ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

藤原道長の願いは聞き届けられた

 

 奈良国立博物館で、「神仏の山吉野・大峯―蔵王権現に捧げた祈りと美ー」という特別展を、6月7日(日)まで開催中だそうです。

 

 修験道(しゅげんどう)の聖地であり、桜の名所である吉野山と山岳修行はじまりの地とされる霊山「金峯山(きんぷせん)」は、平安時代には藤原道長ら都の貴族や天皇がこぞって参詣(さんけい)した場所であり、南北朝時代には後醍醐天皇(ごだいごてんのう)が山内に政治の拠点を置いた南朝の天皇にゆかりの深い地です。

 ご自分は北朝だと言われた明治天皇は、本当の天皇は三種の神器を所有する南朝の天皇だと言われており、後醍醐天皇の偉業を偲び、吉野山に後醍醐天皇を祀る吉野神社を創建されたそうです。

 

 日本国の礎となる大和民族の国造りは、神が日本列島に導かれた残りのユダヤ人(律法によって神を知り、律法を守ることによって神の民の証しとする一般的なユダヤ人たちの中にあって、目に見えない神を畏れて生けるまことの神を霊とまことによって礼拝し、神の御前に出て神に仕える祭儀と神事、神を畏れ敬う心を保ち続けていた少数派のユダヤ人たちを取り分けて、神の霊によって、日の上る方極東の島国へと連れて来られた、真実な神のしもべであるユダヤ人たち)がしたのだと、私は考えています。

 

 国の統治者である天皇と天皇に仕える人々、神事を執り行う古神道の人たちは、ユダヤ系の人だと思います。

 それゆえ、日本国で南朝、北朝に分けられているのは、イスラエル王国のソロモン王の子レハブアムの治世に、十二部族のユダヤ民族のイスラエル王国の二部族を「南ユダ王国」、十部族を「北イスラエル王国」という二つの国に引き裂かれた名残りだと思います。

 日本の南朝の天皇はダビデ王の子孫である「南ユダ王国」二部族の王であり、北朝の天皇は「北イスラエル王国」十部族の王として、私は捉えています。

 

 ダビデ王の子ソロモン王が、神がめとってはならないと命じられた外国の女たちを愛して妻とし、妻たちの神々に従い、ソロモン王の心がイスラエルの神、主から移り変わったからです。

 ほかの神々に従って行ってはならないと、父ダビデ王とともにおられたイスラエルの神に命じられていたソロモン王は、主の命令を守らなかったのです。

 

 「それゆえ、主はソロモンに仰せられた。

 『あなた(ソロモン)がこのようにふるまい、わたしが命じたわたしの契約とおきてとを守らなかったので、わたし(主)は王国をあなたから必ず引き裂いて、あなたの家来に与える。

 しかし、あなたの父ダビデに免じて、あなたの存命中は、そうしないが、あなたの子の手からそれ(十二部族)を引き裂こう。 

 ただし、王国全部を引き裂くのではなく、わたしのしもべダビデと、わたしが選んだエルサレムのために、一つの部族だけをあなたの子(レハブアム)に与えよう。(神は、イスラエル王国の王位を与えた最初のサウル王を出したベニヤミン族、その一つの部族を、ソロモン王の子孫にお与えになりました。それで、ソロモン王の子孫は、ダビデ王を出したユダ族とサウル王を出したベニヤミン族の二つの王家の部族の王となり、「南ユダ王国」の王座に着きました)」(列王記第一11:11-13)

 

 「(預言者)アヒヤは着ていた新しい外套をつかみ、それを十二切れに引き裂き、(十二部族の長子であるエフライム部族の)ヤロブアムに言った。

 『十切れを取りなさい。イスラエルの神、主は、こう仰せられます。

 「見よ。わたし(主)はソロモンの手から王国を引き裂き、十部族をあなたに与える。

 しかし、彼(ソロモン)には一つの部族(ベニヤミン族)だけが残る。それは、わたしのしもべダビデと、わたしがイスラエルの全部族(十二部族)の中から選んだ町、エルサレムに免じてのことである。

 わたし(主)は彼(ソロモン)の子の手から王位を取り上げ、十部族をあなた(ヤロブアム)に与える。

 彼(ソロモン)の子には一つの部族を与える。それはわたし(イスラエルの神)の名を置くために選んだ町、エルサレムで、わたしのしもべダビデがわたしの前にいつも一つのともしびを保つためである。(ダビデ王の子孫は、本来二部族の王ではなく、十二部族全体の王なのです)

 わたし(イスラエルの神)があなた(ヤロブアム)を召したなら、あなたは自分の望むとおりに王となり、イスラエル(神の民)を治める王とならなければならない。

 もし、わたしが命じるすべてのことにあなたが聞き従い、わたしの道に歩み、わたしのしもべダビデが行なったように、わたしのおきてと命令とを守って、わたしの見る目にかなうことを行なうなら、わたしはあなたとともにあり、わたしがダビデのために建てたように、長く続く家をあなたのために建て、イスラエルをあなたに与えよう。

