ヤコブの十一番目の息子ヨセフは、ヤコブが四人の妻の中で最も愛した妻ラケルの長子でした。長子ルベンの罪により、神は、長子の権利をラケルの長子ヨセフに与えられました。父ヤコブはヨセフに長子の長服を作ってやり、ヨセフは長子が着る長服を着ていました。兄たちは父に特別に愛された弟ヨセフを妬み、ヨセフを奴隷商人に売り飛ばしました。
神の御計画のうちにあって、ヨセフはエジプトの奴隷となり、後にはエジプトの大臣となったのです。エジプト人の間で暮らすヨセフに、エジプトの王は、オンの祭司ポティ・フェラの娘アセナテを妻としました。
ヨセフにふたりの子どもが生まれました。マナセとエフライムです。
ヤコブが死の床にあるとき、ヨセフはふたりの子、マナセとエフライムを連れて行きました。
ヤコブは、ヨセフに生まれたふたりの子を祝福し、弟エフライムを兄マナセの先にしました。ヤコブの子らの長子であるヨセフは、兄弟の二倍の祝福が約束されています。
父ヤコブは長子ヨセフに言いました。「今、私がエジプトに来る前に、エジプトで生まれたあなたのふたりの子は、私の子となる。」(創世記48:5)
ヤコブの家族の中で、すなわちユダヤ人の間で生まれていない、エジプトで生まれたヨセフのふたりの子を、父ヤコブは、アブラハムの契約と祝福を受け継ぐイスラエルに加えることをヨセフに話しました。
「エフライムとマナセは、ルベンやシメオンのように私の子(アブラハム、イサク、ヤコブの子孫)とする。
しかしあとからあなたに生まれる子どもたちはあなたのものとなる。しかし、彼らが家を受け継ぐ(アブラハムの神の契約と祝福を受け継ぐ)場合、彼ら(エフライムのあとから生まれる子ら)は、彼らの兄たち(エフライムあるいはマナセ)の名を名乗らなければならない。」(創世記48:5,6)
ヤコブは、弟エフライムをヨセフの長子の権利を受け継ぐ者とし、エフライムとマナセをヤコブの子としました。つまり、ヨセフの子ふたりは、ヨセフの子ではなく、父ヤコブの子とされたのです。
ヤコブの子は、ルベン、シメオン、レビ、ユダ、ダン、ナフタリ、ガド、アシェル、イッサカル、ゼブルン、ヨセフ、ベニヤミンの十二人でしたが、ヨセフのふたりの子をヤコブの子とすることで、ヤコブの子は、ルベン、シメオン、レビ、ユダ、ダン、ナフタリ、ガド、アシェル、イッサカル、ゼブルン、ヨセフ(長子の権利を受け継ぐエフライム)、マナセ、ベニヤミンとなりました。それぞれが支族の族長となりました。
ヨセフ族は、長子の氏族であり、エフライム族とも言います。神がヤコブの名をイスラエルに改められて、ヤコブの子ら(ユダヤ民族)はイスラエル民族と言います。
神は、レビ族を初子とされました。初子は神のものです。ユダヤ民族は、この初子によってきよいものとされます。レビ族は、神の御前で神に仕える者です。また、レビ族のアロンの子孫を祭司とされました。レビ族は、十二支族に振り分けられ、それぞれの支族の中でその支族を神に仕えるものとするために教え導くものでした。
そのほかの十二支族には先祖の相続地に割り当て地がありますが、レビ族は、神が割り当て地なのです。
ヤコブは、ヨセフのふたりの子を自分の子としました。長子のヨセフは、ヨセフ族(エフライム族)とマナセ族の二つの氏族の二つの分け前をいただき、二倍の祝福を受けるという長子の祝福を受けました。
エフライムのあとに、ヨセフに子が生まれた場合、その子らは、ヨセフの子であってヤコブの子ではありません。すなわち、アブラハム、イサク、ヤコブの神の契約の中にはいない者となるのです。父ヤコブの息子のヨセフはヤコブの子です。そして、ヨセフのふたりの息子エフライムとマナセもヤコブの子です。しかし、エフライムのあとに、生まれる子らは、ユダヤ人ではありません。つまり、イスラエルのうちに加えられず、神の契約を相続することができない者(異邦人)である、ということです。
