ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

明確な救い

 

 「神は、むかし先祖たち(ユダヤ人)に、預言者たちを通して、多くの部分に分け、また、いろいろな方法で語られましたが、この終わりの時には、御子によって、私たち(イエスの弟子たち)に語られました。」(へブル1:1,2)

 

 神は、ユダヤ民族に聖書のことばを与えられました。モーセという預言者によって、天地万物の初めと人の創造の初めから、神の選びと契約の民の誕生と、契約の民(神の祭司の国民)の務めが記述されました。

 

 また、神は、神が選ばれた神の民イスラエルのうちに預言者を立てて、あらゆる世代のユダヤ人たちに、神の御計画を知らされました。

 

 神の御計画とは、ユダヤ人のうちから救い主が出るという約束です。あらゆる民族、あらゆる国、あらゆる言語の人々を救う、主キリストがイスラエルに遣わされるのです。天の神が遣わされるのです。

 天の神が、世の罪を取り除き、死と滅びから救う「主キリスト」を、神のところ(天)からイスラエル(地)に遣わされるという約束です。

 

 天から遣わされる「主キリスト」は、もともと天におられる方です。天から来られ、御救いの道を設けたならば、遣わされたお方(天の神)のもとに帰られる方です。よって、この方は、この世のものではありません。

 

 天地万物が創造される以前から存在しておられる方です。神のひとり子です。

 神は、ひとり子に肉体を造られ、女から生まれる「人の子」とされました。

 神は、ナザレの町に住む処女マリアとその許嫁の夫ヨセフにそれぞれ、古くからイスラエルに語られていた「いと高き方(天の神)の子」すなわち、イスラエルに約束された「ダビデの子」がマリアの胎内に宿ることを告げられました。そして、その子の名を「イエス」と名づけるように命じられたのでした。

 

 処女マリアから産まれたイエスは、とこしえにヤコブの家(イスラエル)を治める王であり、とこしえの国の主権者です。

 

 神が用意された御救いは、神が万民のために備えられたもので、異邦人(神の契約のない無割礼の人々)を照らす啓示(世に真理を示す)の光、神の民イスラエルの光栄(唯一、ユダヤ民族に与えられた栄誉)です。

 

 全世界は、神の選びの民イスラエルによって、祝福されるのです。救世主を現わすことは、ユダヤ民族の誉れです。

 

 聖書の神は、ユダヤ教徒の神でもなく、キリスト教徒の神でもなく、天地万物を創造された創造主、世を救うために救世主をお遣わしになられた世を愛される天の神です。

 また、ユダヤ民族に聖書を与え、イスラエルを神の祭司の国民とされた、イスラエルの神です。

 

 ユダヤ人の神がユダヤ人の王を遣わされました。ユダヤ人の王は、全人類の救い主となられる神のひとり子です。

 神がユダヤ人に告げておられたとおりに、神のひとり子はイスラエルに遣わされました。ダビデの町ベツレヘムで処女から生まれ、ダビデの子孫ヨセフの子となられた神の御子イエスです。イエスは、イスラエルの神のひとり子です。

 

 天から来られたイエスは、イスラエルの神を信じる民ユダヤ人に、「罪」について、「父(天の神)」について、「天の御国」について、神が世から救うためにお与えになった贖いの神の子羊の血による「罪の赦し」について、また、救世主キリストを信じることで得られる「永遠のいのち」について教えられました。

 イエスは、律法の下にいたユダヤ人たちに、生ける神のことばを神の霊によって語られました。イエスのことばは、神の霊が伴ういのちのことばでした。

 神は、イエスとともにおられるのです。

 

 聖書には、救世主の予告と、救世主の訪れのしるしと、主キリスト(救世主)のしるしが書かれており、主キリストのことばが書かれています。

 聖書は、ナザレのイエスがキリストであることを証言しているのです。

 

