主は、イスラエルを迎え撃つ民に対して、モーセに仰せられました。
「彼(イスラエルを迎え撃つ民の王)を恐れてはならない。わたし(主)は彼(王)とそのすべての民とその地とをあなたの手のうちに与えた。あなたがヘシュボンに住んでいたエモリ人の王シホンに対して行ったように、彼に対しても行なえ。」(民数記21:34)
そこでイスラエルは彼(王)とその子らとそのすべての民とを打ち殺し、ひとりの生存者も残しませんでした。こうしてイスラエルは、アブラハムの子孫に与えると神が仰せられた土地を占領しました。
かつて、主はアブラハムに仰せられました。
アブラハムが主に、主がアブラハムに与えると仰せられる、アブラハムが今寄留しているカナンの土地がアブラハムの所有であることを、どのようにして知ることができるのでしょうか、と申し上げたからです。
「あなた(アブラハム)はこの事をよく知っていなさい。あなたの子孫(アブラハムの契約を相続する子孫)は、自分たちのものでない国で寄留者となり、彼らは奴隷とされ、四百年の間、苦しめられよう。
しかし、彼ら(アブラハムの相続人の子孫)の仕えるその国民(アブラハムの子孫を奴隷とする国民)を、わたしがさばき(神御自身がさばき)、その後、彼らは多くの財産を持って、そこ(四百年の間、奴隷にされたその国)から出て来るようになる。
四代目の者たちが、ここ(アブラハムが寄留しているカナンの地)に戻って来る。それはエモリ人の咎が、そのときまでに満ちることはないからである。」(創世記15:13,14,16)
主は、アブラハムに、カナン全土を与えると仰せられました。
エモリ人の土地だけではありません。ケニ人の土地、ケナズ人の土地、カデモニ人の土地、ヘテ人の土地、ぺリジ人の土地、レファイム人の土地、カナン人の土地、ギルガシ人の土地、エブス人の土地、ユーフラテス川からエジプトのナイル川までのカナン全土を与えると仰せられました。
主はカナン全土を、霊的には、すでにアブラハムに与えておられます。主の御前では、カナン全土は、すでにアブラハムの子孫の所有なのです。
しかし、実質所有となるのは、アブラハムの時代ではありません。なぜならば、エモリ人が、神に罰せられるほど完全に悪い民になっていないからです。神は、少しでも良いところが残っているうちは、それを滅ぼすことを惜しまれます。
アブラハムの子孫が、アブラハムの相続地を所有するのは、カナン全土の住民がすべて、悪いものとなったときです。
ノアの時代、さばかれるほどに暴虐に満ちた世を、主は、大水で滅ぼされました。
アブラハムの時代、さばかれるほどに悪いものとなったソドムとゴモラの町に、天から硫黄の火を降らせて、主は、住民とその地の植物をみな滅ぼされました。
神は聖なる方です。天の神は、御自身の聖にふさわしく、地の悪いものを聖絶されます。
神は、アブラハムの子孫と契約を結び、天の神に仕える神の祭司の国民「イスラエル」とされました。神は、イスラエルを「わたしの民」と呼び、御自身を「イスラエルの神」と名乗られます。
洪水による滅びも、火による滅びも神御自身の裁きです。
アブラハムの子孫がカナンの地に戻る時には、地上に神の民がいました。神と契約を結ぶユダヤ民族イスラエルです。
神は、イスラエルによって、悪いものを聖絶されます。
ユダヤ民族は、エジプトの地で四百年間、奴隷でした。
こうして、四百年の奴隷生活を経たアブラハム、イサク、ヤコブの子孫である「ユダヤ民族」は、父祖アブラハムの相続地(カナン全土)を所有する「アブラハムの子孫」であることが証明されました。
「イスラエルの神」となられたアブラハムの神、全能の主は、イスラエルとともにおられます。
イスラエルがカナンの土地に住む住民を聖絶することは、天の神から出ていることでした。なぜならば、その住民のすべてが神にさばかれる悪いものとなっていたからです。
神は、御自分の民イスラエルによって聖絶し、悪いものを滅ぼされます。
イスラエルは、聖なる神に仕え、神に従うことで、約束のものを受けるのです。
周辺の王たちは、イスラエルを恐れました。
そして、バラムを招こうとしました。バラムは、神のことばを受ける預言者であり、呪術師です。
モアブの王は、使者たちを遣わして、バラムに言いました。
「今ここに、エジプトから上って来た一つの民がいる。今や彼らは、地の面をおおい、私の前に住んでいる。この民は私よりも強大だ。今すぐに来て、私のためにこの民(イスラエル)を呪ってもらいたい。そうすれば、私はこれを打ち破って、この国から追い出すことができるだろう。
あなた(バラム)が祝福する者は祝福され、あなたが呪う者は呪われることを、私は知っている。」(民数記22:5,6)
使者たちは、占いの礼物を携えてバラムの所に行き、モアブの王バラクの言葉を伝えました。
バラムは彼らに言いました。「今夜はここにとまりなさい。主が私に告げられるとおりに、あなたたちに伝えよう。」(民数記22:8)
神はバラムに仰せられました。
「あなたは彼らといっしょに行ってはならない。この民(イスラエル)を呪ってはならない。彼らは(主に)祝福されているからだ。」(民数記22:12)
バラムは朝起きると、使者たちに言いました。
