ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

祝福は一つしかないのですか

 

 アブラハムから神の契約と祝福を受け継いだイサクには、双子の男の子がいました。父イサクは長子である兄のエサウに神の契約と祝福を与えようと考えていました。

 しかし、神は、弟のヤコブにアブラハムの契約と祝福を相続させることを、母リベカの胎内にいるときから定めておられました。

 

 イサクの不妊の妻リベカが、夫イサクの祈願によりみごもると、子どもたちがリベカの胎内でぶつかり合うようになり、困ったリベカは、主の御心を求めに行きました。

 

 「すると主はリベカに仰せられた。

 『二つの国があなたの胎内にあり、二つの国民があなたから分かれ出る。一つの国民は他の国民より強く、兄が弟に仕える。』」(創世記25:23)

 

 主は、リベカの胎内に双子がいること、そして、ふたりは二つの国の二つの国民となり、弟の国民が兄の国民よりも強くなって、兄の国が弟の国に仕える、と仰せられたのでした。

 

 「出産の時が満ちると、見よ、双子が胎内にいた。最初に出て来た子は、赤くて、全身毛衣のようであった。それでその子をエサウと名づけた。そのあとで弟が出て来たが、その手はエサウのかかとをつかんでいた。それでその子をヤコブ(かかと)と名づけた。イサクは彼らを生んだとき、六十歳であった。

 この子どもたちが成長したとき、エサウは巧みな猟師、野の人となり、ヤコブは穏やかな人となり、天幕に住んでいた。

 イサクはエサウを愛していた。それは彼が猟の獲物を好んでいたからである。リベカはヤコブを愛していた。」(創世記25:24-28)

 

 アブラハムの子イサクは、猟の獲物を好んでいたので猟師のエサウを愛したとは、何とも人間らしいところがありましたね。イサクは、生まれる前からアブラハムの子として選ばれており、神御自身が、そばめの子イシュマエルを追い出して、アブラハムの契約と祝福をイサクに受け継がせられました。

 イサクは、アブラハムの契約と祝福を相続するために、異母兄イシュマエルと戦っていません。イサクは神とアブラハムがお膳立てしたものを受け取ったのです。イサクは、アブラハムの妻サラから生まれたひとり子だったのです。

 

 ひとり子のイサクとは異なり、イサクにはふたりの息子がいました。アブラハムの契約と祝福は、ひとりの子に受け継がれます。家督はひとりです。長子が受け継ぎます。

 弟のヤコブには権利がありません。主は、母リベカに、「兄が弟に仕える。」と仰せられましたが、現状は厳しいです。

 主が弟のヤコブを相続人として選んでおられることを、イサクは知らなかったのでしょうか。

 

 ヤコブが煮物を煮ているとき、エサウが飢えて野から帰って来ました。腹をすかせたエサウはヤコブに、「私は飢え疲れた。お願いだ。その赤いの、そこの赤い物(レンズ豆)を私に食べさせてくれ。」と言いました。それゆえ、エサウは、エドム(赤い)と呼ばれました。

 

 「するとヤコブは、『今すぐ、あなたの長子の権利を私に売りなさい。』と言った。エサウは、『見てくれ。私は死にそうなのだ。長子の権利など、今の私に何になろう。』

 ヤコブはまた言った。『まず私に誓いなさい。』エサウは誓って長子の権利をヤコブに売った。

 そこでヤコブはパンとレンズ豆の煮物とをエサウに与えたので、エサウは飲み食いして、立ち去った。

 このようにしてエサウは長子の特権を軽んじた。」(創世記25:31-34)

 

 兄エサウは長子の特権を軽んじて、レンズ豆の煮物と引き換えに、長子の権利を弟ヤコブに売ったのでした。

 長子には、父イサクが受け継いだアブラハムの契約を相続する権利があります。土地の契約(カナンの地の相続の約束)と、アブラハムの子孫の受け継ぐ契約(すべての民族を祝福する大いなる国民とするという約束)を受け継ぐのです。

 それで、兄のエサウから長子の権利を買った弟のヤコブが、カナンの地の相続人となりました。

 

 さて、年をとって視力の衰えたイサクは、長男のエサウを呼び寄せて、獲物をしとめておいしい料理を作り、ここに持って来て食べさせてくれ、と言いました。

 父イサクは、長子の権利を失ったエサウに、アブラハムの祝福(お前を祝福する者を祝福し、おまえを呪う者を呪うという神の祝福)を受け継がせようとしたのでした。

 

