ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

神は決してあなたを捨てない

 

 「強くあれ。雄々しくあれ。彼ら(神の導きに従うあなたがたに立ち向かって来る敵)を恐れてはならない。おののいてはならない。あなたの神、主御自身が、あなたとともに進まれるからだ。主はあなた(神の民)を見放さず、あなた(イスラエル)を見捨てない。」(申命記31:6)

 

 これは、アブラハムの所有としてお与えになり、ヤコブに約束されたカナンの地に導き上るときに、神がイスラエルに仰せられたことばです。

 

 神がヤコブに誓われた約束とは何だったのでしょう。

 兄エサウから長子の権利を買い取った弟のヤコブが、父イサクが兄のエサウに与えるつもりであった祝福を父を騙しエサウになりすまして奪った後に、ヤコブを憎むエサウの殺意から逃れるために、伯父のラバンのもとに向かう道中の事でした。

 

 父イサクは兄エサウを愛していました。ヤコブはエサウに向けられた父の愛を見ながら成長しました。

 エサウの長子の権利も祝福をも奪った弟のヤコブのことを、父イサクはどう思っているのでしょうか。

 

 アブラハムの契約を受け継ぐ権利を得たにも関わらず、ヤコブの心は不安でいっぱいでした。ヤコブが得た父イサクの祝福は、兄エサウになりすまして奪ったものです。父イサクの心には、エサウがありました。

 

 アブラハムの契約と祝福とを相続して、父イサクと兄のエサウを敵に回したのではないのでしょうか。

 本来ならば、日々の荷をおろし、疲れを癒し、あすへの活力を得るはずのくつろぎの場であるはずの家庭の中に、憎しみと殺意とをヤコブに向ける敵をつくってしまったのです。ヤコブの心は落ち着きません。意気消沈していました。

 

 こんなことで、アブラハムの契約の土地を無事に相続する事ができるのでしょうか。また、このようなかたちで契約と祝福を奪い取ったヤコブを、神はお認めになってくださるのでしょうか。神は、ヤコブを祝福してくださるのでしょうか。

 現に、ヤコブは相続地のカナンの地を出て、伯父の家へと向かっているではありませんか。

 

 神は、落胆するヤコブに現われてくださいました。そして、仰せられました。

 「わたしはあなたの父アブラハムの神、イサクの神、主(全能の神)である。わたしはあなたが横たわっているこの地(カナンの地)を、あなたとあなたの子孫(ヤコブとイスラエル)とに与える。

 あなたの子孫(イスラエル)は地の塵のように多くなり、あなた(イスラエル)は、西、東、北、南へと広がり、地上のすべての民族は、あなたとあなたの子孫によって祝福される。(神は、父イサクが住んでいるカナンの土地から西、東、北、南へと広がって、エジプトの川からユーフラテス川までの広大なカナンの地を相続すること、また、ヤコブの子孫であるユダヤ民族から世界を救う救世主(キリスト)が出ること、そして、ユダヤ人が世界に散らさることとを、ヤコブに語られました。また、ユダヤ人たちが世界に出て行ってキリストの福音を宣べ伝え、世界中の人々に永遠のいのちを得させる祝福の基の民となることを告げられたのです。)

 見よ。わたし(カナンの地の相続権をイスラエルに与える、アブラハムの神、イサクの神、主)はあなた(イスラエル)とともにあり、あなた(ヤコブの子孫ユダヤ人)がどこへ行っても、あなた(契約を結んだヤコブの子孫、ユダヤ人)を守り、あなた(ユダヤ人)をこの地(カナンの地)に連れ戻そう。わたし(神)は、あなた(イスラエルの父ヤコブ)に約束したことを成し遂げるまで、決してあなた(ヤコブの子孫、イスラエル)を捨てない。」(創世記28:13-15)

 

 ユダヤ民族は、父ヤコブの腰にいました。独身のヤコブは、腰の中にいるヤコブの子孫(イスラエル)の約束を受けたのでした。

 

 クリスチャンは、聖書の御言葉を見て、勇気をいただきます。神が、決して捨てないと約束してくださるからです。神が、「あなたとともにいる。」と約束してくださったからです。

 

 ユダヤ人たちやイスラエルは、同じみことばによって、支えられているのです。このみことばは、ユダヤ民族の先祖ヤコブ(イスラエル)に与えられているからです。

 

 神が暴虐に満ちた世を大水で滅ぼされたとき、ノアは神のことばに聞き従って、箱舟をつくり、箱舟にはいって助かりました。洪水の裁きから救い出されたのです。

 

 その当時の人々は、ノアの警告に耳を傾けませんでした。ノアを嘲笑いました。

 しかし、雨が降り始め、水かさが増してくると、人々はうろたえました。ノアの造った箱舟の中に入ろうとしたでしょうが、無駄です。

 ノアが箱舟に入った後に、神御自身が戸をしっかりと閉じておられたからです。

 

