患難期に入る前に、患難に遭うことなく、この世から救い出される人々は、創世以来、人類が一度も経験したことのない、特別な恵みを受けます。
ノアの時代、ノアは洪水によって人類を滅ぼす計画を神から聞かされ、神に従って神の設計通りの箱舟を造り、世界に及んだ洪水から救われました。
地球は水で覆われました。陸地はすべて水の下です。水の下では、地殻が激しく変動しました。陸で生きるものすべてが、この大洪水で滅びました。箱舟に入ったものだけが生き延びました。
水から救われた世界は、激変しました。草食だった世界は、肉食になりました。また、寿命も激減したのです。肉の世となりました。ますます霊に暗い世となったのです。
暴虐に満ちた世から救い出されたかと思いきや、地球は水で洗われ、リセットされただけでした。しかし、ノアはこのことを通して、目に見えるものすべては神によって造られており、主権は創造主にあることを明確に心に刻んだのでしょう。
ノアの存命中にアブラハムは生まれており、ノアとの交流があったと考えられます。アブラハムが五十代の時に、ノアは死んでいます。肉食になり、ますます人間らしくなった人々ですが、アブラハムは、ノアの信仰を受け継ぎました。
ノアの場合、肉なる者が、洪水から救い出されて、肉なる命を得たのです。洪水から救い出された人、主の心にかなった正しい人、ノアも、寿命が来て死にました。
終わりの時代、本当に不思議な事が起こります。肉なる人が、生きたまま霊の姿に変えられて、天に上げられるのです。ノアは、世の滅びから救い出されて、水の中をくぐり抜けて、地上に生き延びました。ノア自身が新しい人になったわけではありません。ノアは洪水前も洪水後も、肉体を持つ、地上の人でした。寿命のある、肉なるからだの人でした。
ある一部のクリスチャンたちが信じている、生きたまま天に引き上げられる携挙は、一瞬にして、肉体が霊のからだに変わり、地上から天に引き上げられるのです。まさに、世から救われるのです。死から救われるのです。
時代は患難期に近づいています。聖書で預言されている、みことばの成就の時が差し迫っています。患難期は、ユダヤ人のための時代でもあります。イエス・キリストを主とする忠実なしもべたちは、この患難に遭わないように、世から救い出されます。
ソドムの町が焼き尽くされ滅ぼされる時に、その直前にその事を知らされたロトはそのことを信じ、御使いによってソドムの町から救い出されました。
世界に恐ろしい時代が始まる直前に、神は、御霊とともにいる忠実なしもべたちを天に引き上げられます。神は、携挙される人々を、世に起こる災いから救い出して下さるのです。
アメリカが世界の王者だと思っていたのに、いつの間にか、影が薄くなっているではありませんか。突然ロシアが世界に注目される国となり、今や世界中の国々で、ロシアのニュースが流れない日はありません。コロナの話題一色だった世界に、日々、ロシアの名前が聞かれます。
本当に、その日は近づいています。中国の強い指導者が世界の覇権を握る前に、携挙は起こります。
ロシアが突然世界に注目されるようになったと同様に、突然、中国の強い指導者が世界の支配者となります。ロシアは、近隣の小国に権威を振るいましたが、中国はそうではありません。経済力によって、世界に覇権を握るのです。
現代社会において、慣れない世界です。中世時代の帝国主義が復活したかのようです。中国の強い指導者に、支配権が与えられます。アメリカもロシアも持っていなかった、世界を支配する権威です。恐ろしい時代です。自由はありません。アメリカが世界に影響力を持った期間よりもずっと短く、ロシアが脅威となる期間は終わります。中国の強い指導者の支配する期間は、さらに短いです。
すると、突然、もっと強い指導者が世界中の人々の心を掴んで、世界の覇権を握ります。彼の出現こそが、みことばの成就です。神が昔から、警告しておられたことです。
携挙された人々は、その恐ろしい世界を体験することはありません。
携挙とは、神がイエス・キリストのしもべたちに用意された、逃れの道です。地の彼方に逃れるのではありません。逃れる場所は、地を離れて天に置かれるのです。誰も追っては来られません。
第五の封印が解かれた時、墓に眠る殉教者たちに白い衣(復活のからだ)が与えられ、言われました。「あなたがたと同じしもべ、また兄弟たちで、あなたがたと同じように殺されるはずの人々の数が満ちるまで、もうしばらくの間、休んでいなさい。」
墓の中に眠る殉教者たちの復活の備えができました。終わりの時に、殉教者の数が満ちるまで眠っています。
悪魔の働きがますます顕著になり、多くの背教者が起こり、殉教者が起こり、殉教者の数が満ちると、その時は来ます。御霊の宮は、一挙に引き上げられます。
時はわかりません。しかし、想定することは出来ます。私自身は、2025年を想定して、その日に備えています。聖書に書かれていることではないので、個人の見解として自分自身の中で考えていることです。
逆算して、御霊の教会の人々のために、備えのために発信していこうと考えているのです。その時が、もっと先であったとしても、備えをしていれば、恐れることはありません。
憎しみや怒りや妬みなどを神に取り扱っていただき、赦せないものを赦すことが出来るように神に助けを求め、心をきよめ、聖なる御霊と日々ともに歩めるように、ますます熱心に、信仰の歩みをしていきたいと思います。