ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

ヤコブの孤独

 

 ヤコブの父イサクは、アブラハムが百歳、サラが九十歳のとき生まれたひとり子でした。イサクは、両親の愛を一身に受けて育った穏やかな人でした。

 アブラハムと契約を結ばれた神が、閉経したサラの胎にイサクを宿されたのです。神の契約と祝福を相続するために生まれた、アブラハムの家の跡取りでした。

 

 イサクは、生まれる前から神が契約を立てると定めておられたアブラハムの子でした。

 神はアブラハムに仰せられました。

 「あなた(アブラハム)の妻サラが、あなたに男の子を産む。あなたはその子をイサクと名づけなさい。わたし(神)は彼(イサク)とわたしの契約を立て、それを彼の後の子孫(イスラエル)のために永遠の契約とする。」(創世記17:19)

 

 イサクは、アブラハムの家でカナンの地を相続する跡取りとして育てられました。アブラハムもイサクもカナンの地に寄留していました。

 アブラハム、イサク、ヤコブの時代は、神が与えると仰せられたカナンの地のうちで得た所有地は、サラを葬るためにヘテ人エフロンから買い取ったマクペラにあるエフロンの畑地だけでした。その墓地に、アブラハムと妻サラ、イサクと妻リベカ、ヤコブと妻レアが葬られました。

 カナンの地を所有したのは、アブラハム、イサク、ヤコブの子孫ユダヤ民族(イスラエル)でした。

 

 イサクに双子の男の子が生まれると、イサクは兄のエサウを愛しました。リベカは弟のヤコブを愛しました。

 神は、弟ヤコブを愛し、イサクの跡取りに定めておられました。

 

 父イサクは、猟師であるエサウの猟の獲物を好んでいたので、自分の好む物を与えるエサウを愛していたようです。

 「エサウは巧みな猟師、野の人となり、ヤコブは穏やかな人となり、天幕に住んでいた。」(創世記25:27)と聖書にあります。

 

 イメージとしては、アブラハムの契約と祝福をヤコブに奪われたエサウは、のほほんとした人の良い人で、奪ったヤコブは、ずる賢い策略家に思いますが、聖書には、エサウは巧みな野の人で、ヤコブは天幕に住む穏やかな人、とあります。

 

 猟師と言えば、地上で最初の権力者となった二ムロデも猟師でした。二ムロデは、神の主権に背いて人間の権威を地上に打ち立てようとして人々を扇動し、バベルの塔を築き始めた神に逆らう者でした。

 

 二ムロデの計画は、神によって頓挫しました。

 神が、人々の言葉を混乱させ、互いに言葉が通じないようにされたので、意思の疎通ができなくなったのです。一つの民、一つの言語だった二ムロデの時代に、神は多くの言語に分け、多くの民族に分けて世界に散らされました。

 二ムロデの異なった権威(神が認められない権威)によって、世界は様々な言語に分かれ、民族に分かれ、分断しました。

 

 箱舟に入って、神が地上を滅ぼされる大洪水から救い出されたノアの家は、猟師であった二ムロデによって分割されました。

 二ムロデは、ノアの息子ハムの子孫です。また、このことは、ノアの息子セムの子孫ペレグの時代に起こりました。ペレグは、「分ける」という意味の名前です。

 

 地上のすべての民族の祝福の基となるアブラハムは、セム族の人です。ペレグの子孫です。イスラエルはセム族のアブラハムの子孫であり、神のひとり子イエス・キリストは、セム族ペレグの子孫の中に来られました。

 セム族は、黄色い肌の人々であるアジア人です。

 神は、セム族のペレグの系図の中に、神の御計画の行程のしるしを置いておられるようです。

 

 逆らう者と言えば、アブラムのそばめ(サラの女奴隷ハガル)の子イシュマエルについて、主の使いは、母ハガルにこう言っています。

 「彼(イシュマエル)は野生のろばのような人となり、その手は、すべての人に逆らい、すべての人の手も、彼に逆らう。 

 彼はすべての兄弟に敵対して住もう。」(創世記16:12)

 

 神の定められたアブラハムの跡取り息子のイサクが生まれると、女奴隷のハガルとその息子イシュマエルはアブラハムの家から送り出されて、荒野に住み、弓を射る者となりました。

 「イシュマエルはパランの荒野に住みついた。彼の母はエジプトの国から彼のために妻を迎えた。」(創世記21:21)

 