もし、あとから生まれた子もイスラエルの神の契約のうちに入りたいのならば、契約を受け継ぐ兄、エフライムかマナセの名を名乗らなければならないと、ヤコブは言いました。もし、ヨセフの子らがイスラエルの祝福を相続したいと望むならば、エフライムのあとに何人生まれても、イスラエルのヨセフには、エフライムとマナセのふたりの子しかいない、という扱いになるということです。
アブラハムの子がすべて子孫ではなく、イサクから生まれるものがアブラハムの子孫と呼ばれるのと同じです。イサクにふたりの子がいますが、ふたりともがアブラハムの子孫ではなく、神が選ばれたヤコブの子孫がアブラハムの子孫イスラエルと呼ばれるのと同じです。
神は、かつて、地上のものを洪水で滅ぼされたとき、ノアに箱舟を造るように命じられました。神の命令に従ったノアとノアの家族は造った箱舟に入って、洪水の滅びから救い出されました。
次に神は、火で滅ぼすことを定めておられます。イスラエルは、神が火の滅びから守る御救いのために造られたシェルターのようです。神の御救いの契約をいただいているイスラエル(ユダヤ人の場合、先祖の契約ゆえに個人ではなく、民族として救われるという神の約束があります)は、神のことばを受けました。イスラエルは、神から聖書が与えられ、祭司によって神のことばに仕え、地上で神を礼拝する民です。預言のことばがゆだねられ、世界の国々の民族に、神の御救いを伝えるために選ばれた民族です。また、世界を平和に治める王(平和の王、イスラエルの王キリスト)をお迎えする民族です。世界の祝福は、イスラエルにかかっています。
神は、イスラエルに、神のひとり子キリストを遣わされ、火の滅びからの御救いのわざを成し遂げられました。神は、神の御子イエス・キリストの御名に御救い(罪の赦しと永遠のいのち)を置かれました。
神が用意されイスラエルによって完成した御救いのシェルター(イエス・キリストの御名)のうちに入るならば、ノアが箱舟に入って水から守られたように、滅びの火から守られます。
イスラエルは、贖いの神の子羊イエス・キリストの民であり、キリストはイスラエルの王となって地上に再び来られます。
イスラエルは、神が定められた火の滅びから守るために、神が用意されたシェルターの中にかくまわれた人々です。
エジプトで生まれたヨセフのふたりの子エフライムとマナセが、ヤコブの子とされたように、異邦人の地で生まれた者も、イエス・キリストの御救いに入って神の御救いの契約のあるイスラエルに加わるならば、アブラハムの契約と祝福を相続するイスラエルとともに、神の国民とされます。
エフライムのあとに生まれるヨセフの子らは、神の契約の中に入ったエフライムあるいはマナセの名を名乗るならば、アブラハムの契約を受け継ぐヤコブの子(イスラエル)とされます。
女の子孫である、悪魔を踏み砕く人の子イエス・キリストの御名を名乗るならば、どの国、どの民族で生まれた者でも、イスラエル(神の民)とされるのです。イスラエルは、火の滅びから守られるシェルターの家です。
すべての民族は、ひとりの神によって造られました。すべての民族に立てられた救世主キリストもおひとりです。イスラエルに敵対する民族に属する者でも、イエス・キリストの御名を名乗る(イエスは神の御子キリストであり、イエス・キリストはわが神、わが主、わが救い主です、と告白する)ならば、イスラエルに属する者となるのです。
神が救われるイスラエル(イエス・キリストを王として迎えるイスラエル)に入る者は、国も民族も言語も関係ありません。ユダヤ人もアラブ人も異邦人もキリスト信仰によって、イスラエルに加えられ、御救いのシェルター、イスラエルの家に入ることができるのです。
火の滅びから守られ、救世主(神の御子イエス・キリスト)の助けにより滅びの世から救い出されたイスラエルの家は、神の国に入ることができます。
神が、神の子羊イエス・キリストにお与えになる神の国の王座に、イスラエルの王(イエス・キリスト)が着座されます。そして、イスラエルの家はイスラエルの王に仕えるイスラエルの国民となるのです。