「(イエスを処刑する権限を持つ)総督ピラトはもう一度官邸にはいって、イエスを呼んで言った。
『あなたはユダヤ人の王ですか。』
イエスは答えられた。
『あなたは、自分でそのこと(イエスがユダヤ人の王であること)を言っているのですか。それともほかの人が、あなた(ピラト)にわたし(イエス)のことを話したのですか。』
ピラトは答えた。
『わたしはユダヤ人ではないでしょう。(ピラトは異邦人です)あなた(イエス)の同国人(ユダヤ人)と祭司長たちが、あなたを私に引き渡したのです。あなたは何をしたのですか。(同胞のユダヤ人たちに訴えられるどんなことをしたのですか)』
イエスは答えられた。
『わたしの国(天の御国)はこの世のものではありません。(この世に属していないのです)もしこの世のものであったなら、わたしのしもべたちが、わたし(イエス)をユダヤ人に渡さないように、戦ったことでしょう。しかし、事実、わたしの国はこの世のものではありません。(神のひとり子イエスの国は、神を選び、真理に属する信仰の勝利者たちの魂がはいる、とこしえの国です)』
そこでピラトはイエスに言った。
『それでは、あなたは王なのですか。』
イエスは答えられた。
『わたしが王であることは、あなたが言うとおりです。わたし(イエス)は、真理をあかしするために生まれ、このことのために(天地万物を造られた全能の神、すなわち、いのちの根源であられる父なる神をあかしし、天の御国について、永遠のいのちについて、真理の御霊について証言するために、また、罪を取り除いてユダヤ人の目を開き、罪を悔い改めて神に立ち返らせるために)世に来たのです。
真理に属する者(目に見えないいのちの神を認め、神を畏れ、神とともに歩む正しい人)はみな、わたしの声(父なる神のことばを語る神のひとり子の声)に聞き従います。』」(ヨハネ18:33-37)
呪いの木(十字架)につけられて、世の罪を取り除く神の子羊の血を流されたのは、実に、神のひとり子でした。天地万物が創造される前からおられた神のひとり子です。
天地万物の創造主であられる天の神が、肉体を造り、人の子として、アブラハムの子孫であるイスラエルの王ダビデ王の子孫として、遣わされた神のひとり子です。
神のひとり子は、ユダヤ人として人間の世界に来られました。
神の御子イエスがつけられた十字架の罪状書きには、「ユダヤ人の王ナザレ人イエス」と書いてありました。死刑を執行した総督ピラトが書いたものです。それはへブル語、ラテン語、ギリシヤ語で書いてありました。
ピラトがイエスに「あなたは王なのか。」と尋ねると、イエスは「わたしが王であることは、あなたが言うとおりです。」と答えられられたので、イエスに罪を見い出せなかったピラトは、イエスの罪状を「ユダヤ人の王」としました。
当時イスラエルはローマ帝国のユダヤ属州であって、ユダヤ人に王はありませんでした。ローマ帝国の支配下にあるユダヤ人にとっても、王は皇帝カイザルでした。
ユダヤ人たちは、罪のないイエスを釈放しようとするピラトに激しく叫んで言いました。
「もしこの人(自分を王だとするナザレのイエス)を釈放するなら、あなたはカイザルの味方ではありません。自分を王だとする者はすべて、皇帝カイザルにそむくのです。」(ヨハネ19:12)
ローマ帝国の圧政に苦しむイスラエルは、キリストを待ち望んでいました。キリスト(救い主)が、ローマの圧政から救い出して、ユダヤ人の国を再興してくださると信じていたからです。
イエスは、世の滅びからユダヤ人を救う「ユダヤ人の王」として来られました。しかし、ユダヤ人たちは、イエスが「王」であることを憎みました。彼らは、ナザレのイエスが、ユダヤ人の罪を贖うキリストであることがわからなかったのです。
ナザレのイエスが、永遠の昔から父なる神とともにおられる神のひとり子であることを理解しなかったのです。
ユダヤ人たちが「私たちの神」と呼んでいるイスラエルの神は、御自身のひとり子を、ユダヤ人の間に遣わされました。それは、彼らの先祖に誓われた約束ゆえです。
神の御子イエスは、イスラエルの王ダビデの子孫として、ベツレヘムに住民登録されました。イエスは、神がダビデ王に約束された、とこしえにダビデの王座に着く王です。しかし、ユダヤ人たちはそれを望みませんでした。彼らは、イエスではない、ほかの者を待ち望んだのです。
