ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

世に光を輝かす日

 

  クリスマスは、イエスキリストの降誕を祝う日として、最も中心的な教会行事です。教会に行かない人も知っています。民族や国や宗教の境界線を持たず、世の人々も楽しみとするイベントになっています。

 

  しかし、一部のクリスチャンは、12月25日がイエスの降誕された日では無いことを知っています。聖書では期日は記されていないからです。

 

  ユダヤ教の一派、ナザレ派の群れがイエスキリストの教えを伝達する群れでした。そして、割礼の契約を持つユダヤ人から始まったこの群れに、異邦人の弟子達も集まって来ました。

 

  無割礼の異邦人は、神の民ユダヤ人が代々守って来たしきたりを守る事を強要されませんでした。世の考えを持つ異邦人の数が増加するにつれて、神の契約の中を歩んできたユダヤ人の意見は尊重されず、力を失っていきました。

 

  かえって世の方法に従い、世の人々の考えを汲む異邦人信者が力を増し加え、天の神を地に降ろし、地上の方法で祀ったのです。それで、契約の神に従って来たユダヤ人は教会から姿を消しました。

 

  異邦人の教会となって、ユダヤ色は取り除かれ、ユダヤ人が守って来た旧約聖書の権威をないがしろにしました。

 

  イエス・キリストが世に現れたことで、旧約聖書を時代遅れのものとし、イエスキリストのことばが書かれた新約聖書を神が人類に与えられた新しい契約としました。

 

  旧約聖書は、神の御子イエスが世に来られるための導き書であり、どうして神の子が世に人として来られることになったのか、また、神の子がどうやって地上に現れるのか、という案内書は、イエスが世に生まれた事でもう意味をなさないもの、必要の無いものとされるようになってしまいました。

 

  異邦人は、天の神が遣わされたイエスキリストが生まれたその日から、この世に救いが明らかにされて、イエスの十字架の死と復活により、救いが完成し、イエスを信じる者は誰であっても天の御国に入って永遠に生きる、と伝え広めました。

 

  異邦人の教会では、イエス・キリストの十字架につけられた像を造り、自分の救いを十字架の主イエスと結びつけました。

 

  また、幼子イエスを抱いたマリア像を造り、処女マリアから生まれた御子イエスの誕生に慰めを受けます。

 

  そして、マリア像を作り、マリアに願いを伝え祈ります。

 

  これらのことすべてが、イエスキリストをイスラエルに遣わされた父なる神の御旨を損なっています。

 

  神の命令は、「あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。上の天にあるものでも、下の地にあるものでも、地の下の水の中にあるものでも、どんな形をも造ってはならない。それらを拝んではならない。それらに仕えてはならない。」

 

  ユダヤ人を締め出して、旧約聖書の教えの土台を持たないキリスト教会に入り込んで居座った偽りの霊が、神の命令に逆らうように導いています。

 

  聖書が伝えているのは、処女マリアから生まれたイエスは成長し、神の子羊として十字架にかかり、十字架で流されたイエスの血によって人の罪は赦されたこと。

 

  そして、死んで墓に入ったイエスは、三日目に復活し、「わたしは甦りであり、いのちです。わたしを信じる者は、死んでも甦り、永遠に生きるのです」とのことばを実証されたことです。

 

  神がされる癒しのわざの栄光を悪魔は奪いました。それで、教会で行われる癒しの働きを、聖霊の働きでは無くて悪魔のわざだ、と考え疑うクリスチャンもいます。

 

  偽りの霊によって、真理は片隅に追いやられ、クリスチャンは神の御恵みを一部分しか受け取ることが出来ません。

 

  蛇のようにさとくあれ、といわれたクリスチャンは、偽りの霊がもたらしたイエス降誕の祝いの日であるクリスマスを、逆手に取って、復活の希望を与えるキリストの愛を伝えて、人々の救いの日、新しく魂が生まれる日にしたいものです。

 

  世を救うイエス・キリストの血の贖いを伝えて、イエスを信じる者は死んでも甦り、永遠に生きる希望を伝えて参りましょう。

 

  調和と平安と安息の天から遣わされたイエスが、争いと憎しみと怒り、悲しみと嘆きの闇の世から救い出し、子羊の血で洗い清め御霊の聖めによって、天上の愛に引き上げて下さる希望を伝えて行きましょう。

 

  もう嘆くことはない。もう彷徨い続けることはない。行く道知らずさまよい疲れた魂を優しく抱き、慈しみ、永遠の天の御国で安らがせる、希望の光、生きる苦しみや重荷から解き放し、死から救い出して下さるイエス・キリストを証して参りましょう。

 

  イエスキリストの御名によって祈る祈りは、天の父なる神のもとに届けられ、神がその祈りに答えて下さる、という希望を伝えましょう。

 

  キリストの贖いの血で、あなたの罪は赦されたことを伝えましょう。自分を責める事はありません。あなたの罪はイエスが代わって清算され、あなたは罪の呪いから解放されたのです。

 

  あなたに身代わって死なれたほどにあなたを愛し、あなたにご自分の命を与えられたほどにあなたの魂を慕い求めておられる、神の御子イエスを伝えましょう。

 

  あなたは、神に覚えられている人なのです。

 

  世に生きる人々に、魂の御救いを伝え、永遠の希望を伝える日としましょう。イエスキリストの御名は、人々の心に希望の光を輝かすことでしょう。

 

  「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」

 

  疲れ、先が見えない世の人々に、慰めと生きる勇気と希望が与えられる日となりますように。

 

  救いの御業を覚えてイエスキリストの御名が讃えられ、イエスを世に遣わされた父なる神に感謝と喜びと賛美が献げられる日となりますように。