妻サラが百二十七歳でなくなり、ひとり息子のイサクが妻リベカを迎えると、アブラハムは、神に契約された神の土地の相続権をイサクに譲って、新しい妻をめとりました。
アブラハムは、神の契約の家の家長の責任が解かれて自由の身となり、妻ケトラとの間に六人の息子を生みました。
アブラハムはそれらのそばめの子らには贈り物を与え、アブラハムの生存中に、彼らを東のほう、東方の国にやって、アブラハムの契約と祝福とを受け継ぐアブラハムの子孫であるイサクから遠ざけました。そして、アブラハムは自分の全財産をイサクに与えました。
アブラハムは平安な老年を迎え、長寿を全うして息絶えて死に、国々の王たちを生む「王女」という名のイサクを生んだ妻サラを葬った墓に葬られました。アブラハムの子イサクとイシュマエルが葬りました。
アブラハムの死後、神はアブラハムの子イサクを祝福されました。
一方、妻サラの女奴隷エジプト女のハガルが産んだイシュマエルは、エジプト人の女を妻として迎えて、十二人の息子を生み、十二の族長の父となりました。
「イシュマエルの子孫は、ハビラから、エジプトに近い、アシュルへの道にあるシュルにわたって、住みつき、それぞれ自分のすべての兄弟たちに敵対して住んだ。」(創世記25:18)
神の仰せになられたことが、イシュマエルの上に成就しました。
主人アブラハムの子どもを宿した女奴隷のハガルが高ぶり、不妊の女主人サラを見下げ横柄になると、アブラハムの妻サラは女奴隷をいじめました。女奴隷のハガルは、女主人にいじめられて、荒野の泉のほとりへ逃げました。
そこに主の使いが現われ、ハガルに言いました。
「あなたの女主人のもとに帰りなさい。そして、女主人サラのもとで身を低くしなさい。」(創世記16:9)
また、主の使いは、ハガルの胎内にいる子どもについて言いました。
「見よ。あなたはみごもっている。男の子を産もうとしている。
その子をイシュマエル(「主が聞いてくださる」の意)と名づけなさい。主があなたの苦しみを聞き入れられたから。
彼(女奴隷ハガルが産むイシュマエル)は野生のろばのような人となり、その手は、すべての人に逆らい、すべての人の手も、彼に逆らう。
彼(イシュマエル)はすべての兄弟に敵対して住もう。」(創世記16:11,12)
イシュマエルは、不妊の妻サラの苦肉の策により、アブラハムにサラの女奴隷ハガルを与えて、女奴隷にアブラハムの子どもをみごもらせて生まれる子です。
不妊の妻サラにアブラハムの子どもを産ませる計画を神はお持ちですが、その御計画がわからないアブラハムとサラの、人間の知恵と願望によって授かった子どもでした。
神の御心であるかどうかわからない方法でしたが、それでも、アブラハムの血を引く子どもが欲しいというふたりの切なる祈りを、神が聞いてくださったのです。
それゆえ、イシュマエルは、「神は人の切なる祈りや叫びを聞き届けてくださる」ということを証明する存在とされました。また、母ハガルの願いを聞いて、イシュマエルは生き長らえる者とされました。それゆえ、多くの民族が栄えては滅んでいく中で、イシュマエルの子孫(アラブ人)は現在も残っています。
神から出たことには、神の祝福と助けが伴いますが、人が自分の強い思いで求めて、神に聞き届けられて得たことには、その人自身の責任が伴います。神から出たことではないので、多くの困難が伴います。悲しみや痛みや苦しみや涙が伴いますが、あえて、人の覚悟をご覧になった神はその祈りを聞き届けて、祝福だけではなくそれらをも含めたものをお与えになられます。
イシュマエルには十二部族の子孫があり、彼らは一つの国になることはなく、それぞれがすべての兄弟たちに敵対して住んでいたようです。
神は、イシュマエルを、すべての人に逆らう性質のものとして、世に送られたのです。イシュマエルの子孫がそれぞれ、すべての人に逆らうだけでなく、すべての人もまた、イシュマエルの子孫に逆らうようにされているようです。
さて、妻サラがアブラハムに産んだひとり子イサクに、アブラハムの親族からリベカをめとると、不妊の妻リベカのためにイサクは主に祈願しました。主は祈りに答えられ、リベカは身ごもりました。
リベカの胎内では子どもたちがぶつかり合い、悩んだリベカは、主の御心を求めに行きました。
すると主はリベカに仰せられました。
「二つの国があなたの胎内にあり、二つの国民があなたから分かれ出る。
一つの国民は他の国民より強く、兄が弟に仕える。」(創世記25:23)
