ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

イエスはユダヤ人の王 キリストはイスラエルの王

 

 「イエスが、ヘロデ王の時代に、ユダヤのベツレヘムでお生まれになったとき、見よ、東方の賢者たちがやって来て、こう言った。

 『ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおいでですか。私たちは、東のほうでその方の星を見たので、拝みにまいりました。』」(マタイ2:1,2)

 

 ローマ帝国の支配下にあるユダヤ属州(現イスラエル)に、ユダヤ人の王の誕生を祝うために、東方から賢者がやって来ました。

 ローマ帝国の皇帝カイザルがユダヤを支配し、ヘロデ王が治めていました。ヘロデ王はユダヤ人ではありません。アブラハムの契約と祝福を弟(次男)のヤコブに取られたイサクの長子エサウの子孫です。

 

 父祖アブラハムの契約と祝福を受け継ぐのは、弟ヤコブの子孫(ユダヤ民族)です。兄エサウの子孫はイサクの子でありながら、カナンの地も、また、諸国の祝福となるという、民族に約束された祝福をも失いました。弟ヤコブが兄エサウと戦い、また、神と戦って勝ち取ったからです。

 

 それゆえ、カナンの地(現イスラエルの地)がヤコブ(イスラエル)の相続地であることは、神に承認されているのです。

 しかし、イエスがダビデの町ベツレヘムで誕生された治世では、ユダヤ人はローマ帝国の圧政に苦しんでいました。

 

 カナンの地は、神にあってはイスラエル(ユダヤ民族)が受け継ぐ地ですが、政治的には、ローマ帝国のものでした。今、イスラエルの国はなく、ユダヤ人は国のない属州だったのです。そこに、「ユダヤ人の王」が生まれたとはどういうことでしょうか。しかも、その噂はユダヤ人から出たのではなく、東方からやって来た異邦人たちが言うのです。

 

 ローマ帝国からユダヤを治める王としての権限が与えられている、ヘロデ王の驚きは如何ほどでしょうか。ユダヤ人の王が生まれた?ユダヤの王は私ヘロデではないか。ヘロデ王の王位は奪われるのでしょうか。

 ヘロデ王は、賢者たちから突き止めておいた時間から割り出して、ベツレヘム近辺の二歳以下の男の子をひとり残らず殺させました。

 

 そのとき、およそ六百年前に預言者エレミヤを通して言われた事が成就しました。

 「聞け。ラマで聞こえる。苦しみの嘆きと泣き声が。ラケルがその子らのために泣いている。慰められることを拒んで。子らがいなくなったので、その子らのために泣いている。」(エレミヤ31:15)

 

 ユダヤ人の王とは、主キリストのことです。聖書の預言どおり、ベツレヘムの町で処女マリアから産まれた救い主です。

 

 イエスが生まれた時、神の御使いはユダヤ人の羊飼いたちに現われ、彼らに言いました。

 「恐れることはありません。今、私はこの民(ユダヤ民族)全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。

 きょうダビデの町(ベツレヘム)で、あなたがた(ユダヤ人)のために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。

 あなたがたは、布にくるまって飼葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます。これが、あなたがたのためのしるしです。」(ルカ2:10-12)

 

 羊飼いたちはベツレヘムに急いで行き、マリアとヨセフと、飼葉おけに寝ておられるみどりごとを捜し当てました。羊飼いたちは、見聞きしたことが、全部御使いの話のとおりだったので、神を崇め、賛美しながら帰って行きました。

 

 ユダヤ人の羊飼いたちは、「ユダヤ人の王」としてお生まれになったイエスのことを、「主キリスト(救い主)」として知らされました。

 

 「主のキリスト(神に遣わされるユダヤ人の救い主)を見るまでは、決して死なない。」と、聖霊のお告げを受けていたシメオンが、エルサレムにいました。この人は正しい、敬虔な人で、イスラエルの慰められることを待ち望んでいた人でした。聖霊がシメオンの上に留まっておられました。

 

 シメオンが御霊に感じて宮に入ると、幼子イエスを連れたヨセフとマリアが、イエスのために律法の慣習を守るために入って来ました。

 

 すると、シメオンは幼子イエスを腕に抱き、神をほめたたえて言いました。

 「主よ。今こそあなたは、あなたのしもべ(シメオン)を、みことばどおり、安らかに去らせてくださいます。私の目があなたの御救い(主キリスト・イエス)を見たからです。

 御救いはあなた(神)が万民(全地)の前に備えられたもので、異邦人を照らす啓示の光、御民イスラエルの光栄です。」(ルカ2:29-32)

 

 主キリストは、神の御救いであられ、神が全地に住むすべての人の前に備えられたもので、主キリストの御救いは、割礼も律法も神の契約もない異邦人に希望を与える啓示の光、まことのいのちをさし示す世の光です。また、主キリストを生んだ神の民イスラエルが諸国の間で高く上げられ、主キリストは、すべての国々の国民、すべての民族、すべての国語で崇められる救い主、イスラエルの光栄となる方なのです。

 

 イエスは、異邦人には「ユダヤ人の王」として明かされ、ユダヤ人には「主キリスト」として明かされました。

 

 大祭司はイエスに尋ねました。

 「あなたは、ほむべき方(全能の神)の子、キリスト(メシア)ですか。」(マルコ14:61)

 そこでイエスは言われました。

 「わたしは、それ(ほむべき方の子、キリスト)です。人の子(主キリスト・イエス)が、力ある方(全能の神)の右の座に着き、天の雲に乗って来るのを、あなたがた(ユダヤ人)は見るはずです。」(マルコ14:62)

