ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

イスラエルのメシア 青銅の蛇に隠された神のメッセージ

 

 イスラエルは、創造主なる神が、全地における神の祭司の国民として神に仕えるために造られた民族です。

 イスラエルが神に問われる罪は、いつも、信仰のないことです。不信仰、背信が、イスラエルの罪です。

 

 ほかの民族は、神を知らずに生きています。彼らは、初めから神を知らず、神のことばを聞かず、神を仰ぐこともなく、いのちを与え生かしてくださる自分の存在の根源であられる神に対して、好き勝手に生きています。

 彼らは、生まれつき、死と裁きと滅びが定められている人間なのです。ノアの時代、神を神とせず自分の好き勝手に生き悪いものとなって神の怒りを買い、滅ぼされ、ノアの箱舟に入ることのなかった人類です。

 ノアの時代、神に聞き従ったノアの家族と、神を嘲笑う罪にまみれた人類がいました。ノアの家族は神に聞き従って箱舟を造り、箱舟に入りました。神を信じず、神と箱舟に入る者たちを蔑み嘲笑う人類は箱舟の外におり、洪水によって滅んだ人類です。

 

 神は、神のことばによって、神に聞き従う箱舟の中の人々と、箱舟の外の人々とを明確に分離して、外にいる人類を洪水で滅ぼされました。

 

 神がイスラエルを造られたのは、火で滅ぼすことが定められているからです。神は、罪人を滅びから救い出すために神に忠実な民を用意されたのです。

 イスラエルは、目に見えないけれども永遠に生きておられる全知全能の神、主に仕える民です。彼らの存在の目的は、神に忠実であることです。

 

 イスラエルが神に忠実でないならば、神は、役に立たないものとして滅ぼされます。イスラエルが神の民の役割を果たさず、世の人々と同じであるならば、神はイスラエルを無用のものとされます。イスラエルは、特別な役割を担った民族です。

 

 イスラエル以外の民族が、神を神とせず好き勝手に生きていても、さばかれません。なぜならば、イスラエル以外の民族は生まれつき滅びが定まっているからです。

 

 神に選ばれたイスラエルは、生まれつき、神の使命を受け取っています。まことの神に仕える民としての使命です。イスラエルがまことの神に仕えないならば、神はイスラエルを懲らしめられます。

 

 神はイスラエルを凶暴な国民の手に渡すこともされます。イスラエルから国を取り上げて、世界に散らすこともされます。神に逆らう者たちをただちに打って死なせることもされます。世界中の国々に憎ませ、敵の中で怯えることもされます。

 イスラエルが憎いからでしょうか。いいえ、イスラエルが神のものだからです。神の民イスラエルは、聖なる神にふさわしく聖なるものでなければならないのです。神はイスラエルに対して大変厳しく接しられます。

 

 それは、神がイスラエルに、永遠の御救いを約束しておられるからです。イスラエルは、神の御救いが約束された唯一の民族です。

 洪水から救い出されたノアの箱舟のノアの家族のように、火による滅びから救い出される唯一の家族(イスラエル民族)です。

 

 ほかの民族が偶像の神々を拝み、汚れの中で歩んでいても、繁栄し寿命を全うしますが、イスラエルがそのような生き方をすれば厳しく打たれ、神は彼らの罪を許されません。

 

 かつて、イスラエルは、神とモーセに言い逆らい、神とモーセを非難したとき、神の怒りが燃え上がり、神が送られた蛇に噛まれて死にました。イスラエルの多くの人々が死にました。

 

 しかし、自分たちの罪に気づいた民は、モーセに執り成しを頼みました。「私たちは主とあなたを非難して罪を犯しました。どうか、蛇を私たちから取り去ってくださるよう、主に祈ってください。」(民数記21:7)

 

 モーセが民のために祈ると、主はモーセに仰せられました。

 「あなたは燃える蛇(青銅の蛇)を作り、それを旗ざおの上につけよ。すべて噛まれた者は、それを仰ぎ見れば、生きる。」(民数記21:8)

 

 「木につるされた者は、神に呪われた者。」と、申命記21:23にあります。

 神は、モーセが作った青銅の蛇を呪われたものとされました。罪を犯したのは、背信の民です。神の約束を信じることなく、神に遣わされたモーセに従うという約束を破り、神の祝福の契約(父祖アブラハムから相続した土地と祝福の約束)に自ら背くイスラエルの罪を赦すために、神は、レビ人モーセに青銅の蛇を木に掲げさせられました。

 神は、青銅の蛇に民の罪の呪いを置かれ、青銅の蛇を木にかけて呪われたものとされたのです。罪を犯したのは民なのに、民の罪を青銅の蛇に負わせて、青銅の蛇を呪われたものとされたのです。

 

 民が犯した背信の罪の呪いを、青銅の蛇がイスラエルに代わって処罰を受けてくれたのです。神の怒りは、木の上につけられた青銅の蛇の上に置かれました。民の罪は処罰されたのです。処罰された罪は、もはや罪に問われることがありません。

 

 青銅の蛇を仰ぎ見る者は、自分の罪が青銅の蛇によって贖われて神の赦しを受けることができるという希望を持つ者です。

 

 神を信じない者は、神のことばと神のみわざを信じることなく、神への不信の思いと絶望の中で死んでいきます。彼らは、神の愛も憐れみも赦しも信じない者です。

 

 イスラエルは神の民です。神を主とし、主なる神によって一つとされる神の家族です。神を信じない者は神の家族にふさわしくありません。聖なる神を汚し、神の家族を汚して、神の家族を罪の中に引き込む悪い者です。

 神は、悪い者をイスラエルの外に出して、彼を神の御救いの契約の無いほかの民族の人々と同じようにされます。

 

