ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

創世記二十八章 父祖アブラハムの契約の相続人と認定されたヤコブ

 

 父アブラハムの契約を相続したイサクは、不妊の妻のために主に祈願しました。主がイサクの祈りに答えられたので、イサクの妻リベカはみごもりました。

 

 主は、イサクの妻リベカに仰せられました。

 「二つの国があなたの胎内にあり、二つの国民があなた(リベカ)から分かれ出る。

 一つの国民は他の国民より強く、兄が弟に仕える。」(創世記25:23)

 

 長子が先祖のものを受け継ぎ相続する社会において、神は、生まれる以前から、すなわち、母親の胎内にあるときから、弟を相続人にすることを定めておられました。

 

 イサクは、年を取って閉経した八十九歳の母サラの胎に宿った子どもです。人間の常識ではあり得ないことが起こりました。自然の摂理に反して生まれた子どもです。神は、人間の常識の枠に収まる方ではありません。神は、無から有を生じさせる創造主なのです。

 

 イサクの子どもにも、人の思いをはるかに超えた神の摂理が働きました。長子に長子の権利を与えず、兄を弟とし、弟を兄とするような、常識を逸する「身分の位」の転換がありました。

 長子が長子の権利を有することは、筋が通っています。しかし、神は、兄と弟の立場をひっくり返されます。

 

 それならば、弟を先に生まれ出させれば良かったのに、と考えるのが人間です。

 しかし、神は、絶対主権者であって、神の定めは揺るぐことがありません。神がそう定められたのです。神がお定めになったものが、人間世界においても権威を持ちます。なぜならば、すべての権威は、天地万物を創造し、万物を統べ治められる神にあるからです。被造物である人間はつぶやかずに、「神は全き善」であることを信じへりくだって、神の権威に従うだけです。

 

 「すべてのことが、神から発し、神によって成り、神に至るからです。どうか、この神に、栄光がとこしえにありますように。」(ローマ11:36)

 

 閉経した九十歳の年寄り女のサラが子どもを産むのは、神の栄光です。神の契約を持つ信仰の父アブラハムにふさわしい子どもです。イサクの誕生は、神が契約の父アブラハムにお与えになった約束のひとり子であることの証明です。

 

 アブラハムは、「人の子」として遣わされる神のひとり子キリストを生む父です。

 キリストは、アブラハムの子孫ユダヤ人の処女マリヤからお生まれになりました。

 イサクの誕生は、人知をはるかに超えた創造主の栄光をあかししました。アブラハムは、神のひとり子キリスト(救い主)を生むイスラエルの父祖にふさわしく、奇跡の子どもを得たのです。

 

 イサクの妻リベカの胎内の双子の弟が長子の権利を持ち、兄が弟に仕えることは、神のひとり子キリストを遣わされる神がお定めになったことです。

 初子は神のものですが、長子が良い者であるとは限りません。神は魂の値打ちをご覧になる方です。

 

 イサクは、ひとり子でした。それゆえ、父アブラハムの唯一の跡取りであり、相続人です。

 イサクの子は、ふたりいます。兄は自由奔放であり、弟には信仰があります。

 神がアブラハムに契約されたのは、地上のすべての民族は、アブラハムによって祝福される、ということです。神は、アブラハムを大いなる国民とし、祝福の基とされるのです。

 

 神の祝福にふさわしいのは、自由奔放な兄でしょうか。それとも、アブラハムの信仰を受け継いで、神の約束のものから目を離さない信仰を持つ弟でしょうか。

 神は、アブラハムに約束されました。約束の成就を見てはいませんが、アブラハムは主を信じました。主はそれをアブラハムの義と認められたのです。信仰によって、アブラハムは神の契約を受けました。

 

 アブラハムの契約は、信仰によって受け継がれるものなのです。信仰による人々こそアブラハムの子孫なのです。

 「信仰による人々が、信仰の人アブラハムとともに、(神の約束と)祝福を受けるのです。」(ガラテヤ3:9)

 

 信仰のない人は、神の契約の相続人にふさわしくありません。

 アブラハムの契約は、人間同士の契約ではありません。天地万物を造られた全能の神、主との契約です。天の神と地の人とは、どのようにして関係を得るのでしょうか。地の人は、信仰によって、神を知り、天と結ばれるのです。

 

 「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。

 神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。」(へブル11:6)

 

 目に見えない神の存在を、だれが証ししてくれるのでしょうか。だれも主(父なる神)を見たことがありません。それは、心に映し出される神のきよさと臨在とを自分自身の深いところで捉え、目に見えないけれども確かに神はおられると信じる信仰によるのです。

 人から教えられるものではありません。信仰とは、腑に落ちる感覚です。理屈ではなく、知識でもなく、他人の手が及ばない自分自身の深いところでストンと分かる感性です。

 

