ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

御自分の民を正される主

 

 「その日になると、主はエジプトの川々の果てにいるあのハエ、アッシリアの地にいるあの蜂に合図される。すると、彼らはやって来て、みな、険しい谷、岩の割れ目、すべてのいばらの茂み、すべての牧場に巣くう。」(イザヤ書7:18)

 

 神は、御自分の民の心が神から離れると、彼らの敵どもを立てられます。突然起こることに神の民は慌てふためきますが、実は、以前から神が彼らの心に語りかけておられたことを実行されたのです。

 

 彼らは神が語っておられるのに、聞こうともしませんでした。神は彼らを敵の手に渡されます。果たして、神は神の子らを捨ててしまわれたのでしょうか。神は神の子らの敵となられたのでしょうか。神は彼らの敵の味方となられたのでしょうか。

 

 いいえ、神は、神の子らの心を取り戻すために、信仰の火を投じられたのです。神の子らの敵は、神にとっても敵です。神は、アッシリアのことをハエと呼び、アッシリアの権力者のことを蜂と呼ばれます。決して良い者だとは思っておられません。

 

 それでは、何故、神が憎む悪者の手に、御自分の民を渡されるのでしょうか。それは、彼らを永遠に取り戻すためなのです。懲らしめるのは、悪者の役目です。それで、神は、神御自身が憎んでおられる、死とともにある汚れたハエや、ただ攻撃することを望みとする蜂を使って、背信の神の子らを神に立ち戻らせるのです。

 

 神の御思いは、神の子らとともにあります。彼らの敵が良い者だから、神の子らを攻めさせるのではありません。神の子らに苦しみを与えて、その苦しみの中で、主を呼ばわり、主に立ち返らせるためなのです。神の愛は、神の子らに向けられています。

 

 神はエレミヤに仰せられました。

 あなたは、彼らに言え。主はこう仰せられる。

 「倒れたら、起き上がらないのだろうか。背信者となったら、悔い改めないのだろうか。何故、この民エルサレムは、背信者となり、背信を続けているのか。彼らは欺きにすがりつき、帰って来ようとしない。

 わたしは注意して聞いたが、彼らは正しくないことを語り、『私はなんということをしたのか。』と言って、自分の悪行を悔いる者は、ひとりもいない。彼らはみな、戦いに突入する馬のように、自分の走路に走り去る。

 空のこうのとりも、自分の季節を知っており、山鳩、つばめ、鶴も、自分の帰る時を守るのに、わたしの民は主の定めを知らない。」(エレミヤ書8:4-7)

 

 夏のうちに食物を確保し、刈り入れ時に食糧を集める(箴言6:8)ように、神の時が定められています。夏に食糧を集めようとしても、まだ収穫の時は来ていません。刈り入れ時に食糧を集めなければ、飢えてしまいます。その季節ごとにするべきことが定まっているのです。人間が季節を変えようとしても、うまくいきません。神の定められた季節に従うのが、人の最善なのです。

 

 神が、背信の子らを帰そうとされる時が来ると、神は腕づくでも成し遂げられます。神の子らは、現状にしがみつくのではなく、手放すことが神の設けられた最善の道なのです。神が与えるものは、この世のものではなく、永遠のいのちなのだからです。

 

 神が「帰れ。」と言われるのならば、素直に応じなければなりません。理屈をつけている場合ではありません。神が状況を困難にされたならば、それを乗り越えようとするのではなく、神に降参しなければならないのです。

 

 現状に心を合わせるのではなく、永遠のことを心配してくださる、見に見えない神に心を向けなければなりません。目の前に起こることは、一時のことです。神は、永遠にその状況に閉じ込められる方ではありません。愛する子らを永遠の滅びから救い出すために、今の苦しみがあるのです。

 

 神の子らの苦しみは、永遠の救いを受けるためです。悔い改めて、神に立ち返り、神にすべてを明け渡すためです。神は、神の子らの面倒を御自身でみられます。神に立ち返るならば、また、神の子らが自分の領域を明け渡して神にへりくだり、神の開かれる道を行くならば、平安があるのです。

 

 神は、御自分の民を御国に入らせるために、すべてのことを許しておられるのです。これは、神から出たことです。神が悪者を立てて、神の子らを羊の牧場に連れ戻されるのです。悪い獣に追い立てられて、帰るべき家(神の家)に逃げ込ませるためです。

 

 神は、悪者にはこのような配慮はされません。悪者が高ぶって欲しいままにふるまうことを許されます。彼らはすでにさばかれているからです。彼らに、永遠のいのちはないのです。神は、彼らを正すことはされません。彼らの父(悪魔)のわざをするだけです。

 しかし、神は、神の子らには懲らしめを与えられます。彼らの帰るべき場所(神の家)に帰すためです。主の定めの時を知らない子らには、鞭をもって正しい道に導かれるのです。

 

 「ヤコブよ。これらのことを覚えよ。イスラエルよ。あなたはわたしのしもべ。わたしが、あなたを造り上げた。あなたは、わたし自身のしもべだ。

 イスラエルよ。あなたはわたしに忘れられることがない。わたしは、あなたの背きの罪を雲のように、あなたの罪をかすみのようにぬぐい去った。

 わたし(神)に帰れ。わたしは、あなたを贖ったからだ。」(イザヤ書44:21,22)

 

 今ある苦しみや嘆きをご覧になって、神は憐れみ、背きの罪を赦しておられます。その惨めで弱いままで、神のもとに帰れ、と主は呼びかけておられます。

 

 「一つの声が裸の丘の上で聞こえる。イスラエルの子らの哀願の泣き声だ。彼らは自分たちの道を曲げ、自分たちの神、主を忘れたからだ。

 背信の子らよ。帰れ。わたしがあなたがたの背信を癒そう。」 (エレミヤ書3:21,22)