 神とイスラエルは信仰によって繋がっていなければならないのです。信仰のない者はイスラエルではありません。永遠に生きておられる全知全能のまことの神を信じる者は、イスラエルの家に入ります。神の約束された御救いは、イスラエルの家にあるからです。

 

 神は、エバと人を騙した蛇に、女の子孫「人の子」が蛇の頭である悪魔を踏み砕き、蛇(悪魔の子)は、「人の子(神のひとり子キリスト)」のかかと(ヤコブ、すなわちイスラエル)に噛みつく、と仰せられました。

 

 イスラエルの民を噛んで死なせたのは、燃える蛇でした。神に背信のイスラエルは、神の許しのもと、悪魔の子らによって殺されるようです。

 しかし、神はイスラエルの罪の赦しのために、神のひとり子を人の子として造り、神の子羊として、イスラエルにお与えになりました。ナザレのイエスです。

 祭司の国民イスラエルは、青銅の蛇を木にかけたレビ人モーセのように、神の子羊イエスを十字架にかけました。イスラエルの罪は十字架のイエスの上に置かれ、神の怒りと呪いは、神の子羊イエスの上に置かれたのです。

 

 悪魔に噛みつかれ(悪しき霊に騙され)神の約束のことばから外れて神に罪を犯し続けたイスラエルも、神が用意された罪の贖いの子羊イエスをつけた十字架の贖いのわざによって罪が処罰されたことを信じて、イスラエルの罪が神に赦されるためにイスラエルの罪の身代わりとなって十字架で死んでくださった神の子羊(神の御子キリスト)を仰ぎ見るならば、神の怒りは過ぎ去り、罪は赦され、神の御救いの契約の中に入ることができるのです。

 

 イエス・キリストは、イスラエルの民の罪を赦し、罪の報酬の死の呪いから救い、イスラエルを生かす贖いの子羊(かつての青銅の蛇と同じく、イスラエルの罪を赦すために木にかけられました)となられたのです。

 かつての青銅の蛇は、モーセが作りました。青銅の蛇は、罪の赦しと癒しと救いのためでした。しかし、現代の青銅の蛇は、神が用意された神の子羊に代えられました。

 

 悪魔が働いた神に言い逆らうイスラエルの罪の呪いは、青銅の蛇が受けました。

 キリスト・イエスは、悪魔を退ける神のひとり子です。悪魔をさばく権威を持たれた神の御子です。イエスは、蛇の子ではなく、神の子羊なのです。イスラエルの罪を贖い、イスラエルをきよいものとする神の子羊です。

 

 イスラエルの御救いのために木にかけられたのは、イスラエルをきよいものとする神の子羊イエスです。罪の赦しと癒しと救いのための青銅の蛇とは異なり、イスラエルを罪のないきよい民とする贖いの子羊です。

 

 十字架で流された子羊イエスの血はイスラエルの罪を赦し、神は救い主キリスト・イエスを信じる者を義とされます。神のキリスト(救世主)は、神に義とされたイスラエルに生かす御霊を与えて、永遠のいのちを得させられるのです。

 

 木にかけられた青銅の蛇は、罪を犯したイスラエルの民の罪を赦し、蛇に噛まれて死んでゆく者を癒し、生きる者としましたが、肉体のその人は再び死を迎えました。

 

 木にかけられた神の子羊イエス・キリストは、イスラエルの背信の罪を赦し、生かす御霊を与えて、死から甦って生きる永遠のいのちをお与えになります。一度死んでも甦り、キリストと同じ復活のからだを得て永遠に生きる霊の子とされるのです。

 

 イエス・キリストは子羊(神の群れ)の身代わりとなって死なれたのです。邪悪な者の身代わりとなったのではありません。十字架には、蛇ではなく、子羊が掲げられたのです。

 贖いの神の子羊は、神に対して犯した自分の罪に気づき、自分の罪を言い表わし、罪を悔い改める、純真な者、汚れた罪の世にあって、聖なるもの、普遍の義、不変の愛を求める、心の正しい罪人のために用意されました。

 

 悪しき蛇(悪魔)は、すでに神の御子イエスが踏み砕かれました。

 悪魔に勝利した子羊イエス、一度も罪を犯さず罪に勝利された神の子羊イエスが、神の民イスラエル(新生して永遠に生きる神の子ども、すなわちキリストの御霊によって新しく生まれ新しく創造される神の民)のために、十字架につけられたのです。

 

 十字架につけられた神の子羊イエスを仰ぐ者は、神に信仰を持つ者です。イエス・キリストを信じる者は、罪が赦されて神に義とされます。

 神に義とされた者はイエス・キリストの御名によって、キリストの生かす御霊を受けます。生かす御霊によって新しく生まれる者は、真理の御霊に教えられて肉の思いを殺し、真理の道(キリストが設けられた天に続くいのちの道)を歩む者とされます。

 

 神の子羊イエスは、蛇の頭である悪魔を滅ぼし、神の民を、世の罪と死と滅びの呪いから救い出されます。神の御子キリスト・イエスによって救われた者は神の家族となり、イスラエルの家に加えられます。

 キリストが御霊によって新しい創造を施されたイスラエルが、天の御国に入るとこしえのイスラエルです。神のひとり子キリストは、新しく造り変えられたイスラエル、とこしえのイスラエルを天の御国に招くために来られたのです。

 

 キリストが「イスラエルのメシア」といわれる理由はここにあります。キリストによって救われる者はみな、イスラエルの中に加えられるからです。

 世は、神に罪赦され義とされるとこしえのイスラエルと、罪が残されたままの、とこしえのイスラエルの外の者とに、明確に分かれるのです。