ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

神を知る人 神を知らない人

 

 神は霊です。目に見えないけれども、ともにおられる霊なる存在です。

 神を知るのは、霊によらなければなりません。私たち一人ひとりを生かしている一人ひとりの霊によって、霊なる神を捉えます。

 

 死ぬことと死後にさばきを受けることとが定まっている人類を、死と滅びから救い出すために、天の神に遣わされた神のひとり子である神の子羊イエス・イエスは言われました。イエスは天の神のひとり子です。天の神はイエスの父です。

 

 「この山でもエルサレム(神の都にあるユダヤ人の神の神殿)でもない所で、父(わたし〈神の御子イエス〉の父)を礼拝する時が来る。

 救いはユダヤ人から出るのですから、わたしたち(ユダヤ人たち)は(その神がどなたか)知って礼拝していますが、あなたがた(異邦人)は知らないで礼拝しています。

 しかし、(天に受け入れられる)まことの礼拝をする者たちが、霊とまこと(御霊)をもって父を礼拝する時が来る。今がその時です。父はこのような人々を礼拝者として求めておられるからです。

 神は霊ですから、神を礼拝する者は、霊とまこと(天に受け入れられる御霊の祈り、すなわち、真理と繋がるいのち)をもって礼拝しなければなりません。」(ヨハネ4:21-24)

 

 霊なる存在の神を礼拝するのは、私たちのうちにある霊によってです。人間の思考ではありません。時間空間に拘束されない自由の御霊による、いのちの根源との霊的な天の交わりです。

 真理の御霊は、聖霊であり、神です。神に導かれる祈りによって、私たちは、目に見えない神を礼拝するのです。

 

 御霊は、キリストの思いを知る方です。

 天の神は、最初に、目に見える肉体の姿の神の子羊イエスを遣わされました。人は、肉の目で救い主を見て、キリストのことばを受けました。

 神の子羊イエスの罪の贖いの血を受け取られた神は、神の子羊イエスを聖霊によって死から甦らせ、天に引き上げられました。そして、神の子羊イエスに、聖霊のバプテスマを授けるキリストの権威をお与えになりました。

 

 神は、神の子羊イエス・キリストを「新しい人(死から甦り、御霊によって新生した神の子ども)」に造り変えて、天に引き上げられると、次に、もうひとりの助け主を地上にお遣わしになりました。真理の御霊です。

 

 真理の御霊は、神の子羊を死から甦らせ、復活の新しいからだと永遠のいのちを得させられた聖霊です。御霊の中に永遠のいのちがあります。

 真理の御霊は、神の子羊イエス・キリストの御名によって授けられます。真理(天から遣わされた神の御子イエス・キリスト)を信じた人々にいのちを与えて生かす「もうひとりの助け主」です。

 

 「助け主、すなわち、父がわたし(イエス・キリスト)の名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、また、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。」(ヨハネ14:26)

 

 御霊を受ける人は、神の御子イエスを死から甦らせて復活のからだを得させた「聖霊」と同一の御霊を受けます。死から復活された神の子羊イエスと同様、新しく生まれる神の子どもとされるためです。

 神の子羊イエス・キリストを信じて、神の子としての身分を受けた私たちは、天の神を「アバ、父。」と呼ぶ、御子の御霊、すなわち、「真理の御霊」を受けました。神が、私たちの心に遣わしてくださったのです。

 

 御霊を受けた私たちは、奴隷ではありません。神の子どもです。神の子ならば、神の御子イエス・キリストとともに天の御国を相続する相続人です。

 

 神を知らなかった当時、私たちは本来は神でない神々の奴隷でした。人間の教えの奴隷でした。さばきに怯え律法に縛られる奴隷でした。しかし、御霊によって自由を得ました。

 自由の子は、霊とまことによって、父なる神を礼拝します。

 自由の子は、生かす御霊によりいのちを持っているからです。この世の奴隷ではありません。天地万物を統べ治められる生けるまことの神の子どもたちなのです。

 

 神を知らない人は、霊が閉じたままの人です。

 霊の開かれた光の子らは神を見いだしますが、同じものを見ても、霊が閉じたままの、目に光のない闇の子らは肉の思いで捉えます。

 

 光の子らは霊によっていのちの道を歩み、闇の子らは肉によって死に向かっています。同じ地上にいながら、一方は、天に通じるいのちの狭い道を行く人、もう一方は、地に下る死の広い道を行く人、それぞれ自分自身で選択してその道を歩んでいます。