 

 ユダヤ人の長老会、祭司長、律法学者たちがイエスを議会に連れ出し、こう言った。

 「あなたがキリストなら、そうだと言いなさい。」

 しかしイエスは言われた。

 「わたしが言っても、あなたがたは決して信じないでしょうし、わたしが尋ねても、あなたがたは決して答えないでしょう。

 しかし今から後、人の子(メシアであるイエス・キリスト)は、神の大能の右の座に着きます。」

 彼らはみなで言った。「ではあなたは神の子ですか。」

 すると、イエスは彼らに「あなたがたの言うとおり、わたしはそれ(神の子)です。」(ルカ22:66-70)

 

 ユダヤ人にとって、御救いは主キリストです。主キリストは神の子であり、救い主なのです。イエスが本当に主キリストなのでしょうか。

 

 大祭司はイエスに言った。

 「私は、生ける神によって、あなたに命じます。あなたは神の子キリストなのか、どうか。その答えを言いなさい。」

 イエスは大祭司に言われた。

 「あなたの言うとおりです。(あなたの言うとおり、わたしは神の子キリストである。)なお、あなたがたに言っておきますが、今からのち、人の子(イエス・キリスト)が、力ある方(生ける神)の右の座に着き、天の雲に乗って来る(再臨する)のを、あなたがた(ユダヤ人)は見ることになります。」(マタイ26:63,64)

 

 ユダヤの荒野で教えを宣べ、「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから。」と言い、自分の罪を告白して悔い改めるユダヤ人に水のバプテスマを授けているバプテスマのヨハネは、ユダヤ人の間で、キリストではないのかとささやかれていました。

 「あなたはどなたですか。」と尋ねられたバプテスマのヨハネは、「私はキリストではありません。」と言明しました。(ヨハネ1:19,20)

 「私はあなたがた(ユダヤ人)が悔い改めるために、水でバプテスマを授けているが、私のあとから来られる方(主キリスト)は、あなたがたに聖霊と火とのバプテスマをお授けになります。」(マタイ3:11)と言いました。

 

 バプテスマのヨハネは、キリストのために道を備える者だったのです。

 ヨハネは、主キリストは世の罪を取り除く神の子羊であり、聖霊のバプテスマを授ける方であり、ご自分の神の民をきよめ、良い者を集めて神の倉(天の御国)に納め、悪い者を永遠の火で焼き尽くす裁き主であると言い、イエスが神の子であると証言しました。

 

 イエスは弟子たちに言われた。「あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。」

 シモン・ペテロが答えて言った。「あなたは、生ける神の御子キリストです。」(マタイ16:15,16)

 

 ユダヤ人にとって、「キリスト」は神の御子です。弟子たちは、イエスが神から出た神の御子キリストだと信じました。

 イエスを信じない祭司長たちは、イエスが神の子キリストなのか、と問いただしました。神の御子が「キリスト」だと信じていたからです。

 

 イエスの死刑を祭司長たちに許した総督ピラトは、ユダヤ人ではありません。神の契約のない異邦人です。

 ピラトはイエスに、「あなたは、ユダヤ人の王ですか。」と尋ねました。すると、イエスは答えて、「そのとおりです。(わたしはユダヤ人の王です。)」と言われたのです。(ルカ23:3)

 ユダヤ人の王であると答えたイエスに、「この人には何の罪も見つからない。」とピラトは言いました。(ルカ23:4)

 

 ピラトはユダヤ人たちに言った。「さあ、あなたがた(ユダヤ人)の王です。」

 ユダヤ人たちは激しく叫んだ。「除け。除け。十字架につけろ。」

 ピラトはユダヤ人たちに言った。「あなたがたの王を私が十字架につけるのですか。」

 祭司長たちは答えた。「カイザルのほかには、私たちに王はありません。」

 そこでピラトは、そのとき、イエスを、十字架につけるためユダヤ人に引き渡した。(ヨハネ19:14-16)

 

 イエスが生まれたときユダヤ人の王を拝みに来た賢者たちも、イエスの十字架に「これはユダヤ人の王イエスである」と罪状書きを掲げたピラトも異邦人です。異邦人は、イエスをユダヤ人の王として捉えました。

 ユダヤ人の王に、なぜ、異邦人が御救いを求めたのかはわかりませんが、おそらく、御救いはユダヤ人の王として生まれる方だと告げられたのでしょう。

 

 神の子キリストを待ち望んだユダヤ人は、イエスにつまづきました。イエスが神の御子キリストだと信じることができませんでした。

 異邦人(東方から来た賢者)が拝んだユダヤ人の王イエスは、ユダヤ人たちに十字架につけられ、「ユダヤ人の王ナザレのイエス」の罪状で処刑されました。

 

 異邦人が望みを置いた「ユダヤ人の王」イエスは十字架で死にましたが、聖霊がイエスを死から復活させて、永遠に生きる主キリストとされたのです。イエスは、ユダヤ人が望むメシアの御姿となられました。

 

 永遠に生きる栄光の主キリストは、ユダヤ民族の王ではなく、キリストの血によって罪が贖われ生かす御霊によって死から復活する新しいイスラエル(ユダヤ人とキリストの民)の王として、再びイスラエルに来られます。

 

 十字架の御救いのわざを成し遂げて死から甦り、復活のからだで永遠に生きる栄光のキリストは、「イスラエルの王」として、天の雲に乗って来られます。

 イエスを十字架につけた先祖と心一つにしていたユダヤ人は、雲に乗って来られるイエス・キリストを見るのです。