ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

イサクの子アブラハムの子孫

 

 「神はアブラハムに仰せられた。

 『あなたの妻サライのことだが、その名をサライと呼んではならない。その名はサラ(王女)となるからだ。

 わたし(神)はサラを祝福しよう。確かに、サラによって、あなた(アブラハム)にひとりの男の子を与えよう。わたしはサラを祝福する。サラは国々の母となり、国々の民の王たちが、彼女から出て来る。』

 アブラハムはひれ伏し、そして笑ったが、心の中で言った。『百歳の者に子どもが生まれようか。サラにしても、九十歳の女が子を産むことができようか。』

 そして、アブラハムは神に申し上げた。『どうかイシュマエル(アブラムとサラの女奴隷ハガルの間に生まれた子)が、あなたの御前で生きながらえますように。』

 すると神は仰せられた。『いや、あなたの妻サラが、あなたに男の子を産むのだ。あなたはその子をイサクと名づけなさい。わたしはイサクとわたしの契約を立て、それを彼の後の子孫のために永遠の契約とする。

 イシュマエルについては、あなた(アブラハム)の言うことを聞き入れた。確かに、わたしはイシュマエルを祝福し、彼の子孫を増やし、非常に増し加えよう。イシュマエルは十二人の族長たちを生む。わたしは彼を大いなる国民としよう。

 しかしわたしは、来年の今頃サラがあなたに産むイサクと、わたしの契約を立てる。』」(創世記17:15-19)

 

 アブラムは、神のことばに聞き従って、カランの地から出てカナンの地に入りそこに居留していました。神は、子どものいないアブラムに、カナンの地をあなたとあなたの子孫に与えると、約束されました。

 

 神のことばを実現しようと、アブラムは不妊の妻の女奴隷との間に男の子をもうけました。しかし、神は、この子に関して、アブラムに神の御計画を語られることはありませんでした。

 

 女奴隷ハガルの子イシュマエルが十三歳になったとき、神は、アブラムをアブラハム(高貴な父)と呼び、妻サライをサラ(王女)と呼ばれました。そして、サラがアブラハムに男の子を産むと仰せられたのでした。

 王女が高貴な父の子どもを産むのです。神は、その子をイサクと名づけられました。まだ、身ごもっていないサラに、サラ(王女)が生むイサクと神の契約を立て、その契約をイサクの後の子孫のために永遠の契約とする、と主が仰せられたのです。

 

 百歳になろうとするアブラハムに、九十歳になろうとするサラが、神が約束されたイサクを産むのです。アブラハムが国々の父となり、サラが国々の母となるという神のことばがイサクとイサクの子孫によって実現するというのです。

 

 神のことばが現実のものと思われないアブラハムは、今いる女奴隷の子イシュマエルが、神の御前で生きながらえるようにと懇願しました。

 神は、アブラハムの願いを聞き入れ、イシュマエルの子孫を増やし、非常に多く増し加えると仰せられ、イシュマエルは十二人の族長たちを生み、大いなる国民とすると約束されました。

 

 神は、この地上の国民として、イシュマエルの子孫を祝福されます。彼らは大いなる国民となるのです。神の約束どおり、アラブ民族は、多くの国々を所有しています。

 

 しかし、神がアブラハムに仰せられた土地(カナンの地)の相続の契約と、アブラハムが国々の父となるという契約は、国々の母となるサラから来年の今頃生まれるイサクによって成就するとされ、神は、「イサクとわたし(神)の契約を立てる。」と仰せられたのです。

 

 さて、アブラハムは神と契約を結び、その契約のしるしとして割礼を受けました。包皮の肉を切り取られたときは、アブラハムが九十九歳、イシュマエルが十三歳でした。

 神のことばどおり、サラはみごもり、神がアブラハムに言われたその時期に、男の子を産みました。アブラハムは、サラの産んだ子をイサクと名づけ、神がアブラハムに命じられたとおり、八日目になった自分の子イサクに割礼を施しました。

 

 イサクは神の約束の成就により生まれました。 

 割礼のしるしのある神のものとなった高貴な父(アブラハム)と王女(サラ)の間に生まれ、八日目に割礼を施されたのでした。イサクは、神の契約を受けるために生まれたアブラハムの子でした。

 

 すべて、神の契約の土台ができたところにイサクが生まれました。イサクは、アブラハムの契約と祝福を受け継ぐ子孫として、神によって生まれたのでした。

 

 アブラハムは、イサクの乳離れの日に、盛大な宴会を催しました。そのとき、サラは、女奴隷ハガルの子イシュマエルがイサクを笑うのを見て、アブラハムに言いました。

 「このはしためを、その子といっしょに追い出してください。このはしための子は、私の子イサクといっしょに跡取りになるべきではありません。」(創世記21:10)

 自分の子に関することなので、アブラハムは非常に悩みました。

 

 「すると、神はアブラハムに仰せられた。『その少年イシュマエルと、あなたのはしためハガルのことで、悩んではならない。サラがあなたに言うことはみな、言うとおりに聞き入れなさい。イサクから出る者が、あなた(アブラハム)の子孫と呼ばれるからだ。』」(創世記21:12)

