仰せられた天の神、主は、御使いをあなたの前に遣わされる。あなたは、あそこで私の息子のために妻を迎えなさい。

 もし、その女があなたについて来ようとしないなら、あなたはこの私との誓いから解かれる。ただし、私の息子をあそこへ連れ帰ってはならない。(あなたについてこの国のイサクのもとに来ようとしないならば、その娘はイサクの妻ではない)」(創世記24:6-8)

 

 しもべは十頭のラクダに贈り物を乗せて出かけました。

 彼はアラム・ナハライムのナホルの町へ行きました。そして、夕暮れ時、涼しくなって女たちが水を汲みに出て来るころ、町の外の井戸のところに、ラクダを伏させました。

 

 アブラハムのしもべは神に祈りました。

 「私の主人アブラハムの神、主よ。

 きょう、私のためにどうか取り計らってください。私の主人アブラハムに恵みを施してください。

 ご覧ください。私は泉のほとりに立っています。この町の人々の娘たちが、水を汲みに出てまいりましょう。  

 私が娘に『どうかあなたの水がめを傾けて私に飲ませてください。』と言い、その娘が『お飲みください。私はあなたのラクダにも水を飲ませましょう。』と言ったなら、その娘こそ、あなたがしもべイサクのために定めておられたのです。このことで私は、あなたが私の主人に恵みを施されたことを知ることができます。」(創世記24:12-14)

 アブラハムの故郷の娘の中からイサクの妻を捜さなければなりません。

 

 すると、どうでしょう。祈り終わらないうちに、リベカがやって来ました。リベカは、アブラハムの兄弟ナホルの妻ミルカの子ベトエルの娘です。

 ナホルはアブラハムの兄弟。ナホルの妻ミルカはアブラハムとナホルの兄弟、すなわち、父テラの息子であるハランの娘です。

 リベカは、アブラハムの兄弟であるナホルと、アブラハムの兄弟ハランの娘ミルカとの間の息子ベトエルの娘だったのです。

 

 主は、しもべの祈りに答えられました。リベカの口から、「お飲みください。あなたのラクダにも水を飲ませましょう。」と言うのです。

 しもべは、リベカがアブラハムの親族の娘であることを知って、ひざまずいて、主を礼拝し、アブラハムの神、主を賛美しました。

 主は主人アブラハムの兄弟の娘を、主人の息子イサクにめとるために、しもべを正しい道に導いてくださったのです。

 

 アブラハムは、しもべを遣わす時、言いました。

 「私(アブラハム)は主の前を歩んできた。その主が御使いをあなたといっしょに遣わし、あなたの旅を成功させてくださる。あなたは、私の親族、私の父の家族から、私の息子のために妻を迎えなければならない。主は、御使いをあなたの前に遣わされる。」

 そして、しもべは、最もふさわしい娘に出会ったのでした。

 

 しかし、確認が必要です。リベカは、しもべについてカナンの地に行くでしょうか。また、リベカの家族は娘を与えてくれるでしょうか。

 

 すると、父ベトエルと兄ラバンは答えて言いました。

 「このことは主から出たことですから、私たちはあなたによしあしを言うことはできません。

 ご覧ください。リベカはあなたの前にいます。どうか連れて行ってください。主が仰せられたとおり、あなたの主人のご子息の妻となりますように。」(創世記24:50,51)

 

 行き届いている神の采配を知ったしもべは、主人アブラハムに良くしてくださった神とともに、一刻も早く主人のもとに帰りたいと願いました。

 娘をしばらく、十日間ほど、家族のもとに留めておきたいと願うリベカの家族に、しもべは言いました。

 「私が遅れないようにしてください。主が私の旅を成功させてくださったのですから。私が主人のところへ行けるように私を帰らせてください。」(創世記24:56)

 

 家族はリベカを呼び寄せて、「この人といっしょに行くか。」と尋ねると、リベカは、「はい。まいります。」と答えました。

 

 家族はリベカを祝福して言いました。

 「われらの妹よ。あなたは幾千万にも増えるように。

 そして、あなたの子孫は敵の門を勝ち取るように。」(創世記24:60)

 

 おそらく、しもべはイサクが生まれた経緯と、神がアブラハムに約束されたカナン全土の相続と、イサクの子孫にエバを騙した蛇の頭である悪魔を踏み砕くキリストの誕生の約束をしておられることとを語ったのでしょう。

 

 神は、イサクの妻リベカの心に働き、リベカの家族に働き、すべてのものは整えられていました。

 すべての人の思いは、自分から出たもののように思いますが、実は、神がそうなるように、計らっておられます。

 

 ラバンとベトエルが言ったように、このことは主から出たことです。それゆえ、ラバンもベトエルも自分の意見ではなく、主の御意志に従うだけです。

 

 神に従う者にとって偶然はなく、人知を超えた神の御計画、配慮によるものであって、不思議なタイミングや出会いがあるのです。

 人間の力や予測を超えた出来事や巡り合わせは、魂に素直で、心がニュートラル、すなわち、神に聞き従います、という従順な祈りの向こうに用意されているのです。

 

 主はいつも道を備えて、遅れず私たち一人ひとりの前に開かれます。

 人の目にすべて閉じた状況であっても、人の心が整った時に開かれます。

 

 神はアブラハムの思いの中に、イサクの妻を親族からめとらなければならない、と入れました。アブラハムは、その思いに従いました。

 神はアブラハムのしもべの思いの中に、イサクの妻はラクダにも水を飲ませてくれる娘であると入れられました。しもべは、その思いの成就を見ました。

 

 神は人に神の思いを入れられます。自分から出た思いのようですが、実は神がお入れになった思いです。

 人はその思いに従います。人は、気づかないで、神の導きの中を歩んでいるのです。

 

 ダビデは祈りました。

 「私たちの父祖アブラハム、イサク、イスラエルの神、主よ。

 御民のその心に計る思いをとこしえにお守りください。彼らの心をしっかりとあなた(主)に向けさせてください。」(歴代誌第一29:18)

 

 心が主とともにあるならば、心のうちにある思いに従いましょう。

 神は、神を恐れる一人ひとりの真実な魂に、御自身の御思いを入れてくださるからです。