ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

異邦人よ 神の祝福を受けよ

 

 「兄弟たち。私(パウロ)はあなたがた(異邦人)に、ぜひこの奥義を知っていていただきたい。それは、あなたがたが自分で自分を賢いと思うことがないようにするためです。その奥義とは、イスラエル人の一部がかたくなになったのは異邦人の完成のなる時までであり、こうして、イスラエルはみな救われる、ということです。」(ローマ11:25,26)

 

 イスラエルが救われることは、神の初めからの御計画です。それは、アブラハムにお与えになった契約なのです。

 アブラハムの子孫、すなわち、アブラハムの子イサクの子孫から、世界を救う救世主が現われること、そして、アブラハムの子孫(イスラエル)は世界の祝福となるということです。

 

 神は、イサクの子ヤコブを選び、ヤコブをアブラハムの契約の相続人とされました。

 神は、アブラハムに仰せられました。

 「あなたの子孫は、自分たちのものではない国で寄留者となり、彼ら(アブラハムの子孫)は奴隷とされ、四百年の間、苦しめられよう。

 しかし、彼ら(アブラハムの子孫)の仕えるその国民を、わたしがさばき、その後、彼らは多くの財産を持って、そこから出て来るようになる。」(創世記15:13,14)

 

 なんと、イサクの子ヤコブとヤコブの子孫に、そのことが実現しました。ヤコブは、アブラハムの孫です。このことによって、聖書は、ヤコブが、アブラハムの契約と祝福を相続した「アブラハムの子孫」であることを明白にしています。

 イサクのもうひとりの子、ヤコブの双子の兄エサウは、奴隷になっていません。エサウは、父イサクとともに、カナンの地にいました。エジプトの地に下ってはいません。

 

 飢饉のおり、ヤコブとその家族七十人は、エジプトに下りました。ヤコブの最愛の息子ヨセフがエジプトの大臣となっており、エジプトの地で養われるためです。

 ヨセフが死に、へブル人(ユダヤ人)のヨセフが大臣であったことを知らない世代のエジプトの王が立つと、エジプトの地に寄留しているへブル人(ヤコブの子孫のユダヤ人)を奴隷とし、へブル人に苦役に課しました。それは、神の仰せられたとおり、四百年もの間、続きました。

 

 四百年の後、神は、荒野で羊飼いをしていたモーセに現われて、エジプトの地で奴隷として苦しめられている、同胞のへブル人を、エジプトの地から連れ出して、父祖の眠るカナンの地へ導き上るように、召されました。

 モーセは、神のはからいによって、へブル人の子どもなのに、エジプトの王女の子として、王宮で育てられた王子でした。しかし、同胞ユダヤ人への民族愛に目覚めたモーセは、ユダヤ人(奴隷)を打って苦しめているエジプト人を打って死なせ、エジプトの王に命を狙われミデヤンの荒野に逃れて、そこで羊飼いをしていました。

 

 モーセとともにおられた神は、エジプト人の心を動かしてアブラハムの子孫(ユダヤ民族)に多くの財産を与え、奴隷の家エジプトの地から連れ出されました。そのことは、神がアブラハムに、あなたの子孫はこうなる、と仰せられたことの成就でした。

 神は、ヤコブの子孫を、ユダヤ民族の父ヤコブが父祖アブラハムから相続したカナンの地に入らせるために、荒野に導かれました。神はヤコブの子孫に現われて、アブラハムとの契約を、アブラハム、イサク、ヤコブの子孫の契約として、ユダヤ民族を選び、イスラエルと契約を結ばれました。

 アブラハム、イサク、ヤコブの神は、御自身を「イスラエルの神」と名乗られ、四百年間の奴隷の家エジプトから出て来たヤコブの子孫を、神の民「イスラエル」と呼ばれました。

 

 神は、カナンの地に、イスラエル国家をお与えになり、羊飼いのダビデにイスラエルの王の油を注がれました。神は、ダビデ王に、「あなたの子孫に、とこしえにダビデの王座に着く王を起こし、とこしえに堅く立つ国を与える。」と約束されました。

 

