ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

封鎖されたいのちの木への道は開かれている

 

 神が決して食べてはならない、とお命じになった善悪を知る知識の木の実を食べたエバとアダムは、エデンの園から追放されました。

 

 天地万物が創造される以前、地は形がなく、何もなかったとき、闇が大いなる水の上にあり、神の霊は水の上を動いていました。

 まだ、闇に光が造られていない遥か昔のことです。その闇の中には、神に敵対する存在がいました。

 

 神のひとり子を妬み、敵対し、神に反逆した天使長とその天使長が率いる天使たちは、神のひとり子の神格に逆らい、天を乱すゆえに、絶対主権者の神に天から追放されたからです。

 天から追放された天使長は、闇の王者悪魔となりました。悪魔の妬みは火よりも激しく、神の御子を憎みます。悪魔に忠実に従う堕天使たちは、悪魔に支配される悪霊どもとなりました。

 

 天から追放された堕天使のすべてが悪霊となったのではありません。何が起こっているのかよくわからないまま、天から出て闇に入り、戸惑う堕天使たちも大勢いたのです。

 

 神は、悪魔と悪霊どもを怒り、彼らにふさわしい永遠に燃える火の池を用意されます。一方、良い心の残された堕天使たちのために、悪魔から逃れる逃れの場所(星々)を造られたように思います。

 

 神は、すべてが悪いものとならない限り、すべてのものを滅ぼす方ではありません。良いものが残っているならば、その良いものを取り分けてお救いになるお方です。

 

 神は人間には数え切れない悠久の時の間に、多くの銀河を造られたでしょう。悪魔の闇に閉じ込められた星団も多くあります。それが、光をも飲み込むブラックホールだと思います。

 悪魔の支配下にいない堕天使たちを闇の中から、すなわち、永遠の火の池で燃やす悪魔の罪とは聖別して救おうとされたように思います。

 救済のために創造された最後の砦が地球のように思います。

 

 神が、「光よ。あれ。」と仰せられた。すると、光ができた。(創世記1:3)

 漆黒の闇に、光が現れました。天から追放された堕天使たちに希望の光がともりました。

 

 神は、天の御国を、ひとり子に相続させることを御計画しておられました。

 堕天使たちは、ひとり子を妬みひとり子に逆らい神の主権に敵対する悪魔につき従って、天から追放されていました。しかし、今は悪魔の支配下にはいません。

 神は、堕天使たちを試みて、神のことばに服し、神のひとり子の主権にへりくだる者たち、すなわち、天の秩序を守る正しい者たちにいのちの木の実を食べさせて、光に取り戻そうと御計画されたのでしょう。

 神は、いのちの木のあるエデンの園に、「人」を置かれました。神のことばである神のひとり子と一つとなって、エデンの園を管理する者です。

 

 悪魔はエデンの園にも出入りしていました。そして、狡猾な蛇に言葉を授けました。神がアダムに命じた神のことばに逆らわせる巧妙な騙し言葉です。

 アダムのあばら骨から造られたエバは、まんまと騙されました。蛇の言葉を信じて、神に禁じられていた「善悪を知る知識の木の実」を食べました。善悪を知る知識の木は自分自身で善悪を量り、神のようになる毒気の木です。神に逆らう性質をかたち造る食べ物です。

 

 アダムは、エバにそそのかされて、「食べてはならない。善悪を知る知識の木の実を取って食べる時、あなたはかならず死ぬ。」と神に禁止されていた木の実を食べて、神に逆らう罪ある者となりました。

 人は、神に素直でいたい、正しい者でありたい、光の中に生きたいと願うきよい良心に反して、妬み、憤り、嘘、偽り、争い、偽証などの罪を愛し、全き聖、全き義から身を隠して汚れの中に留まる罪人となりました。

 

 人間は生まれた時から、善悪の知識の木の実の性質を宿しています。親が教えるわけではないのに、子どもは怒りをあらわにし、気に入らないと放り投げ、従順な者ではありません。従順はしつけによるものです。学びによって身に着けるものです。放任され自由気ままな子どもは、秩序を学ぶことはありません。

 人は生まれつき善悪の知識の木の実を結ぶ者であり、天の御国にふさわしくない神に逆らう性質を持っています。善悪の知識の木の実は、悪魔のように神に逆らわせます。神を神とせず、自分を神とし、自分に都合の良いように自分で判断し、自我によって生きます。

 