 私自身は、イエス・キリストが「神の子ども」であることが、どうしても信じられませんでした。私たちと同じ肉体を持つ人間ではないか、と思っていました。

 何の疑いもなく、イエスは神の御子キリストであると告白するクリスチャンは、異様な人たちに思えました。彼らと私の間には、目に見えない壁があるように感じました。

 議論は平行線です。私は地の言葉を話し、彼らは天のことばを話しているからです。

 

 しかし、一つだけはっきりとわかることがありました。彼らは、本気で信じているのだ、ということです。

 そして、彼らと隔てているものは、私の中に在るということを薄々感じました。私は、宣教師に「神を信じる心と神を愛する愛が得られるように祈ってください。」と言って、祈っていただいてから教会を離れました。

 

 「本当に、イエスは神の子どもなのですか。」と心で問い続けました。「本当に、神の御子ならば、はっきりと分かるようにしてください。」と言って、しるしを求めました。

 また、祈りました。「神は、本当におられるのですか。おられるならば、私に分からせてください。」

 

 神は、まず、私に罪を知らせてくださいました。これは、神の霊のみわざです。頭で理解したのではなく、身震いするような衝撃をもって、神の御前にひれ伏しました。心の砦が少し崩れたようでした。

 

 神は祈りに答え、ある時、イエスが神の子どもであることを1ミリも疑わない心を上から着せてくださったのです。本当に、上から降りて来たという感じでした。信仰とは、自分自身の深いうめきによって、目に見えない神と交渉することだと思いました。

 

 だれでも、自分自身の心を目に見えない神の御前に注ぎ出せば、神は、その人に分かる方法で御自身を現わしてくださるのだ、と思います。

 

 さて、兄のエサウを愛していた父イサクは、エサウから長子の権利を買い、また、エサウの祝福を奪い取った弟のヤコブに、実質、アブラハムの契約と祝福が置かれていることを悟ったのでしょう。

 

 父イサクは、祝福してヤコブを送り出しました。

 「さあ、立って、パダン・アラムの、おまえの母の父ベトエルの家に行き、そこで母の兄ラバンの娘たちの中から妻をめとりなさい。

 全能の神がおまえ(ヤコブ)を祝福し、多くの子どもを与え、おまえを増えさせてくださるように。そして、おまえが多くの民のつどいとなるように。

 神はアブラハムの祝福を、おまえ(ヤコブ)と、おまえとともにいるおまえの子孫とに授け、神がアブラハムに下さった地、おまえがいま寄留している地(カナンの地)を継がせてくださるように。」(創世記28:2-4)

 

 父イサクは、状況の流れの中で、弟のヤコブをアブラハムの契約の相続人として承認し、祝福しました。

 

 ヤコブは、カランへと旅立ちました。

 ヤコブは、伯父ラバンのもとに向かう途中、横になって一夜を明かした場所で、夢を見ました。

 

 主はヤコブのかたわらに立ち、仰せられました。

 「わたしはあなたの父アブラハムの神、イサクの神、主である。わたしはあなたが横たわっているこの地(アブラハムに約束したカナン全土)を、あなたとあなたの子孫とに与える。

 あなたの子孫は地のちりのように多くなり、あなたは、西、東、北、南へと広がり、地上のすべての民族は、あなたとあなたの子孫によって祝福される。

 見よ。わたしはあなたとともにおり、あなたがどこへ行っても、あなたを守り、あなたをこの地(ヤコブの子孫に与えると約束した地)に連れ戻そう。

 わたし(全能の神、主)は、あなた(ヤコブ、後のイスラエル)に約束したことを成し遂げるまで、決してあなたを捨てない。」(創世記28:13-15)

 

 神御自身が現れて、アブラハムの契約と祝福とは、ヤコブに与えると誓われました。

 ヤコブは、父イサクの承認を受け、父イサクからアブラハムの契約の相続人として、送り出されました。

 

 神は、信仰によって、長子の権利とアブラハムの祝福を勝ち取った弟のヤコブとともにおられました。

 神御自身も、信仰の勝利者である弟のヤコブを祝福して、アブラハムに与えたカナンの地の相続と、地上のすべての民族はヤコブの子孫によって祝福される、と約束されました。

 

 アブラハムの神の誓いを受けて、弟のヤコブは、父祖アブラハムの契約の相続人として認定されました。

 

 神は、この約束を成し遂げるまで、ヤコブの子孫(イスラエル)を決して捨てない、と誓われました。

 神は、ヤコブの子孫に、神の御子イエス・キリストを遣わされました。そして、この神の子羊イエス・キリストが再び来られると、カナン全土は、イスラエルの所有となるのです。