ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

第二の死に勝利するいのちを得る、春馬くん


  肉体が死ぬ事が「死」だと思いがちですが、肉体の死は肉体を脱いで霊の存在となる事です。肉体は食べたり飲んだり眠ったりしないとやがて機能しなくなり、死んでしまいます。でも、霊は肉体を失ってもなお生き続けるのです。

  ある教会の60代だった婦人の一人息子さんのお話です。お父さんはすでに昇天して二人暮らしでした。こうじさんは40代いっておられたでしょうか。成人してから病気で教会に出かけるのも困難な状態でした。一度手を置いてお祈りした事がありました。こうじさんの手の冷たさに血が通っているのかと心配しました。つらいだろうなと涙が出ました。

  ある日朝5時までやっている喫茶店で教会の姉妹と夜10時頃から朝5時までとめどもないお喋りをしていた時、私の隣に男性が座っているのを感じて目を向けましたが見えません。でも、確かにそこに居るのです。二人の会話を楽しそうに笑いながら聞いている様子でした。

    
  本人の強い願いで一人暮らしを始めていたこうじさんは、引っ越して何日も立たないその日、床に寝たまま召されました。それを知った時、あれはこうじさんだったと思いました。

  お母さんは一人暮らしを許した事を悔やみ、自分を責めておられました。告別式に牧師が、こうじさんは自立したいと願い、本人の希望が叶って家を出て自立して神の元に帰られた、とこうじさんの決断を祝福するメッセージを語られ、お母さんは慰められつつも後悔は消えない様子でした。

  しばらくしてから、喫茶店での体験をお話しました。すぐに、こうじさんだと理解されました。自由のきかない身体で随分苦しまれたこうじさんが自分の行きたい所に自由に行き、笑って楽しんでいた事を喜んで下さいました。生前こうじさんは私のことをお母さんに、あんな人がお嫁さんやったらええなあと言っていたそうです。

  肉体を脱いだら痛みも不自由もなくなって、軽やかになるんだな、と思いました。春馬くんの楽しそうな気配を感じた時、こうじさんのこの体験を思い出しました。  

  第二の死は、霊の死の事です。これは永遠の滅びで、その苦しみは地上の比ではないようです。春馬くんは霊的には死ぬ人ではないと思います。

  教会のある婦人のご主人の告別式での事です。80代のご主人の告別式はご自宅で行われました。式の中で勝利の讃美歌が歌われました。驚いた事に、奥様が誰よりも大きな声を張り上げて力強く手を振り上げながら歌っておられました。最後までキリストへの信仰を持ち続けたご主人を、主に感謝する振る舞いである事がわかりました。渡された品は、勝利の杯、漆塗りの杯でした。

  キリスト教の告別式は、キリストとの結婚式のように明るくて喜びと勝利に満ちています。また会える希望があるからです。お別れではなく、先に送り出すって感じです。

  肉体の死は終わりではありません。神を信じる者にとっては神に帰る道です。霊の世界で新たな経験を積んで、永遠のいのちを受けてね。春馬くん。

  春馬くんの魂が神の懐で安らぎますように。

 

 

    著作本 『世界のベストセラー聖書を読み解く 人はどこから来てどこへ行くのか』鍵谷泰世著 (青い表紙の本)

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