 神は、罪の贖いにふさわしい、しみも傷もしわもない聖なる子羊(イエス)を、神の祭司の国民のユダヤ人に遣わされました。

 神の祭司の国民(ユダヤ人)の手によって、神の子羊はほふられました。

 神の子羊イエスは、十字架上で、罪の贖いのわざが完了したことを宣言されて息を引き取られました。神は、子羊イエスの血を御覧になって、世の罪が贖われたことを明らかにされました。

 

 イエスが息を引き取られたとき、神殿の幕が上から下に真っ二つに裂けたのです。

 地上の神殿の時は終わったのです。生贄が完成し律法は完成しました。神がまことの天の聖所で仕えるとこしえの大祭司イエス・キリストを得られたからです。

 

 キリストは死から甦って天に上り、まことの聖所で仕えておられます。

 神は、人の助け主として「真理の御霊」を遣わされ、キリストは、神と人との仲介者として仕え、永遠のいのちを得る「新しいイスラエル」(御霊によって新しく生まれ、永遠に生きる人々の神の国イスラエル)を、御霊のお働きによって整えておられます。

 

 キリスト者は、イスラエルの神から遠く離れたものではありません。

 なぜならば、キリスト者の主はユダヤ人から出たイエス・キリストであり、キリストは「イスラエルの神」に仕える方です。また、神の子羊イエス・キリストは、イスラエルの神に「イスラエルの王」の王位と主権、そして新しい契約の「とこしえのイスラエル」の国を与えられたからです。

 

 新しいイスラエルは、アブラハムと契約を結ばれた全能の神、主によってイスラエルに遣わされた、神の御子イエス・キリストと結ぶ新しい契約によってとこしえに建つ「イスラエル王国」です。

 

 神は、アブラハムの契約を古いとして無効とされました。そして、アブラハムの子孫イスラエルから生まれたひとりの子孫、すなわちイエス・キリストの新しい契約を有効とされます。

 

 神は、血肉のイスラエル(アブラハムの血肉の子孫)を肉のものとされます。とこしえのものは、霊のものなのです。とこしえのイスラエルは、アブラハムの信仰を受け継ぐ子孫でなければなりません。

 

 とこしえのダビデ王の王座は、御霊によって永遠に生きる者の王座です。

 とこしえの王座は、死から甦り復活のからだで永遠に生きられる神の子羊イエス、すなわち、人に生かす御霊を与えて永遠のいのちを得させられるキリスト(ダビデの子ナザレのイエス)によって堅く立てられます。

 

 神は、罪の贖いのみわざを完了して天に上り御座に導かれた神の子羊イエスに、主権と光栄と国をお与えになりました。

 諸民、諸国、諸国語の者たちは、この主権を持たれる神の子羊イエス・キリストに仕えることとなりました。

 神がキリストにお与えになった主権は永遠の主権で、過ぎ去ることがなく、また、キリストが王位を持って治められる「とこしえのイスラエル王国」は滅びることがありません。

 

 イエス・キリストの王位はとこしえであり、キリストの治められるイスラエルもまた、永遠のものなのです。

 

 イエスは、とこしえのイスラエルの王となられる方です。

 「決してあなたを捨てない。」と誓われた神の誓いは、イスラエルとともにあります。

 キリスト者は、このイスラエルへの神の誓いの中に同意してはいる国民です。

 

 ノアは、箱舟を造り、箱舟にはいることで水の裁きから救われました。

 キリスト者は、ユダヤ人が屠った神の子羊イエス・キリストの血の贖いを受けて、御霊が新しく創造される「とこしえのイスラエル」の中に加えられることで火の裁きから救い出されます。

 神は、永遠のいのちを得る人々を、とこしえのイスラエルの国民とされるのです。

 

  ノアともに救われた人々は、ノアの妻であり、ノアの三人の息子とそれぞれの妻でした。彼らは、家族です。

 キリストの御霊によって救われる人々は、キリストの兄弟(ユダヤ人)であり、同胞(イスラエル)であり、キリストをかしらとするキリストのからだ(キリスト者)です。とこしえのイスラエルは、ひとつの家族です。

 

 ユダヤ人であるイエス・キリストを頭とするキリストのからだは、イスラエルの血(いのち)が流れるからだです。すなわち、イスラエルとひとつのものなのです。

 イスラエルとひとつのものであるから、「わたしはあなたを決して捨てない。」と誓って約束してくださるのです。

 

 かつて、日本の救いのために執り成すことが韓国人の使命だと言い、それを実行しておられる韓国人の兄弟に出会ったことがありました。

 日本人のクリスチャンの使命は何でしょう。イスラエルの救いのため、ユダヤ人の使命の全うのために執り成すことが、日本人の使命だと思いませんか。

 

 イスラエルの敵となってはなりません。イスラエルのために祝福を祈ることが、日本の救いとなるのです。

 

 「わたしは決してあなたを捨てない。」と仰せられるイスラエルの神にへりくだりましょう。