1948年にイスラエルが建国されました。その時から、世の終わりの始まりは明らかになりました。世は黙示録の時代に向けて動き始めたのです。
約二千年前、神に『聖書』をゆだねられた神の祭司の国民ユダヤ人たちは、肉体を持つ「人の子」としてイスラエルに遣わされた神のひとり子イエス・キリストを十字架につけました。
「人の子」として来られた神の御子イエスは、世の罪を取り除く神の子羊イエスの聖なる贖いの血を流して、神の御心を成し遂げられました。
イエスのからだは墓に納められて、神の子羊イエスは三日目に甦られました。神が聖霊の御力によって、人の子イエスを肉体の死者から、永遠のいのちと御霊のからだの「新しい人」に生んでくださったのです。
神は、神と一つ、神に従順な神の子羊イエスを、陰府(よみ)に捨て置かれることはありません。
ユダヤ人たちは、キリストは永遠に生きる方だと信じていました。しかし、「神の子キリスト」だと噂されている人の子イエスは、屠り場に引かれて行く子羊のように、黙って十字架につけられました。罪ある者として死んだのです。
イエスは、多くの人を癒し、悪霊につかれた多くの人から悪霊を追い出し、多くの人を罪の縄目から解放し、多くの人の罪の赦しを宣言し、死んだ人を生き返らせました。
イエスは、多くの奇跡と不思議としるしによって神の栄光を現わし、神のことばを話して、ご自分が神の御子であることを証しされたのです。
しかし、文字の律法に覆われて、霊なる神が見えないユダヤ人たちは、理解できませんでした。ガリラヤ地方の漁師たち、素直な魂で文字の律法ではなく霊によって純粋に霊なる神を捉える弟子たちは、ナザレのイエスを神から遣わされたキリストであると信じました。
律法の学びをしていない、取税人や遊女たちは、イエスの愛を知って、イエスを救い主であると信じました。
思いの暗いユダヤ人たちには隠されましたが、神は、ダビデの子孫から、約束に従って、イスラエルに救い主イエス・キリストをお送りになられたのです。
パウロは言います。
「(ユダヤ人の指導者たちは)イエスについて(聖書に)書いてあることを全部成し終えて後、イエスを十字架から取り下ろして墓の中に納めました。
しかし、神はこの方を死者の中から甦らせたのです。(復活した)イエスは(永遠に生きる新しいからだで)、ご自分といっしょにガリラヤからエルサレムに上った人たち(弟子たち)に、幾日もお現われになりました。きょう、その人たちがこの民(神の契約の民ユダヤ人たち)に対してイエスの証人となっています。
私たちは、神が先祖たちに対してなされた約束について、あなたがたに良い知らせをしているのです。(神は先祖アブラハムとの約束、イサクとの約束、イスラエルとの約束、モーセとの約束、ダビデとの約束、また、預言者たちの預言を成就して、ユダヤ人の中から世界を救う救い主イエス・キリストを起こされたのです)
神は、イエスを甦らせ、それによって、私たち(ユダヤ人の)子孫にその約束を果たされました。(神の子羊イエスは、ユダヤ人たちが信じていたメシアのごとく、永遠に生きるキリストとなられたのです)
詩篇の第二篇に、『あなた(死から甦った神の子羊イエス)は、わたしの子(神の子ども)。きょう、わたし(無から有を生じさせる全能の神、生けるまことの神、主)があなた(復活した新しい人キリスト・イエス)を(御霊によって)生んだ。』と書いてあるとおりです。(死から甦られた神の子羊イエス・キリストは、御霊によって新しく生まれる神の子どもの初穂、すなわち、神の子どもたちの長子となられたのです)
神がイエスを死者の中から甦らせて、もはや朽ちることのない方とされたことについては、『わたし(主)はダビデに約束した聖なる確かな祝福を与える。』というように言われていました。(事実、「ダビデの王座はとこしえまでも堅く立つ」と仰せられた主は、死に勝利した神の子羊イエス・キリストを死から甦らせて、イスラエル〈悪魔に勝利した信仰の勝利者たちである神の民〉を治める王とされるのです)
ですから、ほかの所でこう言っておられます。『あなた(イスラエルの神)は、あなたの聖者を朽ち果てるままにはしておかれない。』(確かに、神が甦らせた神の子羊イエスは、朽ちることがありませんでした。古いものは過ぎ去り、すべてが新しくなりました。土から造られた肉体を着る魂は、御霊によって新しく生まれると、肉を脱いで、新しい御霊のからだを着るのです)」(使徒13:29-35)
イエスの弟子たちは、神の子羊の復活を宣べ伝え、復活のキリストの福音を宣教しました。しかし、ユダヤ人たちは頑なにイエス・キリストを拒みました。
不信仰なユダヤ人たちに憤った神は、ローマ帝国によって、彼らをイスラエルの地から離散させられました。ユダヤ人たちは、諸国の寄留者となり、辱しめを受けました。それは、神が遣わされた神のひとり子を信じなかったからです。また、神の御子イエスがイスラエルの王になることを望まなかったからです。
