ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

春馬くんは闇にはいないですよ


  白いからだの人達は、貸会議室のような殺風景な場所で働いていました。輝く光の中ではなく、うっすらとした白い蛍光灯のあかりのような部屋で黙々と作業しています。肉体が無いから疲れを感じることなく、世が改まるまで働き続けるのでしょうか。

  死者には大きく分けて4通りの行き場があるように思います。これは私の考えです。普通に生きていた人々は、地上の暮らしの延長のように地上と同じ事をして終わりを待ちます。邪悪な人々は、苦しみの場所に行きます。神のもとに帰る人々は、輝く光の中で安らいで贖いの時を待ちます。自死者は、闇の中を一人彷徨い続けます。今回、春馬くんを通してもう一つの場所があるように思いました。そこは光に入るための予備軍が悔い改めて、光の中に生きる者となるために鍛錬を積む特別枠の場所です。

  神に特別に設けられた、のがれの場所です。
肉体がなくなった人々は霊の事が理解できます。地上では隠されていて探り求めてもわからなかった事を、はっきりと知る事が出来ます。そこは、真理を知る事が許された人々を、神が滅ぼすもの(悪魔)の手から救い出し、のがれさせた場所です。

  のがれの場所の人々は、光か闇か、いのちか滅びか二つの道しか無いのを悟っているので、逃げ込んだこの恵みを知り、熱心にいのちを得ようと働きます。地上では、嘘くさいと笑い飛ばされて、多くの人達は救いの恵みをつかみながらも手放してしまいます。のがれの場所の人達はそうではないでしょう。ただひたすら、救いを得ようと努力します。

  死は二種類あります。
  第一の死は肉体の死。誰もが体験する死です。死んで墓に入るのです。この死は神を信じる人にも信じない人間にも平等に訪れる死です。

 【人間には、一度死ぬことと死後に裁きを受ける事が定まっています。】これは体も魂も永遠の火の池で滅ぼす権威を持つ神が定めている事でどうする事も出来ません。
  第二の死は、神の裁きによって明らかになる霊的死です。これは、永遠の滅びを指します。滅びとは肉体を失った魂が休む事なく、永遠に苦しむという事です。永遠とは、終わりが無いという事です。

  春馬くんの肉体は死にましたが、春馬くんの魂は神が救い出されて、永遠のいのちを得るチャンスが残されたのです。そして、救いの価値を知る白いからだの人達は、光の子と変えられるために熱心に働いています。

  地上で熱心に神に仕えた人々は、地上での働きに応じて報いを受け取る事が出来ます。それとは違い、のがれの場所の人達は四六時中休まず熱心に働いているのに、彼らの報いは自分自身のいのちを得る事だけです。でも、この永遠のいのちを得る事は、地上で生きた者の最上の宝です。

  第二の死は彼らに何の力もありません。彼らを脅かすものは無くなり、永遠に死から解放されて、彼らは永遠に生きるのです。死に勝利した者には、新しく着る復活のからだが与えられます。もし、地上で生きる人々が、その宝(永遠のいのち)の価値がわかれば、全財産を支払ってでも買いたいと思うことでしょう。

  肉体は死にましたが、永遠のいのちを得るならば、春馬くんは人生の勝利者です。死に勝利し永遠に生きる者とされるからです。春馬くんの魂は神にへりくだり、悔い改めとともに地上の人々の救いのために祈っていると思います。

  神の定め(死後の裁き)を心にとめて、いのちを支配する神にへりくだり勝利した者は、終わりの日に墓から甦るのです。復活した人は、新しいからだを得て永遠に生きるのです。春馬くんは光に入るために頑張っていると私は思います。

 

 

    著作本 『世界のベストセラー聖書を読み解く 人はどこから来てどこへ行くのか』鍵谷泰世著 (青い表紙の本)

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