ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

信仰の実は聖霊が引き上げられた後に刈り取られる

 

 聖霊のバプテスマを授ける教会は多くありません。

 キリスト教会のほとんどは、水のバプテスマを受けることで、いのちの書に名前がしるされて救われる、と解釈しているように思います。

 

 聖霊のバプテスマの奇跡(異言)は、使徒時代の話であると考える教会は多いと思います。現在は水のバプテスマを受けるならば、ナザレのイエスが水から上がられると聖霊が鳩のように下って来て留まられたように、聖霊を受けると思っているのでしょうか。

 

 聖霊のバプテスマを授ける教会では、携挙の信仰を持っています。

 患難時代にはいる前に、キリストが空中再臨されて(その時、キリストは地上には降り立たれず、空中で聖徒たちの魂を受け取って、天に引き上げられる)、聖霊の器、すなわち、聖霊を受けている聖徒たちを生きたまま天に引き上げられる、という信仰です。

 

 パウロは言います。 

 「主(死から甦り、新しいからだで復活された神の子羊イエス・キリスト)は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。それからキリストにある死者(神の御子イエス・キリストを信じるゆえに殺された殉教者)が、まず初めに甦り、次に、生き残っている私たち(聖霊の器である神のしもべ)が、たちまち彼ら(墓から甦った殉教者の魂)といっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。

 このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。」(テサロニケ第一4:16,17)

 

 聖霊を受けたキリスト者たちの中には、クリスチャンは生きたまま天に引き上げられて携挙される、と思う人がいるでしょう。

 空中再臨の主キリストにお会いするのは、実は、子羊の婚宴に招かれた人々です。

 イエス・キリストの御名のために殉教した魂と、イエス・キリストを信じる信仰ゆえに多くの苦難をくぐり抜け、生きたまま死の苦しみを味わった魂です。

 

 キリストが空中再臨されると、まず最初に殉教者たちが墓から甦って、復活のからだを着ます。それは、殉教者の数が満ちた時に起こります。

 終わりの時代の殉教者たちの血は、彼らの国や民族の罪を贖うために流されるでしょう。神に忠実であった彼ら殉教者の血(いのち)は、神に喜ばれます。神は、殉教者の血によって贖われた国や民族にあった不信仰の闇の覆いを退けて、悔い改めの霊を注がれるでしょう。

 

 殉教者の血は、地にリバイバルをもたらすでしょう。

 殉教者の数が満ちると、キリストが空中再臨されて、殉教者の魂と、また肉が焼かれて生きながら死の体験をしている聖徒、すなわち、聖霊とともに歩む聖霊の器を生きたまま引き上げられるでしょう。

 

 子羊の名と、子羊の父の名を印された十四万四千人の人たちは、神に召されたキリストの花嫁だと私は思っています。彼らは、復活の神の子羊イエス・キリストが使徒たちに命じた世界宣教を完成させるユダヤ人です。

 

 「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。」(マルコ16:15)

 ユダヤ人の使徒に命じられた命令を、十四万四千人のユダヤ人が、ユダヤ人の時に完成させるでしょう。

 

 神に召された十四万四千人のユダヤ人が働きを終えて殉教すると、魂は天に引き上げられて子羊の婚姻の時となります。

 その婚宴を、子羊の婚宴と言います。

 黙示録を記録するヨハネに、御使いは言いました。

 「書きしるせ。子羊の婚宴に招かれている者たち(殉教者、神のためにいのちをかけた献身者〈教職者という意味ではなく、自分を神にささげた真実な信者のこと〉)は幸いだ。」(黙示録19:9)

 また、「これは神の真実のことばである。」とも言いました。

 

 子羊の婚宴に招かれる人は、新しい天に住まいのある人たちでしょう。

 金、銀、宝石によって、信仰の家を築いた人たちです。すでに、火のバプテスマを受けて、火の試練をくぐっています。

 

 「もし、だれかがこの土台(イエス・キリストの信仰)の上に、金、銀、宝石、木、草、わらなどで(家を)建てるなら、各人の働きは明瞭になります。

 その日(終わりの時代の試み)がそれを明らかにするのです。というのは、その日は火とともに現われ、この火(きよめの火)がその力で各人の働きの真価をためすからです。

 もしだれかの建てた建物が残れば、その人は報いを受けます。

 もしだれかの建てた建物が焼ければ、その人は損害を受けますが、自分自身は、火の中をくぐるようにして助かります。」(コリント第一3:12-15)

 

 建物は焼けて損害を受けるが、自分自身は、火の中をくぐるようにして助かる人は多いのです。

 神の御霊は、幾度も警告していたでしょうが、「また、あとで。」と言って先延ばしにしていたのかも知れません。また、心の中に捨てきれないものが詰まっていて、神とひとつではなかったのかもしれません。しかし、彼らは、火の試練(反キリストの霊から受ける苦しみ)の中をくぐるときに、信仰を手放さない信仰の勝利者たちです。

 彼らは、新しい地に住まいのある人たちでしょう。

 彼らは、殻の魂ではありません。信仰の実を結ぶ魂です。

 

 空中再臨の主キリストに会う信者は、多くはないでしょう。

 大半の人は、火の中をくぐるようにして、いのちの冠を受けます。

 

 朽ちることのないとこしえのからだで入る天に、肉の思いは持ち込めません。肉は焼かれなければなりません。

 

 キリストは、聖霊と火とのバプテスマをお授けになるお方です。

 子羊の婚姻に招かれる人は、聖霊と火とのバプテスマを受けた人たちでしょう。

 

 さて、キリストの空中再臨によって、聖霊は引き上げられます。

 そしてその後、育った信仰の実は、地上から刈り取られます。この中には、仏教、古神道、神道、ユダヤ教、キリスト教、カトリック、そのほかの宗教、無宗教の人も、様々な人たちがいます。

 

 クリスチャンも、この時に刈り取られる人が多いと思います。

 携挙が起こったことを知った後であわてふためいても、絶望することはありません。火のバプテスマを正しく受け取っていなければ、空中再臨の主キリストにお会いすることはないのです。

 

 携挙を疑わなかった人たちは、神に見捨てられたと誤った解釈をして、混乱するかもしれません。しかし、地上に残っている人たちの信仰は、新しい地に住まいがある、木、草、わらの信仰だったということです。

 信仰が真っすぐではなかったこと、信仰によって生きていなかったこと、御霊に聞き従っていなかったことを悔い改めて、信仰を神に向ける恵みの時です。

 

 教会に繋がっていたけれども、神の霊のことはわからなかった人もいるでしょう。

 しかし、悔い改めることで神を知り、永遠のいのちの信仰を得るチャンスをいただいたのです。

 

 「たとい義(永遠のいのちを得させる真理の神の信仰)のために苦しむことがあるにしても、それは幸いなことです。彼ら(正しい信仰ゆえに、迫害し、いのちを狙う反キリストの側の人々)の脅かしを恐れたり、それによって心を動揺させたりしてはいけません。(動揺するその心の隙に悪しき霊は誘惑して信仰を奪います。すると、キリストも救いもわからなくなり、永遠のいのちを失うこととなるからです)

 むしろ、心の中でキリストを主としてあがめなさい。(キリストの信仰と一つでなかった歩みを悔い改めて、キリストを選ぶ決意をしましょう。そうすれば、神が信仰を得させてくださいます。信仰によって、反キリストの像を拝むことを拒んだり、反キリストの刻印を拒むことができるのです)」」(ペテロ第一3:14,15)

 

 神に捨てられたと思うならば、その不信仰により神の怒りを身に受けることとなります。

 どんな時も、あきらめることなく、神を信じましょう。信仰のともしびが消えていなければ、永遠のいのちを得る望みは残されているのですから。