闇が造られる前は、光があるだけでした。神の御座と神に仕える御使いがいました。永遠の昔からの風景です。時間のない聖なる世界で、神の愛が満ち、義が覆っていました。
これが、永遠の昔から神のおられるところです。しかし、大天使ルシファーが神のひとり子の神性に妬みを持ち、神の御子に敵対する心を持った時から、永遠の世界に亀裂が生じ、調和を乱したルシファーにより永遠が二つに分かれました。光の永遠と、闇の永遠です。
ルシファーとともに、天から追放された天使たち。彼らは、大天使ルシファーに統率されていた天使の集団です。美しく光り輝いていたルシファーは光から出て闇に入ると、汚れた悪魔の姿に変わりました。ルシファーとともに、闇に落ちた天使のうち、悪魔となったルシファーに従う悪霊となる者と、悪魔から身を引く者とに分かれました。
指導者であった大天使ルシファーについて光を出て来たものの、悪魔に従うことを恐れる堕天使たちもいました。彼らは、光に帰りたかったのです。
神は、悪魔に従わず、神のもとに帰りたいと願う堕天使たちのために、救いの計画を立てられました。その計画のために、神は、闇に星々を造られました。悪魔から離れて、星に住むものとされたのです。
しかし、悪魔は闇に造られた星々を見て、神のようになろうとしたのです。神が造られた星々です。悪魔は言いました。「私は天に上ろう。神の星々のはるか上に私の王座を上げ、北の果てにある会合の山に座ろう。密雲の頂に上り、いと高き方のようになろう。」
悪魔は、神の造られた天体や、ともに天から落ちた堕天使たちの神になろうとしたのです。神は、悪魔の支配から堕天使たちを救うために、地球を造られました。
すべての被造物を管理する者として、塵から人を造られました。天使とは違い肉体を持つ存在です。闇に天体が造られて生じた塵から造られました。天使は霊的存在です。肉体に拘束される不自由はありません。人にはできない多くの能力を持っています。その力を自由に使うことができます。
人は肉体の限界の中で生きます。瞬間移動も、テレパシーも使うことができません。人のうちの霊にはその能力があっても、肉体が制限します。天使と比べると、不自由な存在です。
神は、御子のために、人を造られました。限界のある人が神のことば(御子)に従う時、天使にまさる者とされるのです。人は御子とひとつとなって、神の栄光を現わす存在として造られました。
神は、神のことばのうちにある人をエデンの園に置き、エデンの園の管理を任されました。星々にいる堕天使たちを、やがて地球に集めて、彼らの心のうちを調べ試して救う、彼らに救いの道を用意しておられたのです。
神の御子に敵対する大天使ルシファー(悪魔)について行った天使たちです。御子に従順な者になることが、神の支配下に戻る救いの道でした。彼らは、御子を軽んじたことを悔い改め、心を入れ替えて、ルシファーに従順であったように、御子にへりくだって仕える者とならなければなりません。
神は、彼らを試されました。神が御子のために造った人は、天使より劣る者です。しかし、いのちの木が置かれたエデンの園の管理者は、塵から造られた人なのです。塵から造られた卑しい者(人)の権威を認め、へりくだることが出来るならば、神の御子にも従順に仕える、低くへりくだった者となります。
いのちの木と善悪を知る知識の木は、堕天使の救いのために置かれていました。人にも御子にもへりくだり、敵対する心のない平和な堕天使が、悪魔の誘惑にも打ち勝って、御子への絶対的信頼を持つならば、いのちの木の実を食べることができ、もとの光に戻ることができます。
悪魔の誘惑に惑わされて、塵から取られた卑しい人を蔑み、御子を侮る者は、己を高い者とし、人よりも賢くなろうとして、善悪を知る知識の木の実を食べて、永遠に滅びます。
神は、人を、天使が仕える者として造られたのです。謙遜で無ければ、どうして、塵から造られた人に仕えることができるのでしょう。
しかし、神のこの計画は、人が悪魔にそそのかされて、善悪を知る知識の木の実を食べたことで、頓挫しました。
堕天使の救いどころか、人までもが救われなければならない存在になってしまったのです。神は、人の救いを計画されました。人が救われなければ、堕天使たちの救いもありません。
神の御子が立ち上がり、塵から取られた肉なる人と同じ姿となって、人の罪ための身代わりの子羊となられました。肉なる人を生かすために、悪魔の足台となる肉を処罰し、贖いの血を注がれました。
神の子羊イエスの贖いの血は、肉なる者の罪を取り除き、霊を生かすいのちです。神の御子を信じる者は、神に義人とされます。神の御子イエス・キリストを信じる信仰が、肉を滅ぼし、霊にて生きる者としてくださいます。これが、神が人のために用意された救いです。
千年王国で、堕天使たちは、地上に生き残った女たちから生まれる人間とし、数多く生まれ、人と同じように、御子キリスト・イエスを主とする者は、都に入って、いのちの木の実を食べるのでしょう。
イエス・キリストの贖いの血による赦しと、御霊による新しい創造によって、いのちある霊となったものたちが、初めからあったいのちのもとに帰り、神の御子とひとつとなるのです。
キリストの血で聖められ、御霊が証される霊は、父のもとに帰り、神の子とされます。しかし、肉なる者や、御霊の証のない霊は、偽りの父(悪魔)や悪霊どもが焼かれる火に投げ込まれます。