ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

アサ王の信仰

 

  ユダの王、アサは、彼の神、主が良いと見られること、御目にかなうことを行い、異教の祭壇と高き所を取り除き、柱を砕き、アシェラ像を打ち壊した。

 

  それから、ユダ(ユダヤ民族十二部族のうちの二部族。アサ王は、ユダ族とベニヤミン族の王であった)に命じて、彼らの父祖の神、主を求めさせ、その律法と命令を行わせた。

 

  更に、彼はユダのすべての町々から高き所と香の台を取り除いた。こうして、王国は彼の前に平安を保った。その平安な数年の間に、アサはユダに防備の町々を築いた。

 

  アサ王のもとには、ユダの軍勢三十万、ベニヤミンの二十八万の勇士がいた。

 

  時が経って、クシュ人ゼラフが百万の軍勢と三百台の戦車を率いて、彼らに向かって出陣し、マレシャまで寄せて来た。

 

  そこで、アサは彼に対抗して出陣し、マレシャにあるツェファテの谷で戦いの備えをした。アサはその神、主に叫び求めて言った。

 

  「主よ。力の強い者を助けるのも、力のない者を助けるのも、あなたにあっては変わりはありません。私達の神、主よ。私達を助けて下さい。私達はあなたに拠り頼み、御名によってこの大軍に当たります。主よ。あなたは私達の神です。人間にすぎない者に、あなたに並ぶようなことは出来ないようにして下さい。」

 

  主はアサの前とユダの前に、クシュ人を打ち破られたので、クシュ人は逃げ去った。アサ王と民は、彼らをゲラルまで追い詰めた。クシュ人は倒れ、生きている者はなかった。

 

  アサ王は目に見えるところで、一喜一憂するのではなく、力ある神に拠り頼んだのです。自分に力が無くても、大いなる神には力があることを知っていたからでした。

 

  アサ王の信頼は、軍勢でも兵器でもなく、神御自身でした。神に拠り頼めば報いて下さるというアサ王の信頼と、神への信仰が、アサ王とその民ユダとベニヤミンを守っていたのでした。

 

  神の霊がオデデの子アザルヤの上に臨んだ。そこで、彼はアサ王の前に出て行き、アサに言った。

 

  「アサ及び、すべてユダとベニヤミンの人々よ。私の言うことを聞きなさい。あなたがたが主とともにいる間は、主はあなたがたとともにおられます。もし、あなたがたがこの方を求めるなら、あなたがたに御自身を示して下さいます。

 

  もし、あなたがたがこの方を捨て去るなら、この方はあなたがたを捨ててしまわれます。長年の間、イスラエルにはまことの神なく、教師となる祭司もなく、律法もありませんでした。

 

  しかし、その悩みのときに、彼らがイスラエルの神、主に立ち返り、この方を尋ね求めたところ、彼らに御自身を示して下さいました。

 

  この時期には、出て行く者にも、入って来る者にも平安がありませんでした。国々に住むすべての人々に大きな恐慌があったからです。そして彼らは、民は民に、町は町に相逆らい、共に打ち砕かれてしまいました。神があらゆる苦しみをもって、彼らを搔き乱されたからです。

 

  しかし、あなたがたこそ強くあって欲しいのです。力を落としてはなりません。あなたがたの働きには報いが伴っているからです。」

 

  アサ王は、預言者オデデの預言を聞いた時、奮い立って、ユダとベニヤミンの全地から、また彼がエフライムの山地で攻め取った町々から、忌むべき物を除き、主の祭壇を新しくした。

 

  彼の神、主がアサ王とともにおられるのを見て、イスラエル(ダビデから離れた十部族)から多くの人々が、アサ王を頼って来た。

 

  アサ王は、ユダとベニヤミンのすべての人々、及び、エフライム、マナセ、シメオンから来て彼らのもとに身を寄せている人々を集めた。彼らはエルサレムに集まった。

 

  その日、牛七百頭と羊七千頭を生贄として献げた。

 

  更に、彼らは、心を尽くし、精神を尽くしてその父祖の神、主を求め、誰でもイスラエルの神、主に求めようとしない者は、殺されるという契約を結んだ。彼らは、大声をあげ、喜び叫び、ラッパと角笛を吹いて、主に誓いを立てた。

 

  ユダの人々は皆その誓いを喜んだ。彼らは心を尽くして誓いを立て、ただ一筋に喜んで主を慕い求め、主は彼らに御自身を示されたからである。

 

  主は周囲の者から守って彼らに安息を与えられた。アサの治世の第三十五年まで、戦いは起こらなかった。

 

  神の民は、神に信頼を寄せることが大切です。神が、民のまことの王、まことの指導者であることがわかる王が立つと、神が民のために立ち上がられ、その国は安息を得ました。

 

  民の心は、王によって、なびきます。神を知り、神を畏れる王が立つと、王の神への信仰により、民は平安を得ます。神を畏れない、邪悪で不敬な王が立つと、国は悩み苦しみます。

 

  また、ひとりの王が神に信頼しへりくだっている間は、国は平穏ですが、王が高ぶり、民を正しく治めないと、国は敵に取り囲まれます。

 

  パウロは言っています。

  「まず初めに、このことを勧めます。すべての人のために、また王とすべての高い地位にある人のために願い、祈り、執り成し、感謝が献げられるようにしなさい。それは、私達が敬虔に、また、威厳をもって、平安で静かな一生を過ごすためです。

  そうすることは、私達の救い主である神の御前においてよいことであり、喜ばれることなのです。」

 

  神は民の苦しみをご存じです。王がどうであれ、自分自身は、神を畏れ、神に誠意を尽くしましょう。神が、守って下さいます。

 

  民を苦しめる野望を抱く王は、神が倒し滅ぼされます。そこには、何の憐れみもありません。

 

  ひとりひとりが、アサ王のように、神を畏れ、主が良いと見られること、御目にかなうことを行い、心が神とともにあるならば、神は御自身を示して下さるのです。