 善悪の知識の木の実は、人を、いのちの根源である神のことばから外して、死ぬ者としました。いのちの根源と繋がっていないのです。それゆえ、神のことがわかりません。人は、闇の王者悪魔と同じ永遠の火の池にはいる運命を選んでしまったのです。

 

 いのちの木は、死んでいた者にいのちを与える木です。死なないいのちを得させます。古来から人間はどれほど、この不老不死に憧れて来たことでしょうか。人間の魂は、いのちの木の存在を知っているのでしょう。それゆえ、切望するのです。

 

 「神は(神の命令に背き、神のことばから外れて死を選んだ)人を追放して、いのちの木への道を守るために、エデンの園の東に、ケルビム(守護天使)と輪を描いて回る炎の剣を置かれた。」(創世記3:24)

 

 神は、罪ある者が、罪あるまま永遠に生きることがないように、いのちの木への道を封鎖されました。守護天使を置き、また、人が辿り着いたとしても輪を描いて回る炎により、生きていのちの木の実を取って食べることができないようにされたのです。

 

 神には、御計画がありました。

 永遠のいのちにふさわしい罪のない者、聖なる者、全き者が、その封印を破ることができるようにされたのです。

 罪のない者であるならば、いのちの木の実を食べることが許されます。そのために、ケルビムが見張っています。いのちの木の実を食べる罪のない者は、一度も罪を犯したことのない者でなければなりません。

 

 神はひとり子に肉体を造り、一度も罪を犯したことのない「人の子」とすることを御計画しておられました。

 神は、ひとり子を信頼しておられます。神のひとり子は、必ず、神に聞き従ってそのことを成し遂げてくれるはずです。

 

 神は、神のひとり子に主権を与える御計画です。神は、神のひとり子の主権に聞き従う忠実な人々を、神のひとり子のために選び、御霊によって新しく造り変えて、神の御子の兄弟姉妹とされます。神のひとり子は、神の子どもたちの長子となって、ともに天の御国を相続するのです。

 

 神の御子の神格を妬み、敵対する堕天使長と彼(悪魔)に聞き従う堕天使たち(悪霊ども)は、天から追放しました。神のひとり子の主権にへりくだらない者は、みな、天から追放されます。

 

 神のひとり子イエスは、罪の贖いの血を流す「神の子羊」となられました。

 いのちの木を守っていたケルビムは、神の子羊の血に何の汚れもないことを見て、いのちの木の封印を解きます。聖なる全きイエスの血には、一つの罪も見いだすことができません。いのちの木の実を食べるのにふさわしい「全きいのち(血)」です。

 

 「いのちの木」を守っていた輪を描いて回る炎は、神の子羊イエスのからだに炎の苦しみを与え肉体を裂いて、世の罪を贖う血が、新しく造り変えられる神の子どもたちのために流されました。

 

 神は、人類の救いのために、また、全宇宙の救いのために、御自身のひとり子を「人の子」とし、神の子羊イエス・キリストの罪のない全き血によって、封鎖したいのちの木を解放されました。

 罪のない者の前に、いのちの道への道を開かれます。

 

 神は、神が良かれと思う人々に、神の子羊イエス・キリストの贖いの血を塗られます。それは、「神の御子イエス・キリストが流された血は、私の罪を贖うためだった。私は、イエス・キリストを信じ、救い主イエス・キリストを遣わしてくださった神を信じます。私はイエス・キリストの血により、罪のない者としてくださった神に感謝します。神は私を愛しておられる。私も神を愛し、罪を悔改めて、神の子どもに生まれ変わります。」と告白することです。

 

 神は、愛するひとり子のために、神の御子イエスを信じる者、神の子羊イエスを愛する者、イエスに従う者、「人の子」となられた神のひとり子イエスを喜ぶ人々を集め、また、千年王国でイエス・キリストの勝利を祝って、都に訪れる人々のために、いのちの木を解放されます。

 

 いのちの木の実を食べる人々は、罪の贖われた人々、罪の認められない人々です。神は、千年王国に彼らを招いて、都の中にあるいのちの木の実を食べる恵みをお与えになります。

 

 「見よ。神の幕屋が人の間にあって、神が人と共に住み、人は神の民となる。神は自ら人と共にいて、その神となり、彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる。

 もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。

 最初のものは過ぎ去ったからである。」(黙示録21:3,4)

 

 御座に着いておられる方は言われます。

 「見よ。わたしは万物を新しくする。」(黙示録21:5)

 

 信仰と希望と愛が与えられた私たちは、死のない世界、悲しみも涙も嘆きも叫びもない新しい世界、愛と喜びと楽しみと感謝と平安に向かっているのです。