 しかし、「兄が弟に仕える。」と主から受けていた母リベカは、それを聞くと、弟のヤコブに言いました。

 リベカは、父イサクがエサウに言ったことを伝え、「さあ、群れ(家畜)のところに行って、そこから最上の子やぎ二頭を私のところに取っておいで。私はそれで父上のお好きなおいしい料理を作りましょう。あなたはそれを持って行って父上に食べさせなさい。父上は召し上がって、死なれる前にあなたを祝福してくださるでしょう。」と言いました。

 

 ヤコブは心配しました。エサウは毛深い人です。父上が自分(ヤコブ)を触るなら、父を騙したことがわかり、ヤコブは父を欺く者と思われて、祝福どころか、かえって呪いを受けるでしょう。

 リベカはヤコブに言いました。「わが子よ。あなたが受ける呪いは私が受けます。ただ私の言うことをよく聞いて、行って取って来なさい。」(創世記27:13)

 

 リベカはイサクの好むおいしい料理をこしらえました。それから、自分の手もとにあった兄エサウの晴れ着を弟ヤコブに着せてやり、子やぎの毛皮を、ヤコブの手と首のなめらかなところにかぶせてやり、料理とパンを息子ヤコブの手に渡しました。

 

 イサクは、ヤコブに言いました。「わが子よ。私は、おまえが本当にわが子エサウであるかどうか、おまえに触ってみたい。」イサクはヤコブの手の子やぎの毛皮を触り、「声はヤコブの声だが、手はエサウの手だ。」と言いました。

 視力の衰えたイサクには、ヤコブの手が、兄エサウのように毛深かったので、見分けがつかず、「本当におまえは、わが子エサウだね。」と尋ねると、ヤコブは「私です。」と答えました。

 

 父イサクは、ヤコブの着ている着物の香り(エサウの香り)をかぎ、祝福しました。神が豊かな穀物と新しい葡萄酒で養い、国々の民が仕え、国民は伏し拝み、兄弟の主となり、おまえの母の子らがおまえを伏し拝むように、また、おまえを呪う者は呪われ、おまえを祝福する者は祝福されるように、と言ってイサクはヤコブを祝福したのでした。

 こうして、兄エサウから長子の権利を買ったヤコブは、父イサクから祝福の祈りを受け取り、アブラハムの祝福をも受け継いだのでした。

 

 猟から帰って来たエサウが、おいしい料理をこしらえて、父イサクのところに持って来ました。エサウは父に言いました。「お父さんは起きて、子どもの獲物を召し上がることができます。あなたご自身が私を祝福してくださるために。」

 「おまえはだれだ。」と尋ねるイサクに、エサウは答えました。「私はあなたの子、長男のエサウです。」

 イサクは激しく身震いして言いました。「では、いったい、あれはだれだったのか。獲物をしとめて、私のところに持ってきたのは。おまえが来る前に、私はみな食べて、彼(ヤコブ)を祝福してしまった。それゆえ、彼(ヤコブ)は祝福されよう。」

 

 「エサウは父のことばを聞くと、大声で泣き叫び、ひどく痛み悲しんで父に言った。『私を、お父さん、私も祝福してください。』

 父は言った。『おまえの弟が来て、騙したのだ。そしておまえの祝福を横取りしてしまったのだ。』

 エサウは言った。『彼の名がヤコブ(兄のかかとをつかんで母の胎から出て来た弟)というのも、このためか。二度までも長男の私を押しのけてしまって。私の長子の権利を奪い取り、今また、私の祝福を奪い取ってしまった。』また言った。『お父さん、あなたは長男の私のために祝福を残してはおかれなかったのですか。』

 父イサクは答えて長男のエサウに言った。『ああ、私はヤコブをおまえの主とし、ヤコブのすべての兄弟を、しもべとしてヤコブに与えた。また穀物と新しい葡萄酒でヤコブ(イスラエル)を養うようにした。それで、わが子よ。長男のおまえのために、私はいったい何ができようか。』

 長男のエサウは父に言った。『お父さん、祝福は一つしかないのですか。お父さん、私を、私をも祝福してください。』エサウは声をあげて泣いた。」(創世記27:34-38)