 

 神ははっきりと仰せられました。「イサクから出る者が、アブラハムの子孫と呼ばれる。」

 

 アブラハムにまだ子がなかったとき、「あなた(神)が子孫を私にくださらないので、私の家の奴隷が、私の跡取りになるでしょう。」と申し上げると、「あなた自身から生まれ出て来る者が、あなたの跡を継がなければならない。」(創世記15:4)と主が仰せられました。

 主がアブラハムに仰せられた、アブラハムの跡を継ぐアブラハム自身から生まれ出て来る者とは、イサクのことを言われたのです。

 

 イサクには双子の男の子が生まれましたが、神御自身が弟のヤコブを選んで、イサクの跡取りとされました。すなわち、ヤコブをアブラハムの契約と祝福を受け継ぐアブラハムの子孫とされたのです。

 

 アブラハムが神に従ってイサクを献げるとき、青年のイサクは老父アブラハムに従い、アブラハムの神に献げる供物となりました。

 イサクは、従順な人でした。異母兄イシュマエルとともに、父アブラハムを葬りました。(創世記25:9)イサクとイシュマエルの間には、争いはなかったようです。

 

 イサクの子エサウは、アブラハムの契約を軽んじる軽率な人でした。長男として生まれたので、自分が受け継ぐものと思っていたのでしょうか。神の与えられる特権への渇望はありませんでした。

 ヤコブは、神の契約と祝福を受け継ぐことに強い願望を持っていました。おそらく神が、ヤコブのうちに与えておられたのでしょう。

 

 ヤコブは、兄エサウにレンズ豆の煮物を売って長子の権利を得ました。一杯のレンズ豆の煮物と引き換えに、長子の権利を売るほどに思慮深くなく、エサウは浅はかな者でした。長子の権利を売ったエサウは、アブラハムが神から受けた土地(カナンの地)を、弟ヤコブにやってしまったのでした。エサウは、アブラハムの契約を相続することを軽んじたのです。

 

 生まれる前から、神は、弟ヤコブを選んでおられました。ヤコブは神の祝福を切望する者でした。いただくまでは決してあきらめない者でした。

 もし、無頓着なエサウが跡取りとなっていたなら、神の民は造られなかったことでしょう。神の律法をないがしろにし、目に見えない神よりも、父イサクの愛で満足し、この世の民族と同じものとなっていたでしょう。

 

 神には御計画がありました。神に忠実な民族を造ることと、神の民に神のひとり子を遣わすことです。神の御計画を担う信仰を持つ者は限られています。ヤコブには、その信仰があったのです。

 

 イサクから出る者がアブラハムの子孫と呼ばれるのです。しかし、長男のエサウではありませんでした。弟のヤコブがイサクから出るアブラハムの子孫でした。

 エサウはイサクの子ですが、アブラハムの子孫と呼ばれる神の子ではありません。神の子は、神が選ばれたヤコブの子孫イスラエルなのです。

 

 父イサクは穏やかな人でした。しかし、弟として生まれたヤコブは戦って、契約と祝福を得ました。

 戦って神の祝福を得たヤコブは、敵に囲まれています。イサクにアブラハムの契約と祝福を奪われた父イサクの異母兄弟の兄イシュマエルの子孫も、ヤコブにアブラハムの契約と祝福を奪われたヤコブの兄エサウの子孫も、アブラハムの契約と祝福を相続するヤコブの子孫に敵対します。

 

 人と戦い、神と戦って勝利したヤコブに、神は、「イスラエル」(神と戦って勝利した者)という新しい名を与えられました。

 神は、ヤコブの子孫を「アブラハム、イサク、ヤコブの子孫」と呼ばれ、「イスラエル」と呼ばれます。そして、御自身を「イスラエルの神」と呼ばれるのです。

 

 神は、イスラエルにカナンの地を与えられます。

 「そこはあなたの神(アブラハムの神)、主が求められる地で、年の初めから終わりまで、あなたの神(イスラエルの神)、主が、絶えずその上に目を留めておられる地である。」(申命記11:12)

 

 ユダヤ人が望みを置くモーセは、アブラハムの契約と祝福を相続したアブラハムの子孫イスラエルに命じます。

 「気をつけなさい。あなたがた(イスラエル)の心が迷い、横道にそれて、ほかの神々に仕え、それを拝むことのないように。

 主の怒りがあなたがたに向かって燃え上がり、主が天を閉ざされないように。そうなると、雨は降らず、地はその産物を出さず、あなたがたは、主が与えようとしておられるその良い地から、すぐに滅び去ってしまおう。

 あなたがた(イスラエル)は、私のこのことばを心と魂に刻みつけ、それをしるしとして手に結びつけ、記章として額の上に置きなさい。」(申命記11:16-18)

 

 神の契約が与えられた神の民イスラエルは、ほかの民族とは異なります。神に従い、神のことばを守ることによって祝福され、また、イスラエルの神おひとりに仕えることで、神の愛を一身に受ける、とこしえの民族なのです。

 神は、アブラハムに約束されたことを、イスラエルが生んだ神のひとり子イエス・キリストにあって、イスラエルにことごとく成就されるのです。