 神は、ユダヤ人の先祖たちに、多くの部分に分け、夢、幻、預言などいろいろな方法で、この救世主(主キリスト)のことを語られてきました。

 祭司ザカリヤの年老いた不妊の妻エリサベツの胎内にバプテスマのヨハネを宿らせた神は、ユダヤ民族に約束された「救い主」の訪れの時を開かれました。

 エリサベツは、大祭司アロンの子孫です。エリサベツの親類の処女マリアにイスラエル待望の「救い主」が身ごもりました。処女マリアは、ユダ族ダビデの子孫ヨセフの許嫁の妻でした。

 

 神から御使いガブリエルがナザレの町の処女マリアのところに遣わされて、告げました。

 「聖霊があなたの上に臨み、いと高き方(天の神)の力があなたをおおいます。それゆえ、生まれる者は、聖なる者、神の子と呼ばれます。

 ご覧なさい。あなたの親類のエリサベツも、あの年になって男の子を宿しています。不妊の女といわれていた人なのに、今はもう六か月です。

 神にとって不可能なことは一つもありません。」(ルカ1:35-37)

 

 「マリアは言った。『本当に、私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように。』」(ルカ1:38)

 

 御使いがマリアから去って行くと、マリアは立って、山地にあるユダの町に急ぎ、ザカリヤの家に行って、エリサベツにあいさつしました。

 

 「エリサベツがマリヤのあいさつを聞いたとき、子が胎内でおどり、エリサベツは聖霊に満たされた。そして大声をあげて言った。

 『あなた(マリア)は女の中で祝福された方。あなたの胎の実(神の御子イエス)も祝福されています。

 わたしの主(イエス・キリスト)の母が私のところに来られるとは、何ということでしょう。

 本当に、あなた(マリア)のあいさつの声が私の耳に入ったとき、私(エリサベツ)の胎内で子ども(バプテスマのヨハネ)が喜んでおどりました。

 主によって語られたことは必ず実現すると信じ切った人は、何と幸いなことでしょう。』」(ルカ1:41-45)

 

 アロンの子孫エリサベツは、処女マリアの胎の実のことを、「私の主。」と言ったのでした。聖霊に満たされたエリサベツは、処女マリアの胎の実が、神の御子であると告白したのでした。

 

 救い主イエスは、聖書のことばに証言されており、また、多くの証言者によって、「神の御子キリスト」と告白されています。

 エリサベツもそのひとりでした。

 

 イエスがベツレヘムでお生まれになったとき、野宿で夜番をして羊の群れを見守っていた羊飼いたちに主の使いが現われ、「きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。」と告げられました。

 羊飼いたちはベツレヘムに急いで行って、飼葉おけに寝ておられるみどりごを見て、見聞きしたことが、全部御使いの話のとおりであることを目撃し、神を崇め、賛美しました。

 

 両親が幼子イエスを主にささげるためにエルサレムに連れて行くと、御霊に感じて宮に入ったシメオンは、幼子イエスを腕に抱き、神をほめたたえて言いました。シメオンは、主のキリストを見るまでは、決して死なないと、聖霊のお告げを受けていました。

 「主よ。今こそあなたは、あなたのしもべを、みことばどおり、安らかに去らせてくださいます。わたし(シメオン)の目があなたの御救い(神の御子キリスト)を見たからです。

 御救いはあなたが万民の前に備えられたもので、異邦人を照らす啓示の光、御民イスラエルの光栄です。」(ルカ2:29-32)

 

 八十四歳の女預言者のアンナもそこにいて、神に感謝をささげ、そして、エルサレムの贖いを待ち望んでいるすべての人々に、この幼子のことを語りました。(この幼子イエスがイスラエルを贖う救い主であると、証言しました。)

 

 また、イエスがイスラエルにお生まれになると、東方の博士たちが、イスラエルを治める支配者「ユダヤ人の王」を尋ねてエルサレムにやって来ました。そして、幼子イエスのおられるベツレヘムに行き、幼子イエスを見、黄金、乳香、没薬を贈り物としてささげ、ひれ伏して拝みました。

 イエスは、世(全世界)を救う「ユダヤ人の王」として、異邦人たちからも待ち望まれ、イエスがキリストであることが異邦人の行ないによって証言されました。

 