「自分の国に帰りなさい。主は、私があなたたちと一緒に行くことをお許しになりません。」
バラクはもう一度、前よりも多くの、位の高い使者を遣わしました。
バラムは、前回の主のことばを確かめようとしました。彼らと一緒に行ってはならない、という神の御旨と一つになっておらず、贈り物に目のくらんだバラムは、自分自身の思いで言いました。
「あなたがたも、今夜はここにとどまって、主が私に、この上何とお告げになるか、確かめさせてください。」(民数記22:19)
神は仰せられました。
「これらの者があなた(バラム)を呼びに来たのなら、立って彼らと共に行くがよい。しかし、わたしがあなたに告げることだけを行なわねばならない。」(民数記22:20)
彼らと一緒に行ってはならない、と仰せられていた神が、彼らとともに行くがよい、と仰せられたのです。御心が変わったのでしょうか。
いいえ、欲に塞がるバラムの心をご覧になった神は、御自身の御心を、バラムに心底わからせるために、許されたのでした。
バラムの心は、神と一つではありません。神の聖を恐れるよりも、誘惑になびいて欲にひかれる心には、隙がありました。
バラクは、彼らと一緒に行くことは、神の本心ではなかったことを知らされます。
神の許可が出たと思い、バラムは出発しました。
ところが、彼が出発すると、神の怒りが燃え上がり、主の御使いは、道に立ちふさがりました。彼の行く手を妨げたのです。
バラムには、主の御使いの姿が見えません。御使いは霊的存在であって、肉なる者の目には見えないのです。
主の御使いは抜き身の剣を手にして道に立ちふさがっています。バラムを乗せているろばには、御使いが見えていました。ろばは、道をそれて畑に踏み込みました。
バラムは、道に戻そうとして、ろばを打ちました。
ろばは狭い道に立つ主の御使いを見て、石垣に体を押しつけ、バラムの足も石垣に押しつけたので、バラムはまた、ろばを打ちました。
主の御使いは更に進んで来て、より狭い場所に立ちふさがると、ろばは主の御使いを見て、バラムを乗せたままうずくまってしまいました。
バラムはろばに怒りを燃え上がらせ、ろばを杖で打ちました。
主は、ろばの口を開かれました。すると、ろばは人間の言葉で話しました。
「私(ろば)があなた(バラム)に何をしたというのですか。三度も私を打つとは。」(民数記22:28)
主がバラムの目を開かれたので、バラムは、主の御使いが抜き身の剣を手にして、道に立ちふさがっているのを見ました。
「見よ。あなた(バラム)の道(進む方向)は主とは反対を向いていた。私(御使い)は妨げる者として出て来たのだ。ろばは私(御使い)を見たから、三度私を避けたのだ。
ろばが私を避けていなかったなら、きっと今は、ろばを生かして、あなた(バラム)を殺していただろう」(民数記22:32,33)
バラムは、正気を取り戻しました。主の道でない方向に自分が向かっていたことを自覚しました。
バラムは言いました。
「『来て、私(モアブ王バラク)のためにヤコブ(ユダヤ民族)を呪え。来て、イスラエルに滅びを宣言せよ。』
神が呪わない者を、私がどうして呪えようか。
主が滅びを宣言されない者に、私がどうして滅びを宣言できようか。」(民数記23:7,8)
「神は人間ではなく、偽りを言うことがない。人の子ではなく、悔いることがない。神は言われたことを、なさらないだろうか。約束されたことを成し遂げられないだろうか。(神は、ユダヤ民族を造ったことを悔いることがない。イスラエルとの契約をことごとく成し遂げられる真実な主)
見よ。(イスラエルを)祝福せよ、との命を私は受けた。神は(エジプトから連れ出されたイスラエル)を祝福される。私(預言者バラム)はそれをくつがえすことはできない。
(神は)ヤコブ(神を信じるイスラエル)の中に不法を見いださず、イスラエルの中にわざわいを見ない。
彼らの神、主は彼らとともにおり、王〈主が立てられる権威者〉をたたえる声が彼らの中にある。」(民数記23:19-21)
神の御旨の中に立ち戻ったバラムは、真理をはっきりと悟りました。
「あなた(イスラエル)を祝福する者は(神に)祝福され、あなた(神の民)を呪う者は(神に)呪われる。」(民数記24:9)
自分の思いを握るのは、神にささげていない部分です。その土台は安定しません。心が定まらない者を誘惑する者たちによって、危険にさらされています。
汚れた情欲を燃やし、肉に従って歩み、権威を侮る者たちは、自分たちのだましごとを楽しみ、正しい道を捨ててさまよっています。
「(不義の報酬を愛した)バラムは自分の罪をとがめられました。ものを言うことのないろばが、人間の声でものを言い、この預言者の気違いざたをはばんだのです。」(ペテロ第二2:16)
危険な道を妨げる御使いは、神の御恵みです。
正しい道にいなかったことを知ることは、神の憐れみです。
神の御心に立ち返ることは、神の祝福です。
道をずらしたことに気づいたなら立ち止まり、自分を責めるのではなく、人を恨むのではなく、誘惑に動く自分の弱さを神に打ち明け、悔い改めて、正しい道に立ち返りましょう。
天の御国が近づいたから、神の御前に出る備えをしましょう。