 

 約二千年前、天の神は、救世主イエス・キリストをイスラエルに出現させる前に、悔い改めのバプテスマを授けるバプテスマのヨハネを遣わされました。

 ヨハネから水のバプテスマを受けた民衆は、神の御子イエスが現れた時、ナザレのイエスの奇蹟と不思議としるしを見、イエスがキリストであることを信じました。彼らはイエスのことばを信じ、イエスに従いました。

 しかし、ヨハネから水のバプテスマを受けなかった指導者たちは、イエスが神に遣わされたキリストであることを理解できませんでした。イエスのみわざを怪しんで神の御子キリストを信じず、キリストを拒みました。

 

 イエスが贖いの神の子羊となって、世の罪を取り除く血を流され、肉のからだを脱いで復活のからだの「新しい人」となられて、天に帰られると、神は、「もうひとりの助け主」を遣わされました。

 真理の御霊は、イエスを神の御子キリストであると信じる人々のうちに住まわれました。

 御霊を受ける人は、真理を悟ります。御霊によって教えられるからです。それで、神からのものを理解します。

 御霊を受けていない人は、霊的なことがわかりません。肉によって理解しようとしますが、肉によって霊のことは理解できません。それで、イエスを信じなかったユダヤ人の指導者たちのように、神から出ている聖霊の器を迫害します。

 

 神は終わりの時代に、再び、キリストを遣わされます。

 しかし、二千年前がそうであったように、キリストが来られる前に、エリヤの霊を遣わして、人々の心を備えさせます。

 

 黙示録に書かれているふたりの証人です。

 彼らは、聖書を知らない日本人から起こるようです。救いはユダヤ人から出るので、彼らの血統は古代ユダヤ人にあるのでしょう。

 

 終わりの時代に、神は、神の霊をすべての人に注がれます。

 ユダヤ人にも、異邦人にも、すべての人に注がれます。すると、神の霊を受けて霊が開かれる人々が起こるでしょう。聖書を知らない人たちの間でも、真理が理解されるでしょう。神が立てられた「メシア」と呼ばれる人を信じるでしょう。彼は、真理のことばを語ります。聖霊がその人とともにおられるからです。

 霊のアンテナが、神の真理(神のことば、神の霊)を受信するようになると、心に光を持つ人々は迷わず、神のことばに従うでしょう。すなわち、神が立てられる「エリヤの霊」の人に従うでしょう。

 

 日本から立つ「メシア」と呼ばれる人は、キリストの再臨のために、神の民を備えさせるエリヤです。

 「見よ。わたし(主)は、主の恐ろしい日が来る前に、預言者エリヤをあなたがたに遣わす。」(マラキ4:5)

 

 彼は、人々の心を神に向けさせます。人々を、神の国にはいる者として備えさせるのです。

 霊とまことによって神を知る人たちは、彼に従うでしょう。

 しかし、霊とまことによって神を知らない人たち(肉によって礼拝し、知識で神を知っていた人々)は、聖書を知らないこの人につまずくでしょう。聖書こそ真理なのですから。こうして、イエスを十字架につけたユダヤ人の指導者たちのように、神に油注がれたその人を理解できません。神を知らない人たちは、彼を拒絶し、彼のことばを否定し、彼に敵対するでしょう。

 

 イエスはユダヤ人たちに言われました。

 「わたしに栄光を与える方は、わたしの父です。(イエスに、神の栄光〈神のことばと神のみわざ、すなわち、真理のことばと御霊の働きによる奇跡と不思議としるし〉を与えておられるのは、神の御子イエスの父、天の神です)

 この方(御子イエスの父)のことを、あなたがた(ユダヤ人たち)は『私たちの神である。』と言っています。けれどもあなたがたはこの方(自分たちの神)のことを知ってはいません。しかし、わたしは知っています。

 わたしはこの方を知っており、そのみことばを守っています。」(ヨハネ8:54,55)

 

 世の終わりに立つ神のしもべは、クリスチャンではありません。大和民族、大和魂と世界の、御救いに定められた人々の希望の光であり、ユダヤ人の時に、ユダヤ人の御救いを完成させる油注がれた古代ユダヤ人のDNAの人です。

 

 御霊に導かれる人々は、彼を信じます。

 しかし、肉のままのクリスチャンたちは、彼が聖書に書かれた人であることを信じることができないようです。霊によって神を知ってはいないからです。