「羊飼いたちが、野宿で夜番をしながら羊の群れを見守っていた。すると、主の使いが彼らのところに来て、主の栄光が回りを照らしたので、羊飼いたちはひどく恐れた。
御使いは彼らに言った。『恐れることはありません。今、私はこの民(ユダヤ人)全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。
きょうダビデの町(ベツレヘム)で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。
あなたがたは、布にくるまって飼葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます。これが、あなたがたのためのしるしです。」(ルカ2:8-11)
羊の群れを悪い獣から守るために野宿で夜番をしていた羊飼いたちのところに、主の使いが来ました。主の使いは、天の神の栄光を帯びていました。主の栄光の輝きが回りを照らし、この世のものと思えない情景に羊飼いたちはひどく恐れました。聖なるお方にお会いするはずのない、卑しい羊飼いです。彼らは祭司ではありません。
祭司でない者が聖なるものを見るならば、どうなることでしょう。ただただ恐れるばかりです。
御使いは言いました。「恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。」
ローマ帝国の統治下にあって疲弊するユダヤ人、しかも、野宿で夜番をしている羊飼いたちのところに、主の使いが、この民(ユダヤ人)全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのでした。
おそらく町全体は闇につつまれ、眠りの中にあったことでしょう。その中で、羊飼いたちは、起きて羊の群れを見守っていたのです。
主の栄光で闇は破られ、照り輝く御使いは、驚く羊飼いたちに言いました。
「きょうダビデの町(ベツレヘム)で、あなたがた(ユダヤ人全体)のために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。」
キリストが来られることは聞いていました。ユダヤ人のだれもが待ち望んでいました。ローマ帝国のユダヤ属州とされているイスラエルは、かつての栄光を失っていました。
イスラエルの神が、聖書にある先祖の約束を実現してくださるはずです。現実は闇の中ですが、ユダヤ人の心には、みことば(神の約束)のともしびがともっていました。しかし、現実は厳しいものです。重税を課せられて、ユダヤ人たちは疲弊していました。聖書のみことば(預言)を地に落とすかの勢いで、ローマ帝国は圧力をかけて来ます。
主の使いは、待ち望んでいた救い主がお生まれになったことを知らせに来たのです。ダビデの町にです。
その七百数十年前の預言者ミカは言っています。
「ベツレヘム・エフラテよ。あなた(ベツレヘム)はユダの支族の中で最も小さいものだが、あなたのうちから、わたし(神)のために、イスラエルの支配者になる者が出る。
その出ることは、昔から、永遠の昔からの定めである。」(ミカ5:2)
イスラエルを選び、エルサレムを選び、その選びを決してほかのところに移されることのないイスラエルの神が、ベツレヘムを選び、ベツレヘムからイスラエルの支配者になる者が出ることを定めておられました。
しかも、それは永遠の昔からの定めなのです。それゆえ、イスラエルのダビデ王が生まれたのもベツレヘムでした。ダビデは羊飼いでした。
神は、羊飼いのダビデを取り、イスラエルの王とされたのです。それゆえ、ベツレヘムは、ダビデの町と呼ばれます。
神は、「ベツレヘムのうちから、わたしのために、イスラエルの支配者になる者が出る。」と仰せられました。
ユダヤ民族のためではなく、神御自身のためにです。イスラエルのためではなく、イスラエルの神のためです。
神は、御自分のひとり子(神の御子)を、御自身のために、イスラエルの支配者とされるのです。
ミカと同世代に生きた預言者イザヤもまた、預言しています。
「ひとりのみどりごが、私たち(ユダヤ民族)のために生まれる。ひとりの男の子が、私たち(ユダヤ人)に与えられる。
主権はその肩にあり、その名は『不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君』と呼ばれる。
その主権は増し加わり、その平和は限りなく、ダビデの王座について、その王国(とこしえのイスラエル王国)を治め、裁きと正義によってこれを堅く立て、これを支える。今より、とこしえまで。
万軍の主の熱心がこれを成し遂げる。」(イザヤ9:6,7)
その約二百年前に、預言者ナタンはダビデ王に、神のことばを告げました。
「万軍の主はこう仰せられる。わたし(神)はあなた(ダビデ)を、羊の群れを追う牧場からとり、わたしの民イスラエル(ユダヤ民族)の君主とした。
わたしはあなたのすべての敵を屈服させる。わたしはあなたに告げる。
『主(全知全能の生けるまことの神)があなた(ダビデ王)のために一つの家(とこしえのイスラエル)を建てる。』
