すべての人には魂があります。魂が、その人の本体だからです。
人の息が止まり心臓が停止すると、肉体は死に、魂は肉体から抜け出すようです。肉体は朽ちて土に還りますが、肉体を脱いだ魂は、生まれて来る以前の裸の魂となるようです。
地上で人生を送るために、魂は、肉体を着て生まれてきました。魂には、課せられた課題があるようです。それは、今生で何を学ぶかを魂が決めた課題のようです。この課題を成し遂げるのが人生です。
一人ひとり課題は違います。それは、それぞれの魂の成熟度は異なるからです。
聖書には書いてありませんが、魂は幾度も転生しながら、魂のゴールを目指しているようです。魂のゴールとは、魂の故郷、魂の姿で存在した初めの所に戻ることでしょう。それは、肉体の姿ではありません。霊のからだの姿です。
魂は、永遠に存在するものです。人が死ぬと、魂も死んでしまうように思ってしまいますが、魂は決して死なないのです。
死んだ人の魂はどこへ行くのでしょうか。魂たちが集まる所へ帰って行くようです。しかし、肉体を脱いだ魂は裸です。からだがないのです。しかし、魂には意識があるので、その記憶によって、まるでからだがあるかのように錯覚することでしょう。
なぜ、魂は裸なのでしょうか。それは、神のことばから外れて「死」を選んだからです。
人は肉体がある間は「生きている」と思い、肉体がなくなると「死んだ」と思いますが、実は、裸の魂はすでに死んでいます。それなのに、なぜ、肉体をまとって、再び人として生まれ、また、死んで行くのでしょうか。
それは、魂を造られた創造主であられる主の憐れみによります。いのちを得させるためです。
最初の人アダムは、神が「食べてはならない。それを食べる時、あなたは必ず死ぬ。」と仰せられた善悪を知る知識の木の実を食べたので、死んだ者となってしまいました。
善悪を知る知識の木の実を食べた人は、神のいのちから外れ、いのちの所有者を自分だと思い、自分のいのちだと考えます。自分のいのちなので、自分自身の好きなように生きてよいと考えるのです。
善悪を知る知識の木の実を食べる以前のアダムは、神の善しかありませんでした。なぜならば、アダムは神のことばとともにあって、善であられる神の「善」を受け取っていたからです。
神には暗いところが一つもありません。闇はないのです。悪も罪も死もありません。
ところが、エバを騙した蛇のことばは悪魔の言葉であって、闇と死の言葉でした。悪魔は、天から追放された堕天使長です。全き光の神に仕えていた天使長ルシファーは、神のひとり子の神格を妬みました。
天使長は、全知全能の父なる神と同じ神性を持つひとり子を妬み、ひとり子を憎んで反逆し、ひとり子に敵対して、神の聖を汚したのです。
神は、天の秩序を乱す堕天使長を天から追放されました。すると、天使長ルシファーに率いられていた天使の群れも、ともに天を出て行ったのです。
全き光の天から追放された堕天使たちは、光のない闇をさまよいます。闇の中で悔いる天使たちもいたでしょう。すぐに立ち返った天使たちは、神に赦しを請い、神の憐れみによって、背きの罪を赦す新しい創造を施されて、神のみもとに帰ることができたと思います。それが、神の御前に仕えている四つの生きものだと私は考えています。生きもののそばには、それぞれ一つずつの輪がありました。
その輪のわくは高くて、恐ろしく、その四つの輪のわくの回りには目がいっぱいついていました。生きものとともにそれぞれの輪がありました。生きものの霊が輪の中にあったからです。
天使であったときには、それぞれの霊は個別に存在していました。しかし、一度天から追放された天使たちは、たくさんの霊が集められて一つの生きものに創造されたように思います。もはや自由はありません。輪の中に生きものの霊があり、その輪のわくの回りには、個別の天使であった頃の天使たちの目がついているのでしょう。
四つの生きものは、ただ神の栄光を仰ぎ、神の御前で永遠に仕えるものとして、新しく創造された姿のように思います。
闇に追放されたままの堕天使は、大勢います。堕天使長は、悔いる事はありません。かえって、怒りは増し、神のひとり子への憎しみは深まるばかりです。堕天使長は、闇の王者「悪魔」の姿に変貌しました。堕天使長と同じ心を持つ堕天使たちは、「悪霊」どもとなりました。彼らの神のひとり子への敵意と、神への敵対心は変わることはありません。
神は、悪魔と悪霊どもをさばくために「永遠に燃え盛る火の池」を用意されました。