 このために、わたしはダビデの子孫を苦しめる。しかし、それを永久に続けはしない。』」(列王記11:30-32,35-39)

 

 日本列島に、最初、北イスラエル王国十部族の残りの者たちが渡来して、古神道の信仰をもたらしたように考えます。

 自然崇拝の縄文人の世界に、神という存在を知らせて、それぞれの自然現象に神の名をつけたのかもしれません。

 次に、南ユダ王国二部族が渡来して、人としての正しい生き方を教える仏教的な教えを広めたのかもしれません。

 

 古神道の国に、仏法がはいり、いよいよ、国民の意識が結束し、神を喜ばせる正しい生き方をする国民となったのかも知れません。

 神仏習合の教えは、大和民族の精神を培いました。大和魂をかたち造ったことでしょう。

 

 神仏習合の精神を土台とする大和民族は、仏教的な色合いが濃くなって、朝廷の中で南朝と北朝との権力争いを引き起こす武力が強まって、いよいよ武家政権の時代にはいり、情勢は変わりました。

 王権復古の大号令が発せられ、天皇を中心とする明治政府樹立の宣言がされ、仏教が入って来る以前の神道の世界に戻そうとすることで、廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)の動きがある中、明治新政府は神仏習合をやめて神道と仏教を明確に区別する神仏分離令を発令しました。

 

 大和魂を支えて来た神仏習合思想は分裂し、人の正しい生き方を教える仏法の教えは、民衆の中で広がりました。大衆には大和魂が残されているのに、権力者たちの間では、大和魂は暗くなり、かげりが起こりました。

 

 神は、日本列島の中で、南朝北朝を一つにするために、あえて、鶴と亀をひっくり返されたように思います。王家の部族の二部族(南朝の天皇)を中心から外して、王家を出したことのない十部族(北朝の天皇)を天皇の玉座に着かせられました。

 終わりの時代に、十二部族のイスラエル王国を復興させるために、神が引き裂かれた南朝と北朝を和解させて、日本列島からイスラエルの回復を始めて、きよめと和合へと導かれるようです。

 

 「かごめかごめ」を子どもたちに歌わせて伝承し、日本国民に残された神の予言。

 これは、鶴(南朝の天皇)と亀(北朝の天皇)が心一つとなって統べる、新しい精神的霊的世界の神の国が始まることの暗示だったのかもしれません。

 

 南朝の天皇の隠された子孫が、終わりの時に立つ「イスラエルのメシア」のように思います。修験道の鍛錬を積んだような精神的霊的な人であるように思います。

 彼は、神の与える火の試練をくぐり、へりくだった魂に変えられ、慈愛と憐みに満ちた精神性の高い人なのかもしれません。

 

 北朝の天皇は、今上天皇であり、天皇皇后両陛下と愛子様の天皇ご一家は、この南朝の天皇の子孫を世に出現させるために霊的助けをされる祈りの人たちなのかもしれません。

 

 北朝の天皇に皇位が移されて南朝の天皇の子孫は苦しんだのかも知れません。

 しかし、神が、そのことを定められました。

 北朝の天皇が国民から敬愛され、日本国民は南朝の天皇のことを忘れています。北朝に代わっていることさえ気づいていないのです。仏教との関わりは皇室から排除されました。

 

 天皇ご一家の存在は、大和魂を映し出す鏡のようです。国民は、天皇ご一家のうちにある愛と平安を見て、心に光をともすでしょう。

 しかし、南朝の天皇のひとりの子孫は、日本人を新しく起こる霊的な神の国、精神的な国を建て上げる国民として、憐れみと愛をもって人としての正しい生き様を示して、大和魂に進むべきいのちの道を示すことでしょう。

 

 神は、ダビデの子孫を苦しめられましたが、それを永久には続けられません。

 南朝の天皇のひとりの子孫によって、大和魂をいのちの道へと導かれるでしょう。その人は、二部族の王ではありません。南朝の天皇ではありません。

 十二部族のユダの総督であり、大和民族(神の民)の天皇なのです。

 

 藤原道長の日記に、金峯山寺を詣で、山上に写経15巻を埋めて灯籠を建て、「経塚」としたと記載があって、それが、江戸時代に出土しており、その一部を金峯神社が所蔵しているそうです。

 今回、奈良国立博物館の特別展に展示されているようです。

 

 釈尊入滅後56億7000万年後に弥勒菩薩が出現して衆生を救うという末法(まっぽう)思想を背景に、貴族の篤い信仰を集め、弥勒再生を願って書写された写経が埋納されました。

 現在、藤原道長が極楽浄土を祈願して、自筆で書写供養した写経が展示されているそうです。道長は、弥勒の世に入る頃、この写経が人に見つけられるように、願っていたようです。

 2026年に、この写経が奈良国立博物館の特別展に展示されて、人々に見られるということには、何か深い意味があると思います。