ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

殉教者の死

 

  携挙の時には、まずキリストのために命を落とした者達が甦るのです。イエスは迫害され、殺されました。殉教者たちは、彼らの主の足跡を忠実に歩み、主の死を身に帯びた人々です。

 

  殉教者の死は神に祝福され、彼らの死は多くの魂の救いをもたらします。彼らは、一粒の麦です。死によって、土に蒔かれた一粒の麦です。土に蒔かれた一粒の麦は、自分の命は死にますが、その麦は種となって芽を出し、やがて多くの実を実らせるのです。

 

  このことは、霊の世界で起こることです。人のわざではありません。神に忠実な一人の聖徒の死は、多くの魂を生むようにと紐づけられ、神に祝福されているのです。

 

  殉教者が知らなかった人々にまで、その祝福は及びます。殉教者の死は尊いものなのです。

 

  生き残っている人々が、死んでいる人々に優先するようなことはありません。まず、神に忠実であった殉教者が甦るのです。

 

  聖霊のバプテスマを知らない人でも、神に忠実な人のうちに御霊が住まわれ、生ける神の体験をする方もおられます。

 

  イエスの弟子が集う教会は、十二使徒が中心となって、ユダヤ人から始まりました。彼らが、異邦人も弟子のうちに加えるきっかけとなった出来事が興味深いものです。

 

  割礼を受けていない異邦人達も神のことばを受け入れたと聞いて、主にある兄弟達は、「あなたは割礼の無い人々(異邦人)のところに行って、彼らと一緒に食事をした」と言って、ペテロを非難しました。神の契約がある割礼の人々(ユダヤ人)は、神に契約を与えられていない無割礼の人々(異邦人)と聖別されていました。ともに連なることはあってはならないことでした。

 

  ペテロは事の次第を説明しました。神の御霊に導かれ、ペテロを訪ねて来た異邦人とともに百人隊長コルネリオの家に行きました。コルネリオは敬虔な人で、全家族とともに神を畏れかしこみ、ユダヤの人々に多くの施しをなし、いつも神に祈りをしていた人です。

 

  彼は、ある日の午後三時頃、幻の中で、はっきりと神の御使いを見ました。御使いは言いました。「あなたの祈りと施しは神の前に立ち上って、覚えられています。ヨッパに使いをやって、ペテロと呼ばれるシモンを招きなさい。その人があなたとあなたの家にいるすべての人を救う言葉を話してくれます。」

 

  コルネリオの家でペテロが話し始めていると、聖霊が、あの最初のときユダヤ人達にお下りになったと同じように、彼らの上にもお下りになったのです。

 

  ペテロはそのとき、主が、「ヨハネは水でバプテスマを授けたが、あなたがたは、聖霊によってバプテスマを授けられる」と言われたみことばを思い起こしました。

 

  ペテロは言いました。「私達が主イエス・キリストを信じたとき、神が私達に下さったのと同じ賜物を、彼らにもお授けになったのなら、どうして私などが神のなさることを妨げることができましょう。」

 

  ユダヤの人々はペテロの話を聞いて沈黙し、「それでは、神は、いのちに至る悔い改めを異邦人にもお与えになったのだ」と言って、神を褒めたたえたのです。

 

  異邦人がユダヤ人信者に受け入れられるために、神は神を信じる異邦人にも聖霊のバプテスマを授けられたのです。しかも、ペテロが授けたのではなくて、神御自身が彼らに聖霊を下らせ、異邦人も異言で主を賛美したのでした。

 

  異言のしるしは、ユダヤ人と異邦人がともに、新しい契約に入ったしるしとなったのです。割礼(神の契約)のない異邦人にも同じ聖霊の賜物が注がれたのでした。

 

  ペテロは、「この人達は、私達と同じように、聖霊を受けたのですから、いったい誰が、水を差し止めて、この人達にバプテスマを授けさせないようにすることができましょうか」と言い、イエス・キリストの御名によってバプテスマを受けるように彼らに命じたのでした。

 

  キリストを信じ、信仰が主と結び合わされ、その人の人生の主導権が主に明け渡されると、その魂は神の支配下に入り、神の霊である聖霊を迎えるのです。

 

  御霊に導かれる者は、主イエスのように十字架を負って神に従うのでしょう。

 

  イエスはいわれました。

  「誰でもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。自分の命を救おうと思う者は、それを失い、わたしと福音とのために自分の命を失う者は、それを救うのです。

 

  人は、たとい全世界を手に入れても、まことのいのちを損じ、自分自身を失ったら、何の得がありましょう。

 

  もし誰でも、わたしとわたしのことばを恥じるならば、人の子(キリスト)も父の栄光を帯びて聖なる御使い達とともに来るときには、そのような人のことを恥じます。」

 

  また、「わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしい者ではありません。また、わたしよりも息子や娘を愛する者は、わたしにふさわしい者ではありません。自分の十字架を負ってわたしについて来ない者は、わたしにふさわしい者ではありません。

 

  自分の命を自分のものと考える生き方をする者は、いのちを失い、わたしのために自分の命を失った者は、永遠のいのちを得るのです」ともいっておられます。

 

  携挙で、天に引き上げられる者は、イエスのために生きた人々です。自分の十字架を負って、イエスの足跡を歩み、いのちの道を歩んだ者達です。死んだ殉教者と生きながらの殉教者がともに、天に迎えられ引き上げられるのです。

 

  殉教者ではない死者達は、墓に眠ったままです。彼らは、キリストが再臨される時に甦り、キリストがイスラエルの王として治められる地上の王国に入るのです。