イスラエルを諸国に散らした後、イスラエルの地は廃墟となりました。
世界に離散していたユダヤ人たちの中に、イエス・キリストを信じて神と和解する者たちが起こり始めました。それでも、多くのユダヤ人たちの心は頑ななままでした。
しかし、キリストの血により罪が赦され、神と和解したユダヤ人のキリスト者たちゆえに、神はユダヤ人への約束を思い起こされました。再び、イスラエルの地に連れ戻すという約束です。
神の怒りが収まったわけではありませんでした。
民の不信仰で荒れ果てたイスラエルの地の贖いとして、ユダヤ人たちの血を要求されました。悔い改めのないユダヤ人たちをそのままイスラエルの地に入らせません。神の聖と義とは、罪の贖いの血を要求されました。神をなだめる全焼の生贄です。
聖なる神は、六百万人のユダヤ人の死を許されました。そして、契約の民ユダヤ人たちに対する憐れみを取り戻されたのです。
肉なる私たちには理解できない、天の神の御心を満足させるきよめのわざだと思われます。
神は聖なる方です。聖なる御名を汚す者を赦されません。たとい、契約の民であっても容赦されません。いつまでも神の御子イエス・キリストを信じないユダヤ人たちを、六百万人の血により、神の痛みと神の御子イエスの痛みをくぐらせて、愛するひとり子が地上で受けた苦しみや彼らの罪の記憶を拭い取るためだったのでしょうか。
ユダヤ人ビリーバーやメシアニックジューは、ほかのユダヤ人たちのようにホロコーストを民族的な負の記念とするのではなく、ユダヤ民族の神に犯した罪(神が遣わした御子キリストを信じなかったことを悔改めない罪)に対して、神の怒りを鎮めるためにはこの方法しかなかったことに荒布を着てへりくだり、深くひれ伏して、民族の罪を告白し、民族的悔い改めの祈りをすることが務めのように思います。
「ああ、この民は大きな罪を犯してしまいました。自分たちのために金の神を造ったのです。
今、もし、彼ら(ユダヤ民族)の罪をお赦しくだされるものなら―。しかし、もしも、かないませんなら、どうか、あなたがお書きになったあなたの書物(いのちの書)から、私(モーセ)の名を消し去ってください。」(出エジプト32:31,32)
神の怒りはユダヤ民族に向かって燃え上がり、彼らを立ち滅ぼそうとされる神の、民に下すと仰せられたわざわいを思い直させたのは、モーセの執り成しによってでした。
イスラエルが建国されたのは、ユダヤ人が良いものになったからではありません。少数のユダヤ人たちのキリストを信じる信仰と神の子羊イエスの血による神との和解ゆえです。
ユダヤ人ビリーバーもメシアニックジューも、神に選ばれた人たちです。ユダヤ人たちの間にあって、モーセのように、民の罪を告白し、民の心が癒されて霊の目が開かれることを執り成す務めがゆだねられていると思います。つらい務めですが、私たちの主イエス・キリストが背負われた十字架はもっと重く苦しいものでした。
この務めに忠実なユダヤ人ビリーバーやメシアニックジューに、神は、とこしえの誉れを用意しておられることでしょう。
黙示録に書かれた第三の封印は、黒い馬です。これに乗っている者(御使い)は量りを手に持っています。
天では、「小麦一枡は一デナリ。大麦三枡も一デナリ。オリーブ油とぶどう酒に害を与えてはいけない。」という声がします。
これは、異邦人の時を完成するために流される、民族や国や国土を贖う聖なる血を流すそれぞれの地域のキリスト者の殉教者の数をさすのだと思います。
小麦も大麦もイエス・キリストを主と告白する忠実なクリスチャンです。キリスト教会の人々です。
士師記7:13に、ギデオン率いるイスラエルの軍隊のことを大麦のパンと書いてあります。小麦は異邦人のクリスチャン、大麦はユダヤ人ビリーバーと思われます。ユダヤ人ビリーバーの殉教者の数は、異邦人クリスチャンの殉教者の数の三倍はいるのでしょう。
殉教者の数は、量られます。信仰が試され、殉教者の数が満ちるまで人数が整えられます。
ギデオンのもとに集まった民の中から、恐れおののく者を帰らせると、一万人が残りました。神はその一万人を試して、神の御心にかなう三百人を選んで、残りの民をみな、帰らせました。神が残された三百人は、戦いに勝利する勇者たちです。
神は、キリスト教会内のクリスチャンの信仰を試し、信仰に勝利する者たちを殉教者として召されるのでしょう。
キリストは、脱穀場で箕を持つ方であることを思い出しましょう。その中で、最も良い実を神の供え物として選び分けられるのです。
彼らは幸いな人々です。彼らの魂は神にささげられる良い実です。神に認められるほどに忠実に神に仕えており、いのちを神にささげる真実なしもべだからです。
彼らは、子羊の婚宴に招かれる人たちです。新しい天に住まいが設けられる魂です。