 ダビデの子と呼ばれるとこしえの王は、アブラハムに約束された世界を救う救世主(主キリスト)のことです。

 ダビデ王の約千年後に、ダビデの町ベツレヘムで、ダビデの子孫ヨセフの家に、神の御子イエスがお生まれになりました。神は、羊飼いだったダビデに、飼葉おけで眠る神の子羊イエス(主キリスト)をお与えになりました。

 

 神は、神と契約を結ぶイスラエルを祭司の国民とし、世界の祝福となる神の子羊イエス(主キリスト)を十字架で屠らせなさいました。

 神の子羊イエスは、神が世の罪を取り除き、世を救うためにイスラエルに遣わされた神のひとり子です。神は、子羊イエスの血によって罪を贖い、イエスの血を受ける者(イエス・キリストが罪を贖う救い主であると信じる者)の罪を赦し、義とされます。

 

 神の御子イエスは、罪の贖いのわざを成し遂げ、死から甦り、新しく生まれた(肉に死に御霊によって生まれた)新しい人(神の子ども)となって天に上り、神の御座の御前で父(神)から国と光栄と主権を与えられました。 

 神から国と主権を与えられたキリスト・イエスは、地上のイエスの弟子たちに聖霊のバプテスマを授け、ひとりひとりに真理の御霊を住まわせられます。真理の御霊は、イエスの弟子が真理の道を歩み、永遠のいのちを得る神の子どもに造り変えられるように授けられた「もうひとりの助け主」です。

 

 神がダビデに約束されたとおり、ダビデの王座にとこしえの王(イエス・キリスト)が着座されます。イエス・キリストは、イスラエルの王であり、とこしえのイスラエル王国の世界を支配する主権者です。

 

 アブラハムの子孫イスラエルは、キリストを生み、世界に啓示の光を輝かせる神の民です。世界を祝福する神の選びの民です。世界を祝福するものが、神の用意された祝福から外れることがあるでしょうか。

 

 神は、イスラエルに約束しておられます。「あなた(イスラエル)を祝福する者をわたし(神)は祝福し、あなたを呪う者をわたしは呪う。」

 

 神のことば(聖書のことば)はことごとく成就しています。それならば、神がイスラエルに約束しておられることばも必ず成就します。

 イエス・キリストの名を知らない人々であっても、ユダヤ人を憐れみ、イスラエルを祝福する者は、神に招かれているのです。

 

 聖書の神は、イスラエルの神です。イスラエルとは、人と神と戦って勝利する神の民のことです。イスラエルは、悪魔の策略に勝利する者です。神の祝福を一心に見つめ、離れない人です。

 

 神の御子イエス・キリストを信じる者は、イスラエルの王であるイエス・キリストの国民とされる人々です。すなわち、とこしえのイスラエル王国の国民なのです。

 イスラエル王国には、アブラハムもいます。イサクもいます。ヤコブもいます。そして、ヤコブの子ら(ユダヤ人)がいるのです。

 イスラエル王国は、キリストに治められる平和な国です。国内に争いはありません。異邦人はユダヤ人に敵対しないのです。なぜならば、イスラエル王国のユダヤ人とキリストにある異邦人は、イエス・キリストを王とするとこしえのイスラエル王国の同じ国民であり、キリストと心ひとつのものだからです。

 

 ユダヤ人が神に背いている(神が遣わされた神の御子イエス・キリストを信じない)のは、神が彼らの心をかたくなにして、異邦人を救うためなのです。彼らの不信仰のゆえに、私たちは、イスラエルが受けるはずの祝福(キリストによる神との和解と永遠のいのち)を受ける恵みにあずかっているのです。

 御救いの約束のなかった異邦人である私たちが、神の御子イエス・キリストを信じる信仰を得ているのは、神の憐れみによるのです。

 

 キリストが王であるイスラエル王国が地上に建つとき、ユダヤ人に憐れみをかけた異邦人、イスラエルを祝福した異邦人たちは招かれることでしょう。

 「イスラエルを祝福する者をわたし(イスラエルの神)は祝福する。」というのが、異邦人に向けて約束された、イスラエルの神のことばだからです。神のことばは、地に落ちることがありません。イスラエルを祝福する者には、必ず神の報いがあるのです。