「天皇」という存在は、私たちが思っている以上に、日本人に重要な存在です。
キリスト教会の中で感じたのは、私たちが従うべき神の子は、神のひとり子であられる主イエス・キリストおひとり。天皇は「現人神(あらひとがみ)」と呼ばれて来た存在だが、本当は人の子であって神の子ではない。言葉にせずともそのような認識があるように思います。
それで、秋篠宮家のふたりのお子さんが、皇族の学び舎である学習院大学ではなく、国際基督教大学に進学された時、多くのクリスチャンたちは神をたたえたことでしょう。
日本神話の神が立てた天皇家を支える皇族の中から、天地万物の神のひとり子イエス・キリストの神を知り聖書を基礎とするキリスト教の大学に進まれたからです。
美智子様がカトリックの聖心女子大学出身で、聖書に親しむ人だと信じているクリスチャンたちは特にそうでしょう。
皇后美智子様が聖書の神を信じる人であり、そのお孫さん(宮家の人)がキリスト教の理念を持つ大学に進まれたのです。
クリスチャンにとって、明るい希望を見い出すような出来事でした。
日本国が、キリストを知る国になるのではないのか、皇室から、その扉が開くのではないのか。
日本の伝統を高く評価していないのです。
日本の伝統、日本古来からの神道の教えは、日本国一国のものであって、キリスト教は世界を覆ういのちの教え、御救いのことばを持つ唯一の宗教だと信じています。
今上天皇(令和の天皇)が天皇に即位されて最初に行なう新嘗祭(にいなめさい)である「大嘗祭」について、秋篠宮が意見されました。
すでに、二人の内親王を国際基督教大学に進学させておられる秋篠宮の意見です。
大嘗祭は、宗教色が強いものであり、正教分離を定めた憲法上の問題から、国費(宮廷費)ではなく「内定会計(天皇家の私的活動費)」で行なうべきだとの見解です。そして、身の丈にあった儀式とすることが本来の姿であると、こうした意見を宮内庁の長官にも伝えたが聞く耳を持たなかった、と述べられました。
政府決定と異なる見解を皇族が明らかにされるのは異例のことだったようです。
クリスチャンの中には、皇族の中からこのような意見を出されるとは、と喜び、秋篠宮を信頼する人もいました。
国費で日本の神々の行事をすることに反対するクリスチャンもいるようです。
私は、天皇の存在は、昔からのものであって、日本の伝統であり、日本文化の中枢の存在だと思っていましたので、キリストを信じる以前からなじんでいるものであって、私にとっては特別異議を唱えるような事ではありませんでした。
神道は宗教のように思っていなかったのだと思います。
「あなたの宗教は何ですか?」と尋ねられると、多くの日本人は「無宗教です。」と答えるのと同様の考えが私にもありました。
キリスト教は宗教だけど、日本神道が宗教だという認識はなかったのです。日本人の心の支えであり、精神の礎にある守りであり、神道は、日本列島に根づいた魂の休み所であって宗教ではなく、日本人一人ひとりの心に宿る信仰だと思っていたのでしょう。
そして、その頂点におられるのが、天皇なのです。
二千六百年以上も続く、日本の文化であり、伝統です。
大嘗祭を国費でするとかしないとか、考えたこともありませんでした。
秋篠宮の見解を聞くと、一見、天皇も日本人のひとりであって、すべての者は平等であるとして、国民の負担を考えて国民のことを思いやっているかのような錯覚をする人もいるでしょう。
「身の丈にあった儀式」という言葉に、何か「これはおかしい。」という違和感を感じたのを覚えています。
本来、皇太子は、天皇を立てて、天皇から学ぶ立場です。皇嗣の秋篠宮が、天皇に即位される兄に意見し、従来の伝統から逸脱した考えを押しつけるということに、寒気がしました。また、思いました。今はこう言っているが、果たして、自分が大嘗祭をする立場になったとき、同じことを言うだろうか。
案の定、その後、秋篠宮の長女の結婚の騒動で、秋篠宮のいい加減さがあらわになりました。国民の税金を、宮家の長女のために、すなわち、婚約者である一般人の小室圭さんの資格を取るためのアメリカ留学、SPの費用、小室さんのお母さんの400万円の借金返済は、どこから出ているのでしょうか。
また、秋篠宮邸の増改築費用の44億円は、身の丈にあっているのでしょうか。秋篠宮家が、皇嗣殿下(次の天皇)だからだそうですが、国民は、秋篠宮は皇統の人ではない、偽物皇族だと知り始めています。
秋篠宮妃紀子様の父親川嶋辰彦氏は、学習院大学で教鞭をとる人ですが、天皇も一般人も同じ、平等である、という信念を持っておられたそうです。それゆえ、皇族を特別扱いするのはおかしいとされたでしょう。