出産の時が満ちると、ふたりの男の子がリベカの胎から出て来ました。
最初に出て来た子(兄)は、赤くて全身毛衣のようであったので、その子を「エサウ」(「毛深い」の意、別名エドム〈「赤い」の意〉)と名づけました。
そのあとで弟が、兄エサウのかかとをつかんで出て来ました。それで、その子を「ヤコブ」(「かかと」の意)と名づけました。
ふたりが成長すると、兄のエサウは巧みな猟師、野の人となり、弟のヤコブは穏やかな人となり、天幕に住んでいました。
さて、ヤコブが煮物を煮ているとき、兄のエサウが飢え疲れて野から帰って来ました。
「エサウはヤコブに言った。
『どうか、その赤いのを、そこの赤い物(レンズ豆)を私に食べさせてくれ。私は飢え疲れているのだから。』それゆえ、彼の名はエドムと呼ばれた。
するとヤコブは、『今すぐ、あなたの長子の権利を私に売りなさい。』と言った。
エサウは、『見てくれ。(私は腹が減って)死にそうなのだ。長子の権利など、今の私に何になろう。(長子の権利は私の腹を満たさない。今の私に長子の権利が何の役に立つというのか。今の私にはレンズ豆の煮物のほうがよっぽど必要なのだ)
それでヤコブは、『まず、私に誓いなさい。』と言ったので、(腹ぺこで死にそうな)エサウはヤコブに誓った。(誓いは主の御前でなされたものであって、主はその誓いを聞かれました)こうしてエサウの長子の権利をヤコブに売った。
ヤコブはエサウにパンとレンズ豆の煮物を与えたので、エサウは食べたり、飲んだりして、立ち去った。こうしてエサウは長子の権利を軽蔑したのである。」(創世記25:30-34)
へブル書に、エサウのことを俗悪な者と書いています。
「一杯の食物と引き替えに自分のものであった長子の権利を売ったエサウのような俗悪な者がないようにしなさい。
あなたがたが知っているとおり、彼(エサウ)は後になって(アブラハムの)祝福を相続したいと思ったが、(神から)退けられました。涙を流して求めても、彼(長子の権利を売ってしまった愚かなエサウ)には(神の)心を変えてもらう余地はありませんでした。(神は、エサウを憐れむことをされませんでした)」(へブル12:16,17)
長子の権利は、アブラハムが神から譲り受けたカナン全土の土地を所有する契約を相続する権限を持ちます。
イサクには二人の子がいます。一人がアブラハムの土地を相続すると、もう一人は相続の権利を持ちません。
エサウは長子として生まれたのに、土地の相続権を有する「長子の権利」を侮ったのです。一時的な自分の欲を優先し、永遠の価値ある土地の相続権を侮るような者は、神の契約を相続する者としてふさわしくありません。そのような者の心には、神への敬虔はありません。いずれ、カナンの土地を自分の好き勝手にしてしまうのです。
「兄が弟に仕える。」と仰せられた神のことばは、このようにして実現しました。
しかし、後になって、失ったものの大きさを知ったエサウは、ヤコブを恨み、殺意を燃やします。エサウの恨みと呪いとは、エサウの子孫の遺伝子に受け継がれています。
神の御前でカナン全土の相続者となったヤコブの子孫の土地は、エサウの子孫に狙われています。
エサウは、父イサクの異母兄弟である伯父のイシュマエルの娘をめとり、イシュマエルと混血しました。エサウの子孫はエドム人と呼ばれますが、イシュマエルの中に入ってアラブ人として残っているのかもしれません。
イシュマエルの子孫は、兄弟で敵対し合っています。その中に、ヤコブに殺意を持つエサウの子孫の憎しみが脈々と流れているとしたらどうでしょうか。
これは単なる宗教的な問題ではなく、骨肉の争いの激しい炎が燃え続けているということです。イスラエルを絶滅することが彼らの目標なのです。この妬みの火を消す者はいません。
イサクから出た一つの国は、もう一つの国に敵対するものの中にいます。すなわち、エサウの子孫は、ヤコブの子孫イスラエルに永遠に敵対しているのです。
しかし、エドム人として残っている残りの者の中には、イスラエルの中に入っているものもあるでしょう。
「兄(エサウの子孫)は弟(ヤコブの子孫イスラエル)に仕える。」と主が仰せられているからです。
へりくだったエサウの子孫は、イスラエルの中にいてユダヤ人に仕え、神の祝福を受けるでしょう。
アブラハムの子孫にヤコブが生まれたことにより、神のキリストを遣わす御計画は着手されました。ヤコブ(かかと)は、女の子孫(神の御子キリスト)のからだであり、妬みを持つ敵から噛みつかれるのです。