ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

新しい天と新しい地

 

 黙示録21:1

 「また私は、新しい天と新しい地とを見た。以前の天と、以前の地は過ぎ去り、もはや海もない。」

 

 ヨハネは見たのです。今ある天体でも地球でもない、新しい天と新しい地です。キリストが治める千年王国の代が終わると、神の裁きが行なわれます。

 

 大きな白い御座と、そこに着座しておられる方がおられ、死んだ人々が、大きい者も、小さい者も御座の前に立つのです。数々の書物が開かれ、これらの書物に書き記されているところに従って、自分の行ないに応じて裁かれるのです。また、別の一つの書物も開かれますが、それは、いのちの書です。

 

 裁きの白い御座が現れると、地も天もその御前から逃げ去って、あとかたもなくなりました。千年王国は、夢のような世界でした。平和の地上王国も消え去りました。現象の世界は、消滅しました。

 

 ふいに現れた十本の角と七つの頭の獣(偽キリスト)が猛威を振るう悪魔の世界の後に起こった、キリストが治める平和な治世でした。様々な宗教やスピリチュアルの専門家たちが予告していた、肉と霊が入り混じる不思議なSFのような世界でした。

 

 復活のからだの人々もいれば、墓から甦った霊のからだの人々もいれば、以前と同じ肉体のままの人々もいる世界です。肉体の人々は、娶り嫁いで子どもを産み、以前の暮らしのようです。しかし、寿命は樹木のように長くなりました。九百三十年生きたアダムや九百五十年生きたノアの時代のようです。

 

 千年王国では、百歳は若者であり、百歳で死ぬ者は呪われた者と言われるほど、多くの人々が長生きするのです。被造物は癒され、死海には多くの魚がいるようになり、害するものはありません。幼子がコブラと戯れ、獅子は牛とともに草をはみ、共存します。

 

 人間の科学の力ではありません。天から来られたキリストの力によります。人が想像していた世界を遥かに超えています。聖書には書いてありますが、それがどのように実現し、どのような状態になるかまでは、実感がわかなかった世界が目の前に広がっているのです。

 

 死んだ人々が入るとされる、天国のような世界です。神の霊が覆い、邪悪なものが働くことができません。争いもなく、貧困も、苦悩もありませんでした。何の心配もなく、平和の時を味わいました。しかし、千年の時が終わると、縛られていた悪魔が解き放たれて、いのちの書に名の無い人々は悪魔とともに焼き尽くされました。

 

 大きな白い御座に着座しておられる方が、死とハデスとを、火の池に投げ込まれました。肉体の死から甦って霊のからだで千年王国に現れていた人々のうち、いのちの木の実を食べることのなかった人々、すなわち、いのちの書に名が記されていない人々は皆、この火の池に投げ込まれました。これが第二の死です。霊の死です。

 

 第一の死は、肉体の死です。肉体の死を通り復活のからだを受けて、永遠に生きる人々もいます。彼らは、いのちの書に名が記されている人々で永遠のいのちが与えられた人々です。彼らに裁きは過ぎ越されます。彼らの主イエス・キリストが、彼らの罪を身代わって裁かれたからです。子羊イエス・キリストの贖いの血が、彼らを義としました。この人々に対しては、第二の死は、何の力も持っていません。

 

 白い御座の御前で裁かれた死者たち、いのちの書に名の記されていない人々は皆、罪の赦しを得させてくれる、贖いの子羊の血を持っていません。彼らは第一の死である肉体の死のあとで、霊の死を宣告されます。死とハデスに勝利した、子羊イエスの血の無い者は、霊の死を宣告され、火の池に投げ込まれます。彼らは、肉体に死んだ後、第二の死、霊においても死ぬのです。

 

 現象の世界は終わりました。天体が造られ、世が造られ、世に生きたすべての人が、本性の姿に帰ります。肉体や現象は幻でした。霊なる存在こそが、実体だったのです。悪魔が大天使であった頃は、世は存在していませんでした。すべてのものが、永遠に生きる実体だったのです。

 

 しかし、悪魔の存在によって、神は、偽りの神(悪魔)のために、はかない現象を造られました。彼が本当の神ではないこと、神にはなり得ないことを悟らせるために、悪魔の願いを聞き入れて、彼に偽りの世を与えられたのです。そして、堕天使たちがその偽りから抜け出す救済のために、人を造られました。

 

 神は、偽りの世、現象の天と地を取り除くと、永遠に堅く立つ新しい天と新しい地を、御子イエスのために与えられます。

 

 これは真実な七つの御霊の教会です。天に引き上げられた十四万四千人の召されたユダヤ人と、生きたまま携挙された選ばれた忠実な人々と、イエス・キリストの御名と、神のために殺された、神に忠実な殉教者は、天上での子羊の婚宴に招かれた人々です。真っ白な、聖い亜麻布を着る人々です。彼らは、新しい天に属する人々です。

 

 十四万四千人のユダヤ人は、アブラハム、イサク、ヤコブの血統の血肉のユダヤ人でありながら、聖書を知らなかった人々であり、きよい良心に従って生きていた人々です。彼らは、世の終わりのために、神に召されていた人々です。彼らは復活のからだで天に上げられます。

 

 生きたまま携挙された人々は、イエス・キリストを愛し、聖なる御霊を愛して、御霊とともに歩んだ神のしもべです。終わりの時代に生きる聖徒に用意された特別な恵みです。

 

 神に忠実なあらゆる世代の殉教者たちが、墓から甦り、復活のからだで天に上げられます。

 

 彼らは、神の聖所であり、聖所の柱であり、礼拝する人々です。新しい天で子羊に仕えます。また、千年王国においては、天から下って来た聖なる都なのです。

 

 天に上げられなかった死者たち、殉教ではなく死んだ聖徒たちは、地に眠ったまま、キリストの再臨を待ちます。キリストが地上再臨された時、あらゆる世代、民族、国語の彼らは、墓から甦り、復活のからだで諸国の王となり、地上の千年王国を、キリストとともに治めます。

 

 地上の千年王国を治めた人々や、千年王国でイスラエルの王(キリスト)の国民となった人々は、新しい地に属する人々です。

 

 新しい天には、子羊を礼拝し子羊に仕える者たちがいて、新しい地には、子羊に感謝と喜びを献げ、互いに愛し合う神の家族が、神の愛と喜びと平和のうちに住まうのでしょう。