ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

奴隷の家 荒野 約束の地へ

 

 聖書の民ユダヤ民族は、約四百年間、エジプトの奴隷でした。

 しかし、彼らには希望の約束がありました。その希望は、全能の神、主が、父祖アブラハムに、仰せられたことばにありました。

 

 「アブラハムに仰せがあった。

 『あなた(アブラハム)はこのことをよく知っていなさい。あなたの子孫は、自分たちのものでない国で寄留者となり、彼らは奴隷とされ、四百年の間、苦しめられよう。

 しかし、彼ら(アブラハムの子孫)の仕えるその国民を、わたし(主)がさばき、その後、彼らは多くの財産を持って、そこ(奴隷の家)から出て来るようになる。

 あなた(アブラハム)自身は、平安のうちに、あなたの先祖のもとに行き、長寿を全うして葬られよう。

 そして、四代目の者たちが、ここ(アブラハムが寄留しているカナンの地)に戻って来る。それはエモリ人の咎が、そのときまでに満ちることはないからである。(神は、良い者たちが残っている間は、カナンの土地をアブラハムの子孫に渡されません。カナンの地が邪悪な人々で満ちると、神は、神を神としない悪いものとなった彼らを追い出して、アブラハムの子孫にカナンの地をお与えになるのです。アブラハムの時代は、まだその時ではありませんでした。アブラハムの子孫が約四百年間奴隷の苦しみを味わっている間に、カナンの地はエモリ人の咎が満ちて悪いものとなり、いよいよ、カナンの土地を汚すカナンの住民を追い出して、カナンの地をアブラハムに約束したとおり、アブラハムの子孫にお渡しになるのです)」(創世記15:13-16)

 

 「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。」という神のことばに従ってカナンの地にやって来たアブラハムに、神は仰せられました。

 

 「さあ、目を上げて、あなたがいる所から北と南、東と西を見渡しなさい。

 わたし(主)は、あなた(アブラハム)が見渡しているこの地全部を、永久にあなたとあなたの子孫に与えよう。

 わたしは、あなたの子孫を地の塵のようにならせる。もし人が地の塵を数えることができれば、あなたの子孫をも数えることができよう。

 立って、その地を縦と横に歩き回りなさい。わたし(全地の主)があなた(アブラハム)に、その地(カナンの地)を与えるのだから。」(創世記13:14-17)

 

 天地万物を造られた生けるまことの神、全地を統べ治められる神が、アブラハムを父の家から連れ出してカナンの地に導き入れ、そして、先住民の暮らす外国の地であるカナンの地全部を「あなたとあなたの子孫とに永久に与える。」と仰せられるのです。

 

 アブラハムは、主に申し上げました。

 「神、主よ。それ(カナンの全土)が私の所有であることを、どのようにして知ることができましょうか。」(創世記15:8)

 

 アブラハムの質問に対して、自分たちのものでない国でアブラハムの子孫が四百年間、奴隷とされて苦しめられた後に、アブラハムの子孫はカナンの地に戻って来る、と神は答えられました。

 

 これらの約束を受けた時、アブラハムには子どもがいませんでした。

 しかし、ことばに忠実な神は、八十九歳の妻サラにひとりの男の子イサクを身ごもらせ、百歳のアブラハムに、カナンの地を相続する子孫をお与えになりました。アブラハムは、カナンの地でイサクの息子ヤコブを見ました。

 そして、平安のうちに、長寿を全うして、妻サラの眠る墓地に葬られました。

 

 その地方に飢饉が起こると、神に聞き従う大臣が豊作期間に倉に保管した多くの食糧が、エジプトの地にありました。エジプトの大臣は、十三歳でヤコブのもとから居なくなったヤコブの子ヨセフであって、ヤコブ一家は、エジプトの地に移住しました。

 ヤコブは死んで、カナンの地にある先祖の墓地に葬られました。ヤコブの子ヨセフも死にました。

 エジプトの大臣がへブル人ヨセフであったことを知らない王がエジプトに立つ頃、エジプトの地で、奴隷とされたヘブル人たち(ヤコブの子孫、ユダヤ民族)の苦役は重くなり苦しみました。

 

 神は、四百年が経つ頃、レビ族のモーセを立てて、ヤコブの子孫、すなわち、アブラハムの子孫を、奴隷の家、エジプトから救い出されました。カナンの地のエモリ人の咎が満ちたのでしょう。

 

 神は、ヤコブの子孫を、荒野へと導かれました。アブラハムと契約し、イサクと契約し、ヤコブと契約した神は、ヤコブに「イスラエル」という新しい名前をお与えになりました。それで、ヤコブの子孫は、イスラエルと呼ばれます。

 神は、荒野で、イスラエルと契約を結ばれました。神は、神に仕える祭司の国民として召したイスラエルに律法を与え、「わたしの民」と呼ばれました。そして、御自分を「イスラエルの神」と名乗られました。

 

 イスラエルは、天からのマナと、岩から湧き出る水によって、荒野で養われました。神御自身が、イスラエルを養われたのです。

 しかし、イスラエルはつぶやき、神に不従順でした。神は怒り、イスラエルを打ちました。

 