 二ムロデも、ヤコブの兄エサウも、イサクの異母兄弟の兄イシュマエルも、野の人です。天幕に住む者ではありませんでした。アブラハムの神、主に仕える者ではなかったのです。

 

 アブラハムから出た者たちでしたが、神が選ぶ人々ではありませんでした。彼らは、神の契約を持たず、分裂を起こし、生まれつきのままの人間です。

 

 天幕に住む穏やかであったヤコブは、父イサクの愛を十二分に受けずにいたのでしょう。父は兄のエサウを愛しています。

 イサクは、自分の願いで、愛するエサウに祝福を与えようとしていました。父イサクの祝福を受け取るために、ヤコブは父を騙さなければなかったのです。エサウになりすまし、エサウとならなければ、父イサクに祝福してもらえなかったのです。

 

 ヤコブに祝福を受けさせるために、母リベカは、ヤコブにエサウの香りのするエサウの晴れ着を着させました。また、リベカは、毛深いエサウに似させるために、ヤコブの手と首のなめらかなところに、子やぎの毛皮をかぶせてやりました。

 

 父イサクがヤコブに気づくならば、父を騙したヤコブは父の怒りを買い、祝福どころか呪いを身に招くであろうことを、ヤコブは母に言いました。

 すると、母リベカは「あなた(ヤコブ)の呪いは私が受けます。ただ私の言うことをよく聞いて、父の祝福を受け取るように。」とヤコブに言いました。(創世記27:13)そのことばどおり、その後、ヤコブをカランの地へ逃がしたリベカは、愛するヤコブに再び会うことなく、亡くなりました。

 

 エサウは、父イサクがヤコブを祝福したことで、ヤコブを恨み、弟ヤコブを殺したいと思いました。

 母リベカは、兄エサウの殺意を知ると、エサウの憤りがおさまるまで、母の実家、リベカの兄ラバンのところへ逃げるように、ヤコブに言いました。

 そして、エサウの怒りがおさまり、ヤコブのしたことを忘れるようになったとき、ヤコブをラバンのもとから呼び戻すと言いました。

 

 リベカはイサクに、ヤコブがこの地のヘテ人の娘たちのうちから妻をめとることがないようにお願いすると、イサクはヤコブを呼び寄せ、ヤコブを祝福し、母リベカの兄ラバンの娘たちの中から妻をめとるように言い、「神はアブラハムの祝福を、おまえと、おまえとともにいるおまえの子孫とに授け、神がアブラハムに下さった地、おまえがいま寄留しているこの地を継がせてくださるように。」と言って、ヤコブを送り出しました。

 

 一方、カナンの地の娘たちが父イサクの気に入らないのに気づいたエサウは、今ある妻たちのほかに、アブラハムの子イシュマエル(父イサクの異母兄弟)の娘を妻としてめとりました。

 

 ヤコブには、父の信頼と父の愛が足りていないという思いと、また、兄エサウの殺意に打ちひしがれる思いもあったことでしょう。

 ラバンのもとに行く道中で、主はヤコブの夢に現われて仰せられました。

 「わたしはあなたの父アブラハム神、イサクの神、主である。わたしはあなたが横たわっているこの地を、あなたとあなたの子孫とに与える。

 あなたの子孫は地の塵のように多くなり、あなたは、西、東、北、南へと広がり、地上のすべての民族は、あなたとあなたの子孫によって祝福される。

 見よ。わたしはあなたとともにあり、あなたがどこへ行っても、あなたを守り、あなたをこの地に連れ戻そう。わたしは、あなたに約束したことを成し遂げるまで、決してあなたを捨てない。」(創世記28:13-15)

 

 翌朝早く、ヤコブは自分が枕にした石を取り、それを石の柱として立て、その上に油を注いで、その場所を「べテル」(神の家)と呼びました。

 

 父の愛を十二分に受け取っていないヤコブでしたが、神の愛はヤコブとともにあり、ヤコブの子孫(イスラエル)にカナンの地を与えることと、ヤコブとヤコブの子孫は地のすべての民族を祝福する、神に祝福されたものとなることを約束されたのです。

 

 母リベカの兄ラバンのもとに身を置いたヤコブですが、ラバンはふたりの娘をヤコブに与え、条件を変えながらヤコブを自分に仕えさせました。神に祝福されているヤコブをラバンは快く思っていませんでした。

 

 兄エサウを愛する父イサクの愛を満足に体験していないヤコブは、母リベカの兄ラバンからもぞんざいに扱われました。穏やかなヤコブは、権威者である父の愛も、伯父の愛も満足に受けることのない状況の中で、自分で勝ち取るほかない、身寄りのない者のようでした。

