ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

死に現されるイエスの栄光

 

  父のお通夜の日、父の棺が家から出発するのに、私が助手席に乗りました。葬儀会場に向かう道に父の通夜の案内看板が立っていました。

 

  父の名前が書かれた墨字の看板が目に入った時、あぁ、本当に父は死んだんだ、と実感しました。時間よ。戻れ。と心で強く念じる私がいました。スローモーションのように景色が進み、私の心は絶望的な落胆がありました。

 

  もう戻らない。もう戻ってこない。キリストを信じているのに、死にこんなに打ちのめされるとは。天に帰れば会えるという希望があるはずなのに、身内の事となるとそう簡単に割り切れるものではないという事を知りました。

 

  家族の死は、本当に悲しいものです。これが偽りの無い思いです。これが人間の姿なのだと分かりました。

 

  

  マルタとマリアの兄弟のラザロが病気で死に、墓の中に入れられて四日経っていました。そこにイエスが来られました。

 

  マルタはイエスに言いました。「主よ。もしここにいてくださったら、私の兄弟は死ななかったでしょうに。今でも私は知っています。あなたが神にお求めになることは何でも、神はあなたにお与えになります。」

 

  イエスはマルタにいわれました。「あなたの兄弟は甦ります。」

 

  「私は、終わりの日の甦りの時に、ラザロが甦ることを知っています」とマルタは言いました。

 

  イエスはいわれました。「わたしは、甦りです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。このことを信じますか。」

 

  マルタは答えました。「はい。主よ。私は、あなたが世に来られる神の子キリストである、と信じております。」

 

  マルタは帰って行って、姉妹マリアにイエスが来られたことを告げました。すると、マリアはすぐ立ち上がって、イエスの所に行き、イエスの足元にひれ伏して言いました。

 

  「主よ。もしここに居てくださったなら、私の兄弟は死ななかったでしょうに。」

 

  イエスは、マリアが泣き、彼女と一緒に来たユダヤ人たちも泣いているのをご覧になると、霊の憤りを覚え、心の動揺を感じて、涙を流されました。

 

  イエスの涙は、人の涙のわけとは違っていました。イエスが人を造られた時、神の息が吹き入れられて、神のいのちで生きるアダムは、永遠に生きる者でした。死ぬことは無かったのです。御子とともに永遠に生きる者だったのです。

 

  アダムが蛇に騙されたエバとともに、神が禁じられた善悪の木の実を食べて、死ぬ者となったのです。神はアダムに命じておられました。「善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるその時、あなたは必ず死ぬ。」

 

  御子は霊的に死んだ者となり、永遠に生きるいのちを失った人の子らの救いのために、人の子イエスとなって、イスラエルに来られたのです。

 

  霊的に死んだ人は、神を見失いました。そして、肉体は滅び、死が彼らを捕えて、悪魔のために用意された火の池に落とすのです。

 

  神に似せて造られた人は、悪魔の奴隷となって、悪魔と同じ運命を辿るのです。御子は、人を悪魔の支配から救い出し、死の呪いを断ち切り、死ぬべき人間を神に立ち返らせて永遠に生きる神の子に造り変えるために、地上に来られたのです。

 

  死の力が、マリアや神の民ユダヤ人と神との間に立ち塞ぎ、悲しみの闇に連れて行くのをご覧になって、彼らを死の呪いに閉じ込めた悪魔の仕業に憤りを感じ、また、アダムの不義の結末にどうしようもない痛みを覚え、右も左もわきまえない羊飼いのいない羊のような真理を悟れないユダヤ人のために、涙を流されたのです。

 

  「わたしの羊を導く羊飼いであるはずの祭司長や律法学者達が、自分を肥やし、弱った羊を強めず、病気のものを癒さず、傷ついたものを包まず、迷い出たものを捜さず、羊を養わないで、かえって力ずくと暴力で彼らを支配している。

 

  わたしの羊はかすめ奪われ、牧者がいないので、あらゆる野の獣の餌食となり、散らされている。それなのに、わたしの牧者達は、わたしの羊を捜し求めず、かえって牧者達は自分自身を養い、わたしの羊を飼わない。

 

  わたしはわたしの羊を、雲と暗闇の日に散らされたすべての所から救い出して、世話をする。

 

  わたしは失われたものを捜し、迷い出たものを連れ戻し、傷ついたものを包み、病気のものを力づける。わたしは、肥えたものと強いものを滅ぼす。わたしは正しい裁きをもって彼らを養う。」

 

  神は、彼らを牧するひとりの牧者、神のしもべダビデの子、イエスを遣わされました。主イエスは、神の民を養う、彼らの牧者となられたのです。

 

  父なる神が彼らの神となり、御子イエスがイスラエルの君主となるのです。

 

  イエスは、マルタの兄弟ラザロの洞穴の墓に来られ、マルタにいわれました。「もしあなたが信じるなら、あなたは神の栄光を見る、わたしはいったではありませんか。」

 

  イエスは目を上げて、いわれました。「父よ。わたしの願いを聞いてくださることを知っていました。わたしは、群衆のために、この人々が、あなたがわたしをお遣わしになったことを信じるために、こう申したのです。」

 

  そして、イエスは大声で叫ばれました。「ラザロよ。出て来なさい。」

 

  すると、死んでいたラザロが、手と足を長い布で巻かれ、顔は布切れで包まれたまま、墓から出て来たのです。

 

  ラザロが死なないように、というイエスの祈りは父に聞かれていました。しかし、イエスは、ラザロの病気を癒すのではなく、死んだラザロを甦らせることで、神の栄光を現わし、ご自分が神から遣わされたキリストであることを証されたのでした。