 

 ヤコブに祝福を与えた父イサクは、エサウに言いました。「見よ。おまえの住む所では、地は肥えることなく、上から天の露もない。おまえはおのれの剣によって生き、おまえの弟に仕えることになる。おまえが奮い立つならば、おまえは彼(ヤコブ)のくびきを自分の首から解き捨てるであろう。」(創世記27:39,40)

 

 イサクは、意に反して、長男のエサウではなく、弟のヤコブを祝福してしまったので、エサウには祝福が残されていませんでした。

 それゆえ、エサウ(エドム人)の住む地はやせていて、実りはなく、ほかの国民と争い奪いながら生き、ヤコブ(イスラエル)に仕える者とされます。エサウはヤコブ(イスラエル)の上になることはありません。もしエサウの子孫が奮い立つならば、ヤコブに仕えることから解放されることはできるでしょう。

 

 イサクは知らないうちに、神の御計画のうちに導かれていたのです。「兄が弟に仕える。」このことは、ヤコブが願ったからではなく、神御自身のみ旨なのです。

 

 「イサクの妻リベカの子どもたちは、まだ生まれてもおらず、善も悪も行なわないうちに、神の選びの計画の確かさが、行ないによらず、召してくださる方によるようにと、『兄は弟に仕える。』とリベカに告げられたのです。

 『わたし(神)はヤコブを愛し、エサウを憎んだ。』と書いてあるとおりです。」(ローマ9:11-13)

 

 神は、神の契約と祝福を神がお選びになった者にお与えになるのです。

 アブラハムには、イサクのほかに、そばめの子らがいましたが、神は、アブラハムの妻サラがみごもる前からその子をイサクと名づけ、イサクがアブラハムの契約と祝福を相続する者と定めておられたのです。

 イサクには双子の男の子がいましたが、生まれる前リベカの胎にいるときに、神が、兄(エサウ)が弟(ヤコブ)に仕えると定め、ヤコブにアブラハムの契約と祝福を相続させられました。

 ヤコブには十二人の息子がいました。神は、長男ルベンを退け、十一男のヨセフに長子の権利を与え、十二人の息子すべてをイスラエル(ユダヤ民族)とし、一つの国民とされました。

 

 神が、ユダヤ民族の十二部族のうちのユダ族を選び、ユダ族からダビデを選んで王族とし、その王族に、神のひとり子イエスを生まれさせられたのです。人の願いや熱心ではありません。神が祝福を受け継ぐ者をお定めになり、その者を通して、神の民、神の国(とこしえのイスラエル王国)、神の国民(とこしえのイスラエルの王の国民)が造られるのです。

 

 神の御子を信じる者は、イエスは神の御子主キリストであるという「証」を自分の心の中に持っています。神を信じない者は、神の御子についてあかしされた神のことばを信じず、神を偽り者としているのです。すなわち、聖書のみことばを否定しているのです。

 

 「その「証」とは、神が私たちに永遠のいのちを与えられたということ、そしてこのいのち(永遠のいのち)が御子(イエス・キリスト)のうちにあるということです。

 御子を持つ者はいのちを持っており、神の御子を持たない者はいのちを持っていません。(イエス・キリストを信じる信仰を持つ者は永遠のいのちを持っており、神の御子イエス・キリストを信じない者は永遠のいのちを持っていないのです。)」(ヨハネ第一5:11,12)

 

 ヤコブは人と戦い神と戦って、契約と祝福を相続しました。ヤコブの子孫イスラエルもまた、人と戦い、神と戦って、相続する人々です。

 家族や周囲の反対の中で、あるいは惑わす者や偽り者の言葉を退け、霊的な戦いによって勝利を得る者です。また、神に祝福を求め、祝福されるまで神を放さないしつこさを持つあきらめない者です。

 ヤコブは、本当の価値を知り、それを手放さない者です。エサウのように神の良きものを軽んじる者は、神もまたその者に価値のあるものをゆだねたりはなさいません。

 

 神は、御自身の本当に大切なただひとつのものを、お与えくださいました。神のひとり子です。永遠のいのちは、神のひとり子イエス・キリストのうちにあるのです。

 永遠のいのちが与えられる祝福は、神の御子イエス・キリストの御名にしかありません。