 

 ヤコブは、二十年間ラバンに仕えました。

 神の使いがヤコブの夢の中で、「ラバンがあなたにしてきたことはみな、わたしが見た。わたしはべテルの神。あなたはそこで、石の柱に油を注ぎ、わたしに誓願を立てたのだ。さあ、立って、この土地を出て、あなたの生まれた国(カナンの地)に帰りなさい。」と言いました。

 ヤコブは彼の子たち、妻たちをらくだに乗せ、ヤコブが得たすべての財産、すべての家畜を追って、カナンの地にいる父イサクのところへ向かいました。

 

 ラバンがヤコブに追いつくと、ラバンの神々(テラフィム)を盗んだことを責めました。妻ラケルがそれらを盗んだことを知らなかったヤコブは、ラバンに答えて言いました。「あなた(ラバン)が、あなたの神々をだれかのところで見つけたなら、その者を生かしておきません。私たちの一族の前で、私(ヤコブ)のところに、あなたのものがあったら、調べて、それを持って行ってください。」(創世記31:32)

 

 ヤコブが最も愛する妻ラケルは、父ラバンのテラフィムを取って、ラクダの鞍の下に入れその上にすわっていたので、ラバンが天幕を隅々まで捜し回っても見つかりませんでした。その後、ヤコブに誓いのことばどおりに、妻ラケルは、ベニヤミンを出産する時に亡くなりました。

 

 ヤコブは石を集めて石塚を造り、ラバンとヤコブらは石塚のそばで食事をし、分かれました。

 その石塚を、ラバンとヤコブとの間に立てた石の柱とし、互いに敵意をもってこの石塚を越えて来てはならない、と定めました。

 

 父イサクのもとに行くためには、兄エサウとの和解が必要です。ヤコブは自分よりも

先に贈り物を送り、エサウをなだめようと考えました。すべてのものをヤボクの渡しを渡らせ、ヤコブひとりだけ、あとに残りました。すると、ある人(おそらく受肉前の神のひとり子)が夜明けまでヤコブと格闘しました。

 

 「ところが、その人は、ヤコブに勝てないのを見てとって、ヤコブのつがいを打ったので、その人と格闘しているうちに、ヤコブのもものつがいがはずれた。

 するとその人は言った。『わたしを去らせよ。世が明けるから。』しかし、ヤコブは答えた。『私はあなたを去らせません。私を祝福してくださらなければ。』

 その人は言った。『あなたの名は何というのか。』彼は答えた。『ヤコブ(かかと)です。』

 その人は言った。『あなたの名は、もうヤコブとは呼ばれない。イスラエル(神と戦う)だ。あなたは神と戦い、人と戦って、勝ったからだ。』」(創世記32:25-28)

 

 ヤコブには自分を愛し、保護してくれる権威者がいませんでした。父の愛に飢え乾いていたのです。ヤコブは神の人と格闘しながら、全身全霊を受け止めてくれる強いお方を体験しました。

 

 ヤコブは、兄エサウから長子の権利を買い、父と兄を騙して祝福を受けましたが、心は不安と恐れがいっぱいで、満たされていませんでした。アブラハムの契約と祝福を相続し、神からそのことを保証されていたのにも関わらず、ヤコブは飢え乾いていました。

 

 神の祝福に飢え乾いていました。伯父ラバンは神の祝福がヤコブとともにあることを知って快く思っていなかったのですが、ヤコブはもっと確かな、神の祝福を求めたのです。約束のことばだけでは満足できません。

 もともと穏やかなヤコブは、自分の性質と正反対なやり方でアブラハムの契約と祝福を受けたのです。ヤコブの心は傷ついていました。

 

 ヤコブは、力ある者の保護を受けたことがありません。全部、自分で求めなければ得ることができなかったのです。権威者は、自分に親切ではありませんでした。神がともにおられなければ何も得ることはできませんでした。神が与えるものを周囲の者は妬み、ヤコブを騙す者、盗む者のように責めます。

 ヤコブには、父親の愛が必要でした。権威ある者のがっしりとつかむ確かな愛が必要でした。ヤコブは、今までの悲しみも痛みも孤独もすべてをこの人にぶっつけて、格闘の中で神にすがりました。

 

 「私を祝福してくださらなければ去らせません。」ヤコブは神にすがり、神を放しませんでした。父イサクにもしたことがありません。ヤコブには、神しかおられなかったのです。