ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

イエスの公生涯の前に現れたエリヤ

 

 神は、イエスを世に現わす前に、イザヤが預言して「荒野で叫ぶ者の声がする。『主の道を用意し、主の通られる道を真っ直ぐにせよ。』」と言われた人が起こされました。

 

 バプテスマのヨハネが現われ、ユダヤの荒野で教えを宣べて、言った。

 「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから。」(マタイ3:1,2)

 

 ヨハネは、らくだの毛の着物を着、腰には川の帯を締め、その食べ物はいなごとの蜜であった。

 エルサレム、ユダヤ全土、ヨルダン川沿いの全地域の人々がヨハネのところへ出て行き、自分の罪を告白して、ヨルダン川で彼からバプテスマを受けた。

 しかし、パリサイ人やサドカイ人が大勢バプテスマを受けに来るのを見たとき、ヨハネは言った。

 「まむしのすえたち。だれが必ず来る御怒りを逃れるように教えたのか。それなら、悔い改めにふさわしい実を結びなさい。

 『われわれの先祖はアブラハムだ。』と心の中で言うような考えではいけません。あなたがたに言っておくが、神は、この石ころからでも、アブラハムの子孫を起こすことがおできになるのです。

 斧もすでに木の根元に置かれています。だから、良い実を結ばない木は、みな切り倒されて、火に投げ込まれます。

 私は、あなたがたが悔い改めるために、水のバプテスマを授けていますが、私のあとから来られる方は、私よりもさらに力のある方です。私はその方のはきものを脱がせてあげる値打ちもありません。

 その方は、あなたがたに聖霊と火とのバプテスマをお授けになります。

 手に箕を持っておられ、ご自分の脱穀場をすみずみまできよめられます。麦を倉に納め、殻を消えない火で焼き尽くされます。」(マタイ3:4-12)

 

 神が遣わされたキリストにお会いする心の準備が、バプテスマのヨハネによってされました。

 神がイスラエルに約束されたメシアを、あらゆる世代のユダヤ人が待ち望んで来ました。神を信じる敬虔な人々は、エルサレムが贖われること、イスラエルが慰められることを待ち望んでいました。

 

 ローマ帝国に統治されたユダヤ属州のユダヤ人は、ますますもって、キリスト待望の機運が高まっていたのです。

 ユダヤでは、キリストが生まれたとあちらこちらで噂され、あの人がキリストだ、この人がキリストだとささやかれていました。

 

 荒野でヨハネが、「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから。」と叫びます。救いを求めるユダヤ人は、続々とヨハネのところへ出て行き、自分の罪を告白して、ヨハネから水のバプテスマを受けました。こうして、神の御前で悔い改めを表明するのでした。キリストにお会いするのに、神の憐れみを受けるためです。

 

 そこに、律法に厳格で宗教的なパリサイ人やサドカイ人も大勢、バプテスマを受けにやって来ました。彼らは、律法によって他人を裁き、自分を正しいとする者たちです。

 神の宮で、「神よ。私はほかの人々のようにゆする者、不正な者、姦淫する者ではなく、ことにこの取税人のようではないことを、感謝します。私は週に二度断食し、自分の受けるものはみな、その十分の一を献げております。」と祈るような偽善者たちです。

 

 彼らのうちには、悔い改める心はありません。自分の正しさを神に認めて貰うことを望み、また、神は認めてくださるに違いないと信じています。自分を主として生きている者です。律法に仕える者、聖書の教師でありながら、神を知らない者たちです。いや、神を知ろうとしない者たちです。

 

 ヨハネは、悔い改めの実を結ばない高慢なパリサイ人やサドカイ人を叱責しました。悔い改めの心がないのに、御怒りから逃れて救われようと考えている彼らは、天の御国にふさわしくない者です。

 

 神の御怒りが彼らの上にあることを指摘しました。木の根元に置かれた斧で、神の御心に従わないで神の受け入れられる良い実を結ばない木は、みな切り倒されて、火に投げ込まれ焼かれることを、厳しく語りました。それは、たとい神と契約を結んだイスラエルであってもです。神は、アブラハムの血肉の子孫に代わって、価値が無いとみなされる無割礼の者からでも、アブラハムの契約の子を起こすことがおできになるのです。

 

 ヨハネは言います。

「私は神に遣わされ、ユダヤ人が悔い改めるために、水のバプテスマを授けています。しかし、私のあとから来られるキリストは、私とは比べものにならない、神の権威をお持ちの方です。私はその方のはきものを脱がせてあげる値打ちもありません。その方は、いと高き方の子、聖なる方なのです。

 その方は、あなたがた悔い改めた者に、聖霊と火とのバプテスマをお授けになります。天の神の御力を着せてくださるのです。

 聖霊によって新しい創造を始められ、聖霊が導く火の試練によって練り聖め、天の御国に入るのにふさわしい姿に造り変えられるのです。

 手に箕を持っておられ、神の民と呼ばれる者たちの脱穀場をすみずみまできよめられます。(神の民と呼ばれるユダヤ民族と、後のキリスト教会に試みを与えて、まことの者と偽りの者、信仰者と不信者、義人と不義の子をはっきりと分けられます。)

 聖霊と火のバプテスマを受けて神の子どもとして整えられた麦(御霊の実を結ぶ者)を天の御国に納め、悔い改めることのない殻(聖霊と火のバプテスマを受けず、御霊の実⦅永遠のいのち⦆を結ばない者)を消えない永遠の火で焼き尽くされます。」

 

 エリヤ(バプテスマのヨハネ)の後に現われるキリストは、聖霊のバプテスマを授ける方です。水のバプテスマではありません。聖霊は、悔い改めた者に授けられる、神の賜物なのです。神がイスラエルに約束されたキリストは、聖霊(神の霊)を授ける権威を持たれた唯一の方、神の御子です。世界中でこの方しか、聖霊を授ける権威が与えられていません。ナザレのイエスは、神によって、聖霊を授ける権威を与えられたキリストです。

 

 悔い改めて神に立ち返った者は、イエス・キリストの御名によって、聖霊のバプテスマを受けるのです。

 

 バプテスマのヨハネは、ナザレのイエスが、神が遣わされた神の御子キリストであることを証し、神が天から遣わされたキリストであることのしるしが、聖霊のバプテスマを授ける権威であることを証言したのです。

 

 バプテスマのヨハネは、「悔い改めよ。天の御国が近づいたから。」と言って、聖霊を授けるキリストのために、悔い改める民を整えたのです。