 ユダヤ人が生んだイエス・キリストは、あらゆる民族、あらゆる国、あらゆる言語の人々を救う救世主、すなわち天の神が地に遣わされた主キリストなのです。

 

 バプテスマのヨハネも証言しています。

 「御霊が鳩のように天から下って、この方(ナザレのイエス)の上に留まられるのを私は見ました。

 私もこの方を知りませんでした。(この方がキリストであることを知りませんでした。)しかし、水でバプテスマを授けさせるために私を遣わされた方(天の神)が、私に言われました。『聖霊がある方の上に下って、その上に留まられるのがあなたに見えたなら、その方こそ、聖霊によってバプテスマを授ける方(主キリスト)である。』

 私はそれを見たのです。それで、この方が神の子であると証言しているのです。』」(ヨハネ1:32-32)

 

 バプテスマのヨハネは、イエスを見て言いました。

 「見よ、世の罪を取り除く神の子羊。」(ヨハネ1:29)

 

 イエスが十字架で死なれたとき、地が揺れ動き、岩が裂け、神殿の幕が上から下まで真二つに裂けました。

 「百人隊長および彼といっしょにイエスの見張りをしていた人々は、地震やいろいろの出来事を見て、非常な恐れを感じ、『この方(十字架にかかられたナザレのイエス)はまことに神の子であった。』と言った。」(マタイ27:54)

 神は、異邦人の口にも、イエスが神の子であると、証言させられました。

 

 イエスのからだが墓に納められ、三日目の明け方早く、女たちが香料を持って墓に来ると、イエスのからだはありませんでした。途方に暮れている女たちに、御使いが現われ、言いました。

 「あなたがたは、なぜ生きている方を死人の中(墓)で捜すのですか。

 ここにはおられません。甦られたのです。」(ルカ24:5,6)

 

 イエスの人生には、預言の成就と、御使いの現われと、聖霊の力と不思議が伴っています。

 涅槃や救いを教える宗教の中に、イエスのように現われ、死から甦り、弟子たちの見ている間に天に上られた教祖はいますか。ご自分が世から去った後に、もうひとりの助け主(生かす御霊)を遣わし、弟子たちを孤児とされないイエスのような、救い主はほかにありますか。

 

 「私はキリストである。」と自分で証言する自称キリストのうちに、神の力はありますか。その者が語る救いは、本当に神から出ていますか。

 その者の出現は預言されていましたか。イエスは、生まれる七百年も前の預言者たちに、その訪れを預言されていました。

 

 神は、むかし預言者たちを通して、多くの部分に分け、いろいろな方法で語られました。

 しかし、この終わりの時には、御子イエス・キリストによって、私たち(ユダヤ人だけでなく、すべての人)に語られます。御子イエスは、神の本質の完全な現われであり、その力あるみことばによって万物を保っておられる方です。

 

 イエス・キリストを主とし、神の御子と信じる者は、キリスト(救い主)の現われが明確(キリストの素性が確か)であり、呪文のようなわけのわからない言葉ではなく、真理を教えるキリストの御霊によって具体的な指示を受けることができるのです。

 

 聖書に書かれた預言は、イエス・キリストにおいてことごとく成就します。また、イエス・キリストのことばは、ことごとく成就します。

 神の御子イエスに神の御救いがあり、イエス・キリストにつく人々の希望は明確なものであり、永遠のいのち(としえの御救い)なのです。

 

 預言者モーセによって記述された聖書のことばは、神の御子イエス・キリストによって実現し、完成しました。

 モーセのような、ユダヤ人から出るもうひとりの預言者(神の御子キリスト・イエス)によって、終わりの時のことが語られました。

 

 終わりの時代を生きる私たちは、キリストが授けてくださった聖霊(真理の御霊)によって、イエスのことばを思い起こさせていただき、神が用意されたいのちの道を歩んで行くのです。

 私たちは、信仰によって御救いを受けて、とこしえの神の家に向かっているのです。