ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

輝く命の三浦春馬くん


  多くの有名人がお亡くなりになる中で、これほど人々の記憶にありありと残り、今尚、その命が惜しまれ、その人の死が語られ、ファンでなかった人にも衝撃を与えた人がいるでしょうか?

  春馬くんは本当に不思議な人です。春馬くんの死は、春馬くん個人の死にとどまらず、多くの人に死と向き合う機会を与えました。私は、春馬くんではなくあの人だったらと色々な有名人を当てはめてみましたが、やっぱり春馬くんだから、この現象が起こっているんだと改めて思いました。

  祈っていて感じたのは、春馬くんに死がまとわりついていたということです。彼自身が死にたいと思っていたのではなくて、死が春馬くんを捕えようといつも彼の身近にいたと感じたのです。普通は耐えられない状況でも、春馬くんは自分のすべき事を真摯にまた心を込めて取り組みました。春馬くんは多くの人々に命と死の究極のメッセージを伝える事の出来る生き方をした、貴い命でした。春馬くんだからこそ、人の心に生と死の思いを植え付け、考えさせられるんだ、とつくづく実感しました。

  死んでもなお働く命を生きた春馬くんだから、いのちは生き続ているんですね。だから、思うのです。人を生かす一粒の麦なんだと。人を生かす事が出来るのは、春馬くん自身が生きているからなんでしょう。

  神に愛された春馬くん。死の間際に神に助けを求め、神にすがったとしか思えません。春馬くんは最後まで希望を手放してはいなかったと感じるのです。絶望の末の死ではなく、踏ん張る力が弱くなった春馬くんの命が、死の力に引き寄せられてしまった。死に飲み込まれていく中でも、最後まで持ち続けた微かに残る命の輝き。死は春馬くんの命の輝きを消す事は出来ませんでした。

  神はご自分の子供たち(クリスチャン)に、三浦春馬くんの魂の救いのために祈る心を与えられました。死んでしまった人の魂の救いのために祈るなんて前代未聞の祈りを多くのクリスチャンが半信半疑ながらも祈り(こんな祈りは神に反するのでは?と不安に感じながらも何故か心注いで熱心に祈らされた)、祈った後で心に開放的な安らぎを得たのではないでしょうか。

  神は春馬くんを永遠に生きる者とするために、肉体の死を許されました。第二の死で滅ぶことのない勝利者とするためです。

  芸能活動をしながら、神の道を選ぶ事は、春馬くんには難しかったと思います。本当の信仰にたどり着けなかったのではないのかと思います。神は輝く命の春馬くんに、永遠のいのちを得させるために、春馬くんにとって一番良い宝(魂の救い)を与えられたのです。春馬くんの魂が滅ぼされないために。春馬くんに永遠に生きて欲しいと、神が望まれたからです。