 エジプトを出るとき、六十万人いた成人の男子は、神に打たれて荒野で死にました。神に逆らったからです。彼らは、約束の地に入ることができませんでした。最後まで信仰を持ち続けたエフライム族のヨシュアとユダ族のカレブのふたりだけが生き残っていました。

 

 モーセ亡きあと、モーセの従者であったヨシュアが指導者となって、イスラエルをカナンの地に導き入れたのでした。そこは、乳と蜂蜜が流れる実り豊かな良い地です。

 神は、イスラエルと共におられ、彼らは先住民を聖絶して、カナンの地を所有しました。

 

 神がアブラハムにお与えになったカナンの地は、四百年の間、奴隷であったアブラハムの子孫ユダヤ民族が所有して、イスラエル国家をつくったのでした。

 ユダ族のダビデがイスラエル王国の王となり、ダビデの子ソロモンの治世に、神の神殿が建設されて、イスラエル王国は確立しました。

 神は、ダビデに仰せられました。

 「あなたの家とあなたの王国とは、わたし(主)の前にとこしえまでも続き、あなたの王座はとこしえまでも堅く立つ。」(サムエル第二7:16)

 

 さて、現在、イスラエルはどうでしょうか。

 ダビデの王座はありますか?いいえ、王はいません。イスラエルはイスラエル王国ではありません。

 イスラエルは、約束どおり、カナン全土を相続していますか?いいえ、所有しているのは、日本列島の四国の面積ほどの狭い土地です。

 神は、忘れてしまわれたのでしょうか。

 

 旧約聖書には、「人の子」として来られる神のひとり子イエス・キリストのことが書かれており、新約聖書には、ユダヤ人の聖書の成就として来られた神の御子イエス・キリストのことが書かれています。

 

 「黙示録」には、世の終わりに起こることが書かれています。

 神は、神の子羊イエス・キリストにより、世の罪を取り除かれました。人類は、罪の奴隷から解放されました。

 神は、神の子羊イエス・キリストによって、奴隷の家である滅ぶべき古い地球から、人類を救い出されます。聖書のみことばは、神の御子イエス・キリストにあってことごとく成就します。神の時が来れば、成就します。

 

 かつて、奴隷の家エジプトから救い出されたイスラエルは、仮庵に住みました。ユダヤ民族に仮庵として備えられたのは、荒野でした。

 仮庵を記念して、イスラエルは毎年仮庵の祭りを祝います。奴隷から解放された感謝を神にささげます。

 

 黙示録に啓示された新しい仮庵は、荒野ではありません。王が治める千年王国です。

 この時代に、ダビデの王座に、とこしえの王であられる神の子羊イエス・キリストが着座し、また、カナン全土は、イスラエルの王神の子羊イエス・キリストの王国となります。

 

 千年王国は、解放の恵みを味わう期間です。ユダヤ人たちに隠されていたキリストはもはや隠されてはいません。千年王国に生き残った者はみな、神の子羊イエスがキリスト(救い主)であることを知っています。

 

 悪魔が支配する古い世から救い出された喜びを祝います。諸国の民は、キリストを讃えるために都に上って来ます。都には、いのちの木があります。都に入って、いのちの木の実を食べる者は、永遠のいのちを持つ新しい人になります。

 かつて、エデンの園で善悪を知る知識の木の実を食べて死ぬ者となった人類は、神のキリストを信じることで義とされて、千年王国の都にあるいのちの木の実を食べて、永遠に生きる者となります。

 

 しかし、千年王国の素晴らしさに酔いしれて、キリストを拝みにやって来ない人々もいます。自分が良い者だから生き残ったのだ、と考えるのでしょうか。

 

 「メリバでのときのように、荒野のマサでの日のように、あなたがたの心をかたくなにしてはならない。

 あのとき、あなたがたの先祖たちはすでにわたしのわざを見ておりながら、わたしを試み、わたし(主)をためした。

 わたしは(荒野の)四十年の間、その世代の者たちを忌みきらい、そして言った。

 『彼らは、(神にへりくだらず頑なな)心の迷っている民だ。彼らは、わたしの道を知ってはいない。』と。

 それゆえ、わたしは怒って誓った。

 『確かに彼らは、わたしの安息に、はいれない。(その通り、奴隷の家から救い出された彼らは、荒野で死に、カナンの地に入ることはできませんでした)」(詩篇95:8-11)

 

 千年王国はゴールではありません。罪の奴隷の世から連れ出された人々が、新しい天と新しい地に向かう途上の仮庵です。

 千年王国に入ったならば、キリストに感謝し、ほめたたえ、神を崇めるために、都に上り、仮庵の祭りを祝いましょう。

 

 「来たれ。

 私たちは伏し拝み、ひれ伏そう。

 私たちを造られた方、主の御前に、ひざまずこう。」(詩篇95:6)

 

 「わたしの安息(新しい天と新しい地)に、はいれない。」と神の怒りを買う者とはなりませんように。

 生き残った人々は、感謝と神の栄光を携えて、都に上りましょう。