川嶋辰彦氏のお孫さんの悠仁さんは、天皇の皇位継承資格者です。
川嶋氏の信念に反して、悠仁さんは特別優遇されています。
名前まで、生まれたときから、天皇の名前につけられる「仁」の字を持っています。政府は、悠仁天皇ありきでことを進めているのでしょう。
悠仁さんの教育費には180億円がつぎ込まれているとのことです。悠仁さんを受け入れた学校には恩恵があるのでしょう。
日本政府は、悠仁さんを天皇にすべく、その道をつけています。有識者たちもまた、同意します。忖度という言葉が一時賑わせましたが、忖度は、義の道を曲げるのでしょう。忖度は、神の道を閉ざします。いのちを得ることはありません。
神を知らない人は、神のものを大切にしません。忖度して、自分に都合の良いもの、利得のある道を選択します。霊が閉じて、目に光がない人は、それが祝福の道だと信じているのかも知れません。永遠への思いがないからです。
秋篠宮に仕えるキャリア官僚が次々と退職するとか、秋篠宮家の職員は入れ替わりが激しいとかの噂を聞きますが、その人たちは、自分のいのちを守っている、と私は思います。
日本人よりも、世界の王族の人の方がよくわかっていると思います。
神は、アブラハムに仰せられました。
「わたし(主)は彼女(アブラハムの妻サラ)を祝福する。彼女(サラ)は国々の母となり、国々の民の王たちが、彼女から出て来る。」(創世記17:16)
サラの子はイサク。イサクのふたりの男の子は、兄(エサウ)が弟(ヤコブ)に仕えることが、神に定められています。神は、ヤコブを「イスラエル」と呼ばれました。
すなわち、イスラエル(ヤコブの子孫ユダヤ民族)から国々の民の王たちが出ると考えることができます。
日本の天皇が、国々の民の王たちの一人であるならば、ほかの国の王室もまた、サラから生まれた王たちの一人なのかもしれません。
世界の王室は、天地万物を造られた全能の神、主に立てられているのでしょう。神から受けた権威を持つ人々です。民衆よりも、神に近い存在でしょう。
世界の王室の人々は、秋篠宮家を、自分たちの仲間だとは考えておられないようです。海外王室からは、秋篠宮家は拒絶されているそうです。
日本人は、忖度して、真実を捉えることができませんが、忖度をしない海外王室は、自らの霊で見分け、真実を捉えているのでしょう。
単純なクリスチャンは、美智子様はクリスチャン、秋篠宮家の方々もキリストに近い人だと思っているのかもしれません。自分の霊で見分けているのではありません。
キリスト教系大学出身だということが、信頼の要因なのです。霊によって神を経験していない人、神を知らない人たちの判断基準なのでしょう。
世の終わりが近い今、救いは近づいています。神は、神の霊を注がれます。
霊が開かれている人は、光を求めて、神の霊を受けるでしょう。
霊が閉じている人は、闇の中にあって、神の霊がわからないでしょう。
人は、それぞれ自分で選択した道を歩んでいます。
配属された秋篠宮家に耐えられなくて辞めた職員たちには、いのちの希望が残っています。魂の苦痛に正直に向き合い、自分の魂を救ったのです。
人には、我慢して良い我慢と、我慢してはならない我慢とがあります。良い我慢は、自分の得を高めますが、悪い我慢は、生気を奪い、いのちを失います。
神を知る人はいのちを慕い、神を知らない人はいのちのないもの(死)を愛します。
神はいのちです。神を知る人は、いのちのない空間に息苦しさを覚えます。
神を知らない人は、いのちの神を尊びません。そして、死の道を進んで行くのです。
神のうちに光があります。光が当てられると、罪が浮き彫りとなり、悔い改める道とそのまま進む道とに分かれます。いのちを求める人は、悔い改めて神に近づこうとするでしょう。
こうして、救いの道へと一歩一歩導かれるでしょう。救いを求める人に、神から出たものは見いだされます。
神を知らない人は、神から出たものに魅力を感じません。人の賞賛と自分の利益とが宝だからです。
神から出たものに、きらびやかな栄冠を見ることができません。自分の栄誉を求める人の目には、つまらないものです。
神は霊として来られます。美しく着飾るのではなくて、粗末な身なりで来られるのかも知れません。霊的感覚を磨いた人は、肉の目ではなく、霊で捉えます。
神を知らない人の霊は、神の霊を見分けることができません。世を愛して来たからです。見分ける訓練を受けていないので、神の霊を捉えることができないのです。捉える時は、恐怖に満ちる時です。