ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

死は別れでは無い

 

  イエスが町の門に近づかれると、やもめとなった母親のひとり息子が、死んで担ぎ出されたところであった。町の人達が大勢その母親に付き添っていた。

 

  イエスはその母親を見て可哀そうに思い、「泣かなくてよい」と言われた。そして、近寄って棺に手をかけられると、かついでいた人達が立ち止まったので、「青年よ。あなたに言う、起きなさい」と言われた。

 

  すると、その死人が起き上がって、ものを言い始めたので、イエスは彼を母親に返された。

 

  人々は恐れを抱き、「大預言者が私達のうちに現れた」とか、「神がその民を顧みて下さった」などと言って、神を崇めた。その民とは、神が契約を与えておられるイスラエルの民のことです。

 

  死は、愛する者を引き裂きます。物理的に断絶します。しかし、愛を引き裂く事は出来ません。

 

  イエスは、ひとり息子を失ったやもめの悲しみを見て、可哀そうに、と思われたのです。息子は青年と呼ばれる年代なので、母親は壮年を過ぎ中年に差し掛かる頃だったでしょう。

 

  息子の死は、母親の死にも等しい事柄でした。母親は地上で生きながらも生命力はしぼみ、母親の中に生きる命の光を見ることが出来ず、ひとり子の青年を生かす事で、母親に信仰の光をともそうとされたように感じます。

 

  人が死ぬことは定まっていることです。人類の最初の人、アダムが神のことばを軽んじ、忠告を退けて、死の道を選び取ったからです。

 

  神の子イエスは、死から命を取り戻す力がありました。しかし、生き続けさせることは出来ません。何故なら、地上で生き続けている間は、肉体を持っている間は、永遠に生きる霊のからだとなっていないからです。

 

  霊に於いて永遠に生きるいのちとなった者は、肉体の命に死んでも、永遠のいのちで神の御前で生きる事が出来ます。神は、人々に永遠に生きるいのちを得させるために、神の子羊イエスを地上に遣わされたのです。

 

  イエスは、青年を生き返らせることで、母親や大勢の人々に神を現されました。死人が起き上がって、ものを言い始めたのを見て、彼らは恐れを抱き、神がイスラエルに救いを与えて下さった事を知り、神を崇めたのです。

 

  イエスは、神が崇められることを望まれます。神を崇めることは、イエスを遣わされた、父なる神を崇めることです。

 

  イエスの父、キリストを遣わされた神、創造主である神を崇める者は、神の子であり、永遠に生きる者です。

 

  青年の甦りによって、町の人々は、死から甦らせる神の力を見たのです。青年の魂は肉体に戻り再び地上で生きた後、神の時に死んで、その魂は神のもとに帰ったのでしょう。

 

  永遠のいのちを受けるために、また、イエスが神の子であることを証するために、一度死んだ青年は、死から甦って神の栄光を現わしたのでしょう。

 

  肉体の死は、この世の目に見える現象の世界から、目に見えない永遠の世界に入るための入口でもあるのです。

 

  イエスが墓から呼び出し、死人の中から甦ったラザロの姉妹であるマルタは、ラザロが墓の中にいた時に、イエスに告白しています。

 

  「私は、終わりの日の甦りの時に、彼が甦ることを知っております。」

 

  ユダヤ人の間では、人は最後の神の裁きの時に死んだ人々もすべて甦るという信仰があったようです。

 

  マルタの告白に対して、イエスは言われました。

 

  「わたしは、甦りです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。」

 

  イエスは、まだ十字架の死を体験しておられず、墓から甦ってもおられませんでした。しかし、神の中ではすべては完成しているのです。

 

  イスラエルは、永遠に生きるメシアを待ち望んでいました。イエスは、ご自分がイスラエルが待ち望んでいる、永遠に生きるメシアであり、神から遣わされたキリストであることを言われたのです。

 

  また、永遠に生きるメシアとして、再び地に来られる時、イエスを信じる者達はすべて墓から甦り、その時生きている者達は肉体の死を通ること無く、永遠のいのちのからだ、復活のからだ、霊のからだとなるのです。

 

  そして、イスラエルの王である御子キリストに仕える、イスラエルの王の国民となるのです。

 

  このことを信じるか、と問われたマルタは、イエスに答えて言いました。

 

  「はい。主よ。私は、あなたが世に来られる神の子キリストである、と信じています。」

 

  イエスは、再び世に来られるのです。

 

  「あなたは、神の御子キリストです」とイエスに告白する者達の霊は、再臨のキリストの国に集められます。

 

  再臨のキリストは、イスラエルの王となって、世界の国々を治められます。争いの無い平和な世界となるのです。

 

  キリストを信じる者達は、キリストを主と告白する者達は、どの時代に生きた人も甦って共に生きるのです。そこには、アブラハム、イサク、ヤコブもいるのです。

 

  死は、何の力もありません。クリスチャン達も死が愛する人と隔てていたわけでは無かった、と知るのです。皆が共に生きるのです。

 

  イエスを信じる者は、いのちの神とともにいるのです。死なないいのちの中で生きているのです。