あなたの日数(寿命)が満ち、あなたがあなたの先祖たちのもとに行くようになるなら、わたしは、あなたの息子の中から、あなたの世継ぎの子を、あなたのあとに起こし、彼の王国を確立させる。
彼(ダビデの子、主キリスト)はわたしのために一つの家を建て、わたしはその王座をとこしえまでも堅く立てる。
わたし(神)は彼(主キリスト)にとって父となり、彼はわたしにとって子となる。わたしはわたしの恵みをあなたの先にいた者(イスラエルの最初の王、民の要望により立てられたベニヤミン族のサウル王)から取り去ったが、わたしの恵み(イスラエルの支配者としての王位)をそのように、彼(ユダ族のダビデ王の子、とこしえのイスラエルの王)から取り去ることはない。
わたしは、彼をわたしの家(ユダヤ民族のイスラエル)とわたしの王国(神の子羊イエスの贖いの血により得た新しいイスラエル)の中に、とこしえまでも立たせる。彼(神の子羊イエス・キリスト)の王座は、とこしえまでも堅く立つ。」(歴代誌第一17:7,10ー14)
イザヤが預言した「ダビデの王座に着く主権者、とこしえのイスラエルの王」は、ダビデ王に約束されたダビデの世継ぎの子であり、イスラエルの神のために一つの家、すなわち、とこしえのイスラエル(永遠のいのちを得るイスラエル王国)を建てるダビデの子です。
神は、その子のために、その王座をとこしえまでも堅く立てる、と仰せられました。
また、神は、その子に神御自身が父となり、その子は神にとって子となる、と仰せられました。神に純真なダビデも神に愛された者でしたが、神から「わたしの子」と呼ばれる者ではありませんでした。
しかし、神は、ダビデ王に約束されたとこしえの王座に着座するダビデの子(主キリスト)のことを、「わたし(神)が彼の父となり、彼はわたし(神)の子(神の子)となる。」と明言されたのです。
羊の群れから取られたイスラエルの王ダビデが生まれた町(ダビデの町ベツレヘム)で、ダビデの王座に着いて、とこしえのイスラエル王国を治め、裁きと正義によってこれを堅く立て、支える「ダビデの子」が生まれました。この方こそ、主キリストです。
羊飼いだったダビデ王の世継ぎの子(主キリスト)もまた、まことの羊飼いです。野宿で夜番をしていた羊飼いたちのように、まどろむことなく、羊の群れを守られる良き羊飼いです。
「私は山に向かって目を上げる。私の助けは、どこから来るのだろうか。
私の助けは、天地を造られた主から来る。
主はあなたの足をよろけさせず、あなたを守る方は、まどろむこともない。
見よ。イスラエルを守る方は、まどろむこともなく、眠ることもない。」(詩篇121:1-4)
主の御使いから、ユダヤ民族の救い主「主キリスト」がお生まれになったことを告げられた羊飼いたちは、御使いの告げたしるし(あなたがたは布にくるまって飼葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます。これが、あなたがたのためのしるしです。)を捜し当てました。
羊飼いたちは、見聞きしたことが、全部御使いの話のとおりだったので、神を崇め、賛美しながら帰って行きました。
イスラエルを救われる方、主キリストは、飼葉おけに寝ておられました。家畜のえさを入れるおけです。
まことの良き羊飼いである主キリストは、魂を癒し、魂を生き返らせる方、いのちのパン(神のみことば)を与え、いのち(永遠のいのち)を得させるお方なのです。
ダビデ王は、主をほめたたえました。
「主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。
主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます。
主は私の魂を生き返らせ、御名のために、私を義の道に導かれます。
たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。
あなたが私とともにおられますから。
あなたのむち(懲らしめ)とあなたの杖(導き)、それが私の慰めです。」(詩篇23:1-4)
イスラエルを救うお方は、イスラエルにいのちを与え、正しい道に導く、良き羊飼い、主キリスト・イエスです。
いのちを与える主キリストの永遠のいのちは、ユダヤ民族の垣根を越えて、異邦人にも及んでいます。
囲い(イスラエル)に属さないほかの羊をも導いてくださるのです。彼らは、主キリストの声に聞き従い、一つの群れ、ひとりの牧者(主キリストの群れ)となるのです。
イエスは言われます。
「わたしは、良い牧者です。良い牧者は羊のためにいのちを捨てます。」(ヨハネ10:11)
イエスは、私たちの罪のために、十字架にかかり、死んでくださいました。イエスは、罪を贖う神の子羊として来られたのです。
主キリストは、イスラエルを贖い、エルサレムを贖う、イスラエルの救い主であり、また、ユダヤ民族とともに新しく加えられるイエス・キリストの信者の群れ、すなわち、とこしえのイスラエルの救い主なのです。