神は、あの手この手で日本列島を揺さぶり、日本人の心を揺り動かしておられます。裁きのためではなく、救いのためです。
「あなたがたは今がどんな時であるかを知っています。あなたがたが眠りから覚めるべき時が既に来ています。
今や、私たちが信仰に入ったころよりも、救い(主が来られる時)は近づいた。だから、闇の行ないを脱ぎ捨てて(罪を悔改めて、闇に勝利するために)光の武具(正しい行ない、きよい心、神への信頼)を身に着けましょう。
(闇に隠れるもののようではなく)日中を歩むように、品位をもって歩もうではありませんか。酒宴と酩酊、淫乱と好色、争いとねたみを捨て、主イエス・キリスト(罪に勝利を取られた主イエス・キリストの行ないや教えのことばと神の御霊)を身にまといなさい。
(自分の)欲望を満足させようとして、肉(の思いと行ない)に心を用いてはなりません。(救いを受けるためです)」(ローマ13:11-14)
分断されていた和の心を取り戻しましょう。
大和魂の中心には、目に見えない神々を畏れていのちを尊ぶ心と、日本の生ける神が大和民族を治めるために立てた権威、すなわち、霊的務めを担われる天皇を敬い、礼儀を尽くす謙遜がありました。また、大和民族が一つの家族のように和合して互いを思いやり、戒め合い、助け合う心がありました。
古の日本人は、天皇を中心に、秩序のある国造りを目指しました。平和を愛し、目に見えない権威にへりくだり、「和」を重んじる国民だったのです。自己主張ではなく、お上をかしらとする、一つの集合体でした。
これは、まるで、キリストのからだのひな型のようです。神の栄光を現わすキリストをかしらとして、キリストのからだを形成する神の子どもたちのようでした。
一人ひとりは、一つ一つのさざれ石(細かい石)ですが、大いなる一つの意思を成し遂げる一つの精神で統一された巌のように統合された精神でした。一人ひとりの魂は、それぞれ個別のものですが、目に見えない力によって結束すると、妨げの岩をも砕く強大なパワーとなるのです。日本列島を守る国体は、目に見えない神によって、精神的結びつきによって、堅固なものとされていました。
天皇親政、摂関政治、院政などの朝廷が大きな力を持っていた時代から、政治の実権を武士が握る武家政権に移り、鎌倉幕府から始まって、江戸幕府が倒れるまで続きました。
その名残によって、天皇の存在は、大和民族の始まりのようではなくなりました。
新政府軍が、旧幕府勢力に勝利すると、明治天皇を最高権力とした新政府が発足しました。京都御所の暮らしから、東京の皇居で、新しい日本の君主としての生活を余儀なくされた明治天皇でした。
「大日本国憲法」が発布されて、天皇は統治権の責任者と明治政府の権威を象徴するための存在とされたのです。
天皇と臣民(大日本帝国憲法下で君主である天皇に従属し、忠誠を尽くす立場であり、天皇の支配を受ける国民)との関係性が、新政府軍により築かれました。
幕府の支配を経た日本国は、大和民族が培ってきた精神的繋がりよりも、形骸化した目に見える秩序へと変わったのです。
第二次世界大戦で敗戦国となった日本国は、外国の勢力によってますます、形式的になって、精神的繋がりを断ち、個人主義を重んじるようにされました。
臣民という概念をなくし、天皇は日本国民の象徴とされました。
明治以降、天皇は、仮の住まいに置かれているようです。本来は、京都に都があり、天皇の御所がありました。
徳川将軍家の居城であった江戸城、江戸幕府の政治的拠点であり本拠地であった場所を皇居とされて、明治天皇が移られると、霊的には、徳川の支配の中心に座を設けられたかたちになります。
天皇の本来の霊的権威は、姿かたちが消えたはずの幕府の、目に見えない力の支配下に置かれているようです。
歴代の天皇の霊的拠点である京都に玉座が戻されるならば、大和民族は、霊的に開かれた本来の機能に回復するように思います。
時が来たらそのようになるのでしょうか。
しかし、今は、大和民族の臣民の心が目覚める時です。臣民あっての天皇であり、天皇あって臣民の精神が整うのです。
君主である天皇の支配下にはいる、というと現代人にはなじみのない感覚ですが、神の権威の置かれた天皇に従属し、忠誠を尽くすという在り方は、実は、目に見えない神が大和民族のDNAにしるしておられる、「さざれ石の巌」の安息の姿なのです。
キリストを知らない人々も、聖書を知らない人々も、この「さざれ石の巌」の大和民族の民族性によって、生けるまことの神から外れずに霊的に守られているように思います。
霊的には、現在の北朝の天皇の祈りによって守られて、終わりの時代に再び起こされる南朝の天皇のひとりの子孫の大和魂そのものの精神的な真実な生き様を見て、大和魂は彼に従い、目に見えない生ける神に繋がっていのちの道に導かれるのだと思います。
愛子様の存在は、大和魂の精神性を映し出す鏡のような存在です。大和民族のDNAは正しく反応するでしょう。大和魂は目覚めて、大和魂の模範となる天皇ご一家の存在を敬い、天皇皇后両陛下の国民を思う思いと祈りを感謝し、愛子様のために祈ることで、生気を取り戻すのでしょう。
神は、天皇を日本国民の象徴とすることで、大和民族の回復の時を用意しておられました。時代は変わっても、日本国民の精神を守り支える存在として機能していました。
この世の思いが暗く、滅びに向かう中で、神は日本国に、変わらぬ希望の光を置いておられました。光を求める者には、霊的な権威がわかります。天から出ている権威を知る感覚を持っているからです。
日本国民全員に大和魂があるわけではありません。しかし、大和魂を持つ魂は、闇の支配に危険を察知すると、真実を求め、まことのものが見えてくるのです。
大和魂は、人間の教えや、知識によって、それを知るのではありません。自分のうちの感覚によって違和感を感じるものから目を離し、真実を探して光を知るようになるのです。
古神道の人は古神道の中で、仏教の人は仏教の中で、スピリチュアルな人はその霊的感覚の中で、それぞれ自分の精神の居場所にあって、真理をつかむのでしょう。
すべての宗教は完全なる真理ではありません。それぞれの宗教の中に部分的な真理が隠されています。その真理に出会った人たちは、揺るがない光をつかむのです。それぞれ捉えた光を心に宿して、信仰と希望を抱いて、魂を完成させます。そのような魂が、「弥勒の世」に迎えられるのです。
古武道の精神、古神道の精神、天皇家の霊的象徴、日本列島には、いのちの道への扉が様々なところに設けられています。大和魂は、それを見いだします。
キリストの血によって罪が贖われているクリスチャンは、信仰の勝利によって、「いのちの冠」を受けます。すでに永遠のいのちを得て、千年王国にはいります。
キリストの血の贖いを受けていない古神道や仏教、無宗教などの日本人は、魂が見いだした真理の道を信じて進み、「いのちの書」に名前がしるされるのでしょう。そして、千年王国(千年間の弥勒の世)にはいり、都にある「いのちの木の実」を食べて、永遠のいのちを得るのでしょう。
大和魂には、御救いが約束されています。
大和魂は、救われるために目覚め、神の霊的権威が与えられている天皇家に感謝し、自然の中に身を置いて、忘れていた大切な記憶を思い起こし、感謝と喜びと平安に支配される大和魂を回復するのでしょう。