天から追放された天使長は、神格を持つ神のひとり子に妬みを持ち、彼よりも高くなろうとして、神の定めに反逆したようです。
全き天から追放された堕天使長は、死と闇の王者、悪魔となりました。
一世を風靡したバビロンの王について、聖書は言います。
「下界のよみは、あなたの来るのを迎えようとざわめき、死者の霊たち、地のすべての指導者たちを揺り起こし、国々のすべての王を、その王座から立ち上がらせる。
彼ら(バビロンの王に苦しめられていた国々のすべての王)はみな、あなた(バビロンの王)に告げて言う。
『あなた(バビロンの王)もまた、(バビロンの王に使役された)私たちのように弱くされ、私たちに似た者となってしまった。』
あなた(繫栄したバビロン)の誇り、あなたの琴の音(バビロンへの賞賛)はよみに落とされ、あなたの下には、うじが敷かれ、虫けらが、あなたの覆いとなる。」(イザヤ14:9-11)
聖書は、続いて言います。この部分は、天から追放された天使長ルシファーのことを言っているという解釈もあります。
「暁の子、明けの明星よ。
どうしてあなたは天から落ちたのか。
国々を打ち破った者よ。どうしてあなたは地に切り倒されたのか。
あなたは心の中で言った。
『私は天に上ろう。
神の星々のはるか上に私の王座を上げ、北の果てにある会合の山にすわろう。
密雲の頂に上り、いと高き方(神)のようになろう。』
しかし、あなたはよみに落とされ、穴の底に落とされる。」(イザヤ14:12-15)
神には、ひとり子があり、ひとり子には父なる神と同じ神格がありました。
神が「われわれ」と仰せられる時、神と神のひとり子と聖霊の三位格の、三位一体の神をさすのです。
神は、ひとり子に主権を与えることを定めておられました。
しかし、その神の定めに異議を唱える者がいました。それは、神のみそばで仕える天使長ルシファーです。ルシファーは優れた天使長、麗しい大天使長でした。ルシファーは多くの天使を統率している天使長です。
それは、神のひとり子への妬みからでした。妬みは憎しみとなり敵意となって、天使長を、神に反逆する異端児としました。御しがたい者、天の秩序を乱す者となってしまったのです。
それは、天使長の癒えない罪となりました。もはや、回復の見込みはありません。
神は、天使長を天から追放されました。その時、天使長が統率していた天使たちも堕天使長に率いられて出て行きました。それが、悪魔と悪霊どもとなりました。
妬みから始まったほころびは高慢となり、神のように高い者となろう、と企てました。
しかし、彼は神のようになることはなく、天から追放され、よみに落とされる者となったのです。
「高ぶりは破滅に先立ち、心の高慢は倒れに先立つ。」(箴言16:18)
バビロンの王もまた、高慢によって、落ちました。悪魔の罪を犯したのです。
人類の最初の人であるアダムは、なぜ、エデンの園から追放されたでしょうか。
神のように賢くなるという「善悪を知る知識の木の実」を食べたからです。神のことばから外れたということ、神の命令を守らなかったということ以上に恐ろしい事、「神のようになる」という甘い誘惑に負けたからです。
神のひとり子を妬み、自分もいと高き方のようになろうとした悪魔の罪を、アダムも負ってしまったのです。
神のことば(神のひとり子)とひとつであったアダムは、神のように賢くなるという木の実を食べて、自分自身が神のことばと並ぶ賢い者、すなわち、自分の主人になることを選んだからです。
パウロは言います。
「私(パウロ)は、自分に与えられた恵みによって、あなたがたひとりひとりに言います。だれでも、思うべき限度を越えて思い上がってはいけません。
いや、むしろ、神がおのおの分け与えてくださった信仰の量りに応じて、慎み深い考え方をしなさい。」(ローマ12:3)