悪魔と組しない堕天使たちも大勢います。彼らは、天から追放されたけれども、罪を愛する者ではありません。彼らには、「火の池」のさばきを免れるためのチャンスがあります。
さて、蛇は悪魔の言葉を飲む獣の霊です。神のことばを飲み神の霊を宿していたアダムは、獣の霊を飲んで、エデンの園から追放されました。神のようになろうとする悪魔の食べ物(善悪を知る知識の木の実)を食べたアダムは、悪魔の死と神のさばきをともにする罪人となったからです。
神は、罪人の罪を赦して、罪の裁きと永遠の死(火の池)から救い出すために、神のひとり子を遣わされました。
神のひとり子は、肉体を持つ「人の子」ナザレのイエスとなられて、罪人たちのすべての罪を負って十字架にかかり、罪人の代わりに神の呪いを受けてくださいました。
罪人は、神が用意された神の子羊イエス・キリストの贖いの血により、罪が赦されて雪よりも白く洗われます。神が遣わされた救い主を信じる魂には、贖いの血がしるされます。そして、神は、罪が贖われた魂に、キリストを死から甦らせた「聖霊」を授けてくださいます。
聖霊は「真理の御霊」、真理を教えてくださる神の御霊です。御霊は、神格者です。天から遣わされた「永遠のいのち」です。
日本列島に、神の霊が注がれるようです。
イエス・キリストを告白する神の民にだけでなく、すべての人に注がれるようです。
しかし、魂の状態によって、受け取ることのできる人もいれば、気づかない人や、拒絶する人もいるでしょう。
イエスが話された四つの種のたとえ話があります。
種を蒔く人が種まきをします。(御使いが日本列島に神の霊を注ぐことを考えてみましょう)
道ばたに落ちた種は、鳥が来て食べられてしまいます。
神の試み(魂を生かすために神が取り扱われる試練)を嫌い、好き勝手に生きて感情をコントロールする学びを受けずに、放置して耕されていない魂は、御救いのことばを聞いても悟ることができません。悟らないと、悪い者が来て、御救いのことばを奪って行きます。
土の薄い岩地に落ちた種は、土が深くなかったので、すぐに芽を出すが、日が上ると、根がないために焼けて枯れてしまいます。
深い考えを持たない魂は、御救いのことばを聞くと、すぐに喜んで受け入れるが、ほかに興味のあることを思い出すとすぐに忘れて離れてしまう。また、御救いのことば(福音)のために困難や迫害が起こると、すぐにつまずいてしまいます。
いばらの中に落ちた種は、いばらが伸びて、ふさいだので、実を結ぶことができません。
御救いのことばを聞くが、世の思い煩いや富の誘惑が御救いの希望をふさいで、信仰の実を結ばない人です。
良い地に落ちた種は、実を結んで、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結びます。
人生の苦難から逃げず、苦しめば苦しむほど、悲しめば悲しむほどに、心砕かれて、従順を学び、見えない神の御手の下にへりくだる魂は、義の実を結びます。魂の成熟度に応じた実をみのらせます。
義の実を結ぶ魂は、裸の魂ではありません。永遠のいのちと御霊のからだを得て、神の子どもに造り変えられて、神の御国にはいる魂です。
魂の牧者に導かれ、魂の造り主のみもとへ帰る、信仰の勝利者たちです。彼らに、「永遠の死」はありません。永遠のいのちと永遠の安息が約束されています。
日本人には自然から学ぶ魂の種があります。それは、先祖から受け継いだ遺伝子に保存されている大和魂です。
これから、聖霊が地上から取り除かれる時が来ます。異邦人の時が完成する時です。
しかし、世は続きます。ユダヤ人の時にはいります。ユダヤ人が御救いのことばを語り、世界を新しい世界(神の国)へと導く時が来るのです。
その時、魂が備えられた人たちは、ユダヤ人の時に神が立てられる油注がれた人「イスラエルのメシア」に従うでしょう。
魂を備えるために、参考となる動画を見つけました。
YouTube都市伝説の部屋の「【心停止20分】3度死んだ男が2011年に見た2026年の日本が、全部現実になっている【都市伝説ミステリー予言】」です。
日本人には理解しやすい内容でしょう。
私たちは、大和魂を目覚めさせ、私たちの魂に光を与える日常を大切にしましょう。
その日常の歩みによって魂は思い出し、真理を見分ける魂の健やかな感覚を思い起こさせて、「イスラエルのメシア」に従う祝福された魂とされるでしょう。