ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

天から出た聖なる救い主

 

 「第一の人は地から出て、土で造られた者ですが、第二の人は天から出た者です。」(コリント一15:47)

 

 最初の人アダムは、土で造られ、生ける神のいのちの息を吹き込まれて生きた者となりました。土で造られた、人の形をした神の造物が、神のいのちの息によって生きた者となったのです。

 人の形をした造物は、神の息によって、いのちある者となりました。造物は肉のからだです。肉のからだから神のいのちの息が抜き取られるならば、人は土から造られた造物に戻り、やがて土にかえるのです。

 

 最初の人アダムは、神の命令を軽んじ、神を聖としませんでした。

 

 神は神のために造られた神の民イスラエルに、聖であることを命じられました。

 「あなたがたは身を汚し、汚れたものとなってはならない。わたしはあなたがたの神、主である。あなたがたは自分の身を聖別し、聖なる者となりなさい。わたしが聖であるから。」(レビ11:43,44)

 

 ペテロ一:14-16にも、「従順な子どもとなり、以前あなたがたが無知であったときのさまざまな欲望に従わず、あなたがたを召してくださった聖なる方にならって、あなたがた自身も、あらゆる行ないにおいて聖なる者とされなさい。それは、『わたしが聖であるから、あなたがたも、聖でなければならない。』と書いてあるからです。」とあります。

 

 神の民は聖でなければならないのです。神は最初の人アダムを、御自身の似姿に造られました。アダムが神の似姿の人であるならば、神の聖にならって聖なる者でなければならなかったのです。しかし、アダムは、聖なる神の霊(神のことば)よりも、妻エバの言葉に従いました。エバは、悪魔をかしらに持つ蛇が与えた、聖なる神に逆らう汚れた悪魔のことばに従ったのです。

 

 神のことばから外れることは、神の聖を侮ることでした。人は、神の聖を汚したのです。

 

 天使長ルシファーが従順に神に仕えていた頃は、光しかありませんでした。すべてのものが聖だったのです。

 しかし、ルシファーが神の御主権に逆らい、反逆者となって天から追放されると、堕天使長(悪魔)の住まいの闇が現われました。神の世界とは違う、もうひとりの主権者(悪魔)の立つ闇の世界が現われたのです。

 

 神は、この闇の中に、悔いる堕天使たちの救いとして、天体を造られたと思われます。そして、地球を造り、被造物を置き、悔い改める堕天使を生かすいのちの木が植えられたエデンの園を管理する「人」を造られたのではないかと思います。

 人は神の御子のために造られました。神に逆らう堕天使とは異なり、神の御子に従順で神の御子とともに天の御国を相続する、神のひとり子と一つ心になる者して造られたように思います。

 

 最初の人が造られた時、すでに悪魔はいました。人は、創造主である生けるいのちの神と、神に罪を犯して天から追放され死と滅びに定められた悪魔が敵対する世界に、造られたのです。

 神の御子のために造られた人が、悪魔に奪われました。そして、エデンの園から追放された人が置かれた地球には、神の子らがいました。神の子らとは、悪魔の支配から逃れ救いを求める堕天使たちではないのかと思います。

 

 人が地上に増え始め、彼らに娘たちが生まれたとき、神の子らは、人の娘が、いかにも美しいのを見て、その中から好きな者を選んで、自分の妻としたことが書かれています。(創世記6:1,2)

 その状況をご覧になった神である主は、「わたしの霊は、永久には人のうちに留まらないであろう。それは人が肉にすぎないからだ。それで人の齢は、百二十年にしよう。」と仰せられました。(創世記6:3)

 

 神に逆らう心は増すばかりです。地上に人の悪が増大し、その心に計ることがみな、いつも悪いことだけに傾くのをご覧になった神は、人の命の期限を決められました。

 

 神は、神のいのちの息を吹き込んで生きた者とした人のうちに、神の霊が永久に留まることを許さず、百二十年という期限をもって取り去ることを決められました。人の寿命を定められたのです。

 

 人は、いのちの神と、死と滅びに定められた悪魔が敵対する世界に生まれていることを知らなければなりません。神はいのちであり、悪魔は死です。悪魔に捕らえられたアダムの子孫はみな、死に定められた者です。

 「人間には、一度死ぬことと死後に裁きを受けることが定まっている。」(へブル9:27)

 

 わたしが聖なので、聖でなければならないと、いのちの神は言われます。いのちを得る者は聖なる者でなければなりません。神の似姿に造られた人の本性は、聖なるものです。神の似姿の人が、神のもとに帰る人です。

 

 悪魔のものによって身を汚す者は、神に受け入れられません。聖なる神にふさわしい者ではないからです。聖でない者は、聖なる神を汚す者です。

 

 神は、イスラエルを御自分の民として造られました。神の民です。神のものであるから、聖であることを要求されます。それで、神はイスラエルに守るべきおきてと定めを与えられました。

 しかし、肉なる者にそれを守ることはできません。うめく彼らに、神は、救い主を遣わす約束をされました。それが、神の御子キリストです。

 

 神は、御自分の民イスラエルの聖のために、罪の贖いの子羊イエスの血を要求されました。神のひとり子イエスは、父なる神の要求に従い、肉体の中に入り、十字架で、イスラエルの罪の贖いの血を注ぎ出されました。

 

 神は、神の子羊イエスの血をご覧になって、良しとされました。イエスの血はイスラエルの罪を贖い、神は、イスラエルの罪を赦し、神の子羊イエスの贖いの血を受け取るイスラエルを義とされたのです。

 

 イスラエルは、神の御子イエスの血によって罪のない者とされました。もはや、罪の呪い(罪の報酬である死)に怯えることはありません。

 

 神は、イエスの血によって義としたイスラエルに、聖なる者とされるための聖霊を遣わされました。聖なる者でなければ、神の御前に立つことができないからです。神は、イエスの血を受け取った者に、聖霊によって、聖なる者とされる新しい創造を施されます。

 

 死から復活したキリストの御霊を受けることで、御霊によって新しく生まれ、御霊によって聖なる者に創造されるのです。人はキリストの御霊により、主イエスとともに十字架につけられて肉に死んで、新しく生まれ、御霊によって聖なる者に造り変えられ、死から甦らせる聖霊によって永遠に生きる神の子どもとされるのです。

 

 キリストの御霊による新生と聖化によって、最初の人アダムの子孫である罪人が、永遠に生きる神の御子イエス・キリストに似た者に造り変えられて、キリストとともに天の御国を受け継ぐ神の子どもとされるのです。

 

 「聖書に『最初の人アダムは生きた者となった。』と書いてありますが、最後のアダムは、生かす御霊となりました。」(コリント一15:45)

 

 イスラエルの罪のために死なれた神の御子の御救いとは、ユダヤ民族のためだけではなく、世界中の神の民のためです。この神の民のことを、永遠のいのちを得る新しいイスラエルと言います。キリストの御霊(新しい葡萄酒)を入れる新しい皮袋であり、聖霊の宮、神の神殿です。

 

 罪を犯されなかった完全な人、最後のアダムは、世界中から集められる神の民を生かす神の御子イエス・キリストです。そして、キリストの御霊となって、イエス・キリストを信じる者に新しい創造を施し、聖なる神の子どもにふさわしい者として造り変えてくださるのです。