神の使命を負って、御子の栄光の御姿を捨てたひとり子に、父なる神は肉体を造り、ユダヤ人の王として遣わされました。
父なる神は、ユダヤ人たちが「私たちの神」「イスラエルの神」と呼んでいる全能の神です。全能の神のひとり子が世に来られたのに、地上で唯一、天の神に仕える神の祭司の国民(ユダヤ人)は、神のひとり子を信じず、神のひとり子を憎み、呪いました。
ユダヤ人として生まれ、ユダヤ人の間を巡り、ユダヤ人たちが「私たちの神」と呼んでいる「神の御子イエスの父」をあかしし、神の御力を現わし、神の栄光をご自身に映し出しておられたのに、ユダヤ人たちはイエスが王であることを望みませんでした。
神のひとり子を遣わされた御父の痛みは、如何ほどだったでしょう。キリストを待ち望む民に、御自身のひとり子を遣わされたではありませんか。しかし、神がねんごろに育てた祭司の民ユダヤ人たちは、イスラエルの神のひとり子を蔑みののしり、挙句の果てに十字架につけ、罵声を吐き、呪ったのです。
神が預言者イザヤに仰せられた預言は成就しました。
「行って、民(ユダヤ人たち)に言え。
『聞き続けよ。だが悟るな。見続けよ。だが知るな。』
(強情な)この民の心を肥え鈍らせ、その耳を遠くし、その目を堅く閉ざせ。
(民が)自分の目で見、自分の耳で聞き、自分の心で悟り、立ち返って、いやされることのないために。」(イザヤ6:9,10)
神のひとり子イエス・キリストが遣わされた時代のユダヤ人たちは、イエスのことばを聞き、イエスの成さる不思議としるしと奇蹟を見ながら、決して悟ることはありませんでした。
神の御心を知る心は鈍く、神の御声を聞く耳は遠く、神の栄光を見る目はつぶっている民を怒った神は、彼らがその目で見、その耳で聞き、その心で悟って、神に立ち返り、神に罪が赦されていやされることのないようにされたからでした。
「聖書」がゆだねられ、神の秘密を示されていた神の民なのに、神のひとり子を悟ることはありませんでした。神のひとり子を信じない者は、神のひとり子を遣わされた父なる神も信じていないのです。神のひとり子を冒瀆する者は、天の神を冒瀆する者です。
天地万物を造られた全能の神を信じない者は、神の怒りと呪いを身に受けます。そのような者は、いのちの木の実を食べるのにふさわしくないからです。
イエスは、神のひとり子です。どれほどの人がそれを信じているでしょうか。
天にも地にも、神のひとり子は、イエス・キリストただおひとりです。
神は、ひとり子に肉体を造り「人の子」として地上に遣わし、世の罪を取り除く贖いの血を、「人の子」である神の子羊イエスからお受けになりました。
神は、神の子羊イエスの血によって、罪を赦されます。罪赦された人は、神がお与えになった神の子羊の贖いの血を感謝して受け、十字架の主イエス・キリストを信じた人です。神は、その人を「義」とされます。
神は、従順な神の子羊を、聖霊によって死から甦らせました。死は罪の報酬です。罪のない神の子羊イエスの報酬はいのちなのです。
イエスは、罪を犯さないことで、死と悪魔に打ち勝ったのです。
神は、死と悪魔を踏み砕いた従順な神の子羊イエスに、聖霊によって永遠のいのちを与え、新しい御霊のからだを与え、死から甦らせました。神は、「人の子」に、御霊による新しい創造を施されたのです。
そして、神は、信仰の勝利者である神の子羊イエスに、聖霊のバプテスマを授けるキリストの権威をお与えになりました。
キリストは、神が「義」とされた者に、聖霊をお与えになります。死から甦らせ、新しいからだと永遠のいのちとを得させる「真理の御霊」を授けられます。
神の子羊イエス・キリストは天のものです。
聖霊も天のものです。
イエスは言われました。
「わたしの国はこの世のものではありません。」
事実、御霊によって新しく生まれ、永遠のいのちを得させられる者は、この世のものではありません。
目に見えない神のうちに在るとこしえの国のものです。
神のひとり子の救いは、神の赦しと和解、愛と喜びと永遠の安息です。
救いを求める人よ。私たちを救うのは、私たちを造られた方です。私たち一人ひとりをよく知っておられる神のひとり子です。