キリスト教の神学校では、聖書を私的解釈して、神の御子イエス・キリストを十字架につけて殺したユダヤ人は、神に捨てられた。ユダヤ人はもはや神の民ではない。旧約は破棄されて新約こそがとこしえの契約である。神と契約を結ぶ民は、神の御子イエス・キリストを信じるクリスチャンであるという置換神学を教えて来ました。
しかし、救いはユダヤ人から出るのです。
神は、ユダヤ民族の父ヤコブに何と仰せられたでしょうか。
「わたしはあなたの父アブラハムの神、イサクの神、主である。わたしはあなた(ヤコブ)が横たわっているこの地(アブラハムに与えたカナンの地)を、あなた(ヤコブ)とあなたの子孫(ユダヤ民族、すなわち、イスラエル)とに与える。
見よ。わたし(アブラハムの神である全能の神、主)はあなた(ヤコブの子孫)とともにあり、あなたがどこへ行っても、あなたを守り、あなたをこの地(カナンの地)に連れ戻そう。
わたし(神)は、あなたに約束したことを成し遂げるまで、決してあなた(イスラエル)を捨てない。」(創世記28:13,15)
神がイスラエルに約束されたことは、カナン全土の相続と、地上のすべての民族は、ユダヤ人とイスラエルによって祝福される、という約束です。
約二千年前、神はイスラエルに御自分のひとり子を遣わして、世の罪を取り除く神の子羊の贖いの血を流して、罪の呪いの死からの解放と永遠のいのちの契約をお与えになったのです。永遠のいのちの契約を信じて、異邦人の中からも多くのキリスト信者が生まれました。
また、1948年に、世界の諸国に離散していたユダヤ人の国がカナンの地に建国されました。ユダヤ人たちは、約二千年ぶりに、先祖の地、祖国イスラエルに帰還しています。神は、ユダヤ人を捨ててはおられません。イスラエルを見捨ててはおられません。
人知をはるかに超えた時間をかけて、神は約束を成就しておられます。
神にとって、一日は千年のようであり、千年は一日にようです。
反ユダヤ主義、反イスラエル思想は、これからますます色濃くなるでしょうが、これは、悪魔から出ていることを覚えましょう。
「神が呪わない者を、私がどうして呪えようか。
主が滅びを宣言されない者に、私がどうして滅びを宣言できようか。」(民数記23:8)
終わりの時に立つとされる滅びの子「反キリスト」もまた、悪魔の罪によって立つ者です。
神への反逆、また、神が愛されるユダヤ人、神が選んだイスラエルを妬む者です。
「愛は死のように強く、妬みは陰府(よみ)のように激しいからです。
その炎は火の炎、すさまじい炎です。
大水もその愛を消すことができません。洪水も押し流すことができません。」(雅歌8:6,7)
反ユダヤ、反イスラエルの思考は、妬みの炎に焼かれた者の末路です。
しかし、神の愛は死のように強いです。死は、良い者にも悪い者にも等しく訪れます。それを覆す法則はないのです。同様に、イスラエルへの神の愛を覆す法則は、天にも地にもありません。
「憤りは残忍で、怒りはあふれ出る。
しかし、妬みの前にはだれが立ちはだかる事ができよう。」(箴言27:4)
妬みは自分自身でコントロールできなければ、また、だれもなだめることはできない。ただ、炎のようにメラメラと燃え上がり、相手も自分自身をも焼き尽くす火種なのです。
もし、反ユダヤ、反イスラエルの思考に傾いているならば、立ち止まって、どこから落ちたのかを調べてみましょう。
神は、ユダヤ人を憎む者、イスラエルに敵対する者を、決して赦されないからです。
神のひとり子を妬み、敵対した天使長は、天から追放され、よみに下る者となりました。
神が選んだ神の契約の民イスラエルを妬み、敵対する者は、たといクリスチャンであろうとも、滅ぼされることを知っておきましょう。それは、悪魔と同じ罪なのです。
キリストは、そのような者に言われます。
「わたしはあなたがたを全然知らない。不法をなす者ども。(天の法に逆らう者。神と神の御子は、イスラエルを御自身の民としておられるのです)わたしから